先生は一人ひとりを見ていない!

 

1.衝撃の学級日誌

 「先生は、一人ひとりをちゃんと見ていない!」。これは僕が担任をしていた高校3年生のホームルーム日誌に書かれた痛烈な批判の言葉である。1996年のことであった。以下、日誌に書かれた全文を、本人の了解を得て紹介する。

 1996年12月20日(土)

 「2学期も、今日をあわせてあと2日。日直になるのもこれが最後だと思うので、今までちょっとしか書かなかった分、今日はたくさん書こうと思う。

最近、私は疑問に思っていることがある。どうして担任制にしているのか。担任の役割とは何? 私がこう思うことに対して「先生は十分な教養があるのだからすごいよぉ」とか思う人がいるかもしれない。それで、そんなことですまない。

私が思う担任像とは、クラスの一人ひとりを把握し、そのクラスを見守ってゆくetc といった人だ。でも、現実は・・・・。

小学校でもあるまいしと言うかもしれない。それじゃ、担任って何? もちろん、生徒一人ひとりの書類をまとめるのが大変なのは知っている。でも、それでは人間対人間のつながりはいずこへ。

本校は自主・自立(自律)を掲げている。これは「放任」を意味するのではない 。中途半端な担任なんか・・・・。」

 この文章を読んだとき、正直言ってどきっとした。当時私は45歳。三国丘高校の進路部長をしており、学校全体の切り盛りで忙しく、クラスの運営はついつい後回しになりがちであった。授業をのぞけば、仕事の90%くらいは進路部長としての仕事に忙殺されていたような気がする。

 当時、学校の内々の規定では、進路部長は担任を持たないことになっていた。ところが、3年の担任を決めるとき、学年主任から直々に「是非担任になってほしい」と懇願された。今から思えば心を鬼にしてでも、担任になることを断るべきであった が、結果的には学年主任に押し切られてしまった。

 その結果がこれである。クラスの生徒に十分してやることができていないという思い当たる節があ った分、この指摘には心が痛んだ。

 

 

 

2.担任論議で盛り上がる
 
 次の日の日誌には、別の生徒が同じく「担任」について書いてきた。

 「私が今まで12年間の学校生活において、一番心に残っているのは、中学3年の時の担任の先生である。その先生は、あらゆる学校行事において何でもはりきってやってしまう先生であった。体育大会の練習には、自分は数学教師にもかかわらず顔を出し、体育教師を押しのけて指導する。合唱コンクールには、放課後の練習をしようと言い出す、ナドナド。

 その当時はわずらわしくて、クラスのみんなもそこまで担任が介入しなくても・・・という雰囲気が漂っていたが、今ではすごくいい思い出である。また、その先生は進路についても本当に一生懸命に相談にのってくれた。相談しやすい雰囲気もつくってくれた。

 高1の時の担任は、中学校の時とのギャップでみんなが苦しんでいるだろうということで、クラスのみんな、また、親が思っていることを文集にしてくれた。結局のところいい担任の先生とは、クラスのことに目を常に向けて、何事にも一生懸命に取り組み、生徒の気持ちが不安定なときに、自分から手を差しのべてくれる先生だと私は思う」。


 数日して、また別の生徒が担任について書いてきた。

 「何人か前の人が担任ということについて書かれていましたが、別に南先生に対しての批判ではないと思うのですが・・・・。

 私は何でも先頭に立ってものごとを押し進めてくれる先生は、一見よさそうだし、生徒と一体になっているように見えるかもしれないけれど、結局は先生が敷いたレールの上を生徒達が歩いていくだけになってしまって、クラスの団結は生まれないと思うし、将来的には誰かに材料を与えてもらわないと何もできない人間で終わってしまう可能性があると思います。

 私は中1と中3のとき、同じ担任の先生だったのですが、本当にいい先生でした。新任の先生で、1年の途中までは、冷たい若さの感じられない先生だなあと思って、多少私は反発心を持ちました。

 でも、それは違いました。何かをみんなでしようとするとき何もしてくれません。何もしてくれないのではなく、黙って様子を見ていてくれます

 私たち中学生の頭ではどうしようもないことにぶち当たったとき、さりげなくクラスの中に入ってきてアドバイスをくれたり、何かをみんなで作っているときこういう材料が欲しいけれど、近くには売っていないなあと思っていたら先に 用意をしてくれていたり・・・、そういう先生でした。

 

 

 

 

3.返事

 このあとさらに学級日誌は担任についての議論で盛り上がった。これらの意見に私はおおよそ次のようなことを書いた。


 何を言っても弁解になりますが、一つには進路部長の仕事が多すぎて、皆さん一人ひとりに声をかける機会が少なかったせいもあります。悪い担任ですみません。でも、これが僕流のやり方だと思ってもらっても結構です。

 高校3年生という時期に必要なことは「自立」の手助けをすることだと考えています。僕の信条は「目を離すな、手を離せ!」です。最近の高校生が、以前より子どもっぽくなっていると感じていることも、皆さんを意図的に突き放している原因になっているかもしれません。

 高3の担任のあり方については人それぞれに「理想」とするところがあるでしょう。本校の生徒 だったら、わざわざ担任がしゃしゃり出て行かなくとも、たいていは皆さん自身でホームルームを作っていく能力があると考えています。

 ただ、最近は生徒が子どもっぽくなって、何でもかんでも担任を頼りにする風潮があり、危惧しています。以前だったら担任の頭を通り越して生徒同士で勝手に話を進めていたことも、最近では担任を頼ってしまう人が増えている気がします。だから、この1年間は反発してみたかったことも事実です。(でも、皆さんには理解してもらえなかったかもしれません)。

 しかし、結果として文化祭も体育祭も秋の遠足も、みんな担任抜きでちゃんとやってのけてくれました。僕が前面に出ないことによって、誰かがちゃんとリーダーシップを握ってやってくれました。立派でした。
 

また、別の日には次のようにも書いた。

 昔は「こける前につっかい棒を出してやる」のがよい担任だと思い、ずいぶん世話を焼きました。でも、最近は考え方が変化しています。

ある新聞記事に「こけ方がわかっていない子どもが顔面からこけ、大けがをした」とあるのを読んだことがあります。その理由として、小さいときから、親から「危ない、危ない」と言われ続け、結果的に「こけるときは手をつく」という基本的なことができていなかったため顔面からこけたという解説がありました。

 担任としていつ手を差し出すべきか。最近は、皆さんの「小さな失敗」程度なら遠くでガマンしながら見つめていることも大切なのではないか、などと考えています。間違っているでしょうか。親が子どもを可愛がる。担任が生徒を可愛く思う。どちらも同じです。でも、本当に可愛いというのはどういうことでしょうか。

 今のみなさんに、僕の気持ちは分かってもらいにくいかもしれません。教育するって何でしょう? 子育てって何でしょう? 「子どもをだめにしたかったら、ほしがるものを全部与えよ」という言葉があります。皆さんが結婚をし、子どもができたら、いつかこの 学級日誌の話を思い出してください。

 担任と生徒との関係は卒業と同時に終わるものではありません。むしろ、その後の長い人生の中で本当の関係が育まれるのではないでしょうか。皆さんの知らないところで、皆さんの将来の活躍を末永く見守っていきたいと思います。」

 




 

3.担任とは何か?

 ホームルーム日誌の中で、さまざまな担任についてのやりとりがなされた。ただ、最初に書いてくれた生徒の言葉はグサリと僕の心臓を一突きし、その後もことあるたびに思い出し、私の教師生活の指針となってきた。

 これまで古いホームルーム日誌はすべて処分してきたが、1996年の日誌だけは大切に残してある。私の宝である。最初に問題提起してくれた生徒に、今も心の底から感謝している。

「生徒一人ひとりを見つめる」

 言うのは簡単だが、実行するのは大変である。その後も担任を持ったが、ちゃんと一人ひとりを把握していたかと問われれば全く自信がない。だからこそ、この言葉がいまだに潮騒のように耳に鳴り続けるのかもしれない。

 一人ひとりの個人成績をグラフに描き、また、生徒一人ひとりの情報を書いた個人カルテを作ってはいるが、しかし、それで果たしてどこまで生徒を掌握しきれてい たと言えるのか。一人ひとりを見つめることの難しさは、何年教師をやっていても変わらない。

 教員の仕事とは、結局一人一人の生徒とどれだけ向き合うことができるかに尽きる。 それは授業をおこなう場合も同じである。どれだけいい授業をしても、一人一人と向き合っていなければ、結局は彼らの心に届かない。

 

 

 

4.10年後のメール

 今回、学級日誌の一部を公開するに当たって、彼女たちに了解を求める手紙を書いた。しばらくして返事が来た。

 高校卒業後10年以上も経って、みんな立派な社会人になっていた。学級日誌を公開することを快諾すると同時に、一様に当時の非礼をわびる一言が書き添えてあった。さすがである。

 もちろん、私自身、あのときに書かれた内容が非礼だとは全く思っていない。むしろ、人間は事実を指摘されたときが一番 こたえるものである。その意味では、いい経験をさせてもらったという感謝の気持ちでいっぱいである。ただ、当時のやりとりを心の中で整理できるようになるまでには数年を要したことも告白しておきたい。
 

 

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