ワードと一太郎

 2008年1月17日
 

 今年度はいろいろ事情があって、情報教育を担当することになった。4月当初、一番気になったのは「情報教育とは何か」ということであった。生徒の多くは、情報教育とは、ワード、エクセル、パワーポイントといったマイクロソフト社のソフトを使いこなせるようになることだとおもっているようだ。

 実は、そうしたソフトは、中学校で習って知っているだろうと思っていたが、生徒に聞いてみると、ワードはともかくエクセルやパワーポイントなどさわったこともないと答える生徒がほとんどだった。

 もちろん本来の情報教育はそうしたソフトに習熟することではない。「情報」の教科書も、市販の操作マニュアル本のような観点から編集されて いるわけではない。しかし、基本的なソフトも使いこなせないようでは、情報の理論もヘッタクレもない。そこで、当初の予定を変更して、とりあえずワード、エクセル、パワーポイント、Webなどを教えることにした。

 しかし、ここで早くも疑問が湧いた。ワープロソフトは何もワードだけではない。一太郎だって立派なソフトだ。しかし、ほとんどの学校では一太郎ではなくワードを教える。そもそも学校のパソコンに一太郎がインストールされていないことが多いのだ。生徒に聞いてみたところ、、普段一太郎を使う生徒はクラスに 1人か2人で、生徒の95%はワード派である。

 二つのソフトを比較して、一太郎の性能がワードにかくも「惨敗」を喫するほど悪いとは思えない。たとえば
 「にわにはにわ、うらにわにはにわ、にわとりがいる」(笑)
 「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」

を漢字変換した場合、どちらのソフトが正確に漢字変換してくれるのか。試してみたことはないが、多分一太郎のほうが優れているのではないか。また、罫線の操作は圧倒的に一太郎のほうが簡単である。

 ソフトの性能から言えば、ワード派がクラスの95%を占めているという現状は納得しがたい。この原因はひとえに学校教育にある。学校でワードを教えるから、生徒はワードに慣れ、我も我もとワードを使うようになるのだ。

 しかし、考えてみると、これではまるで税金を使ってマイクロソフトのユーザーを増やしているようなものである。もっといえば、一太郎を作っているジャストシステム社(本社、徳島県)に「倒産せよ」と 政府が言っているに等しい。公教育がそのような行為に荷担していいのか。大いに疑問である。

 本来の情報教育は、特定の企業に荷担することではなく、情報社会の仕組みや原理、情報モラル、関連法規、セキュリティなどを教えることである。学校における情報教育がパソコンスクールと同じであっていいはずがない。もう少しレベルの高い情報教育が出来ると期待していたのだが、残念である。
 

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