ツートン・カラー

 

 最近、書店で『使える徒然草』(斉藤孝 PHP新書)という本を見つけ読み始めた。高校時代に習ったきりほったらかしになっていた『徒然草』が、こんなに面白いと感じられるのは、著者の解説が良いせいか、それとも、 60年という年月を生きてきて古典の持つ良さを感じとれるようになったせいか。
 
  そのなかに、「堀池(ほりけ)の僧正(そうじょう)」と言う話がある。
  あるところに良覚僧正という怒りっぽい人がいた。家のそばに榎木があり「榎木の僧正」とあだ名を付けられたので、怒ってその木を切ってしまった。

  ところが、その木の根っこが残っていたので、今度は「きりくひの僧正」(切り株の意味)と言われるようになる。またまた怒った僧正は、切り株を掘り起こして捨ててしまった。ところが、その掘った穴が大きな堀になってしまい「堀池の僧正」と呼ばれるようになってしまった。

人の口に戸は立てられぬということか。そんなことを思ったせいか、高校時代に習ったこの話がなぜか印象に残っている。
 
  ところで、この古文を教えてくれた先生がおもしろかった。身長が150センチあるかないかという50代の男性教師で、ぽっちゃり太っており、しかも、気が向くと 漢文の授業中に真っ赤な顔をして詩吟を披露してくれる。それで生徒は親しみを込めて「赤豚」と呼んでいた。今から思えばずいぶん失礼なあだ名であるが、当人は「大物」ゆえ全く気にする様子もない。
 
  ある年、めっぽう肌が白く、しかも太っている校長が赴任してきた。その直後、かの赤豚先生が授業中に「赤豚と白豚、2人合わせてツートンカラーですね 」と同僚にからかわれたことを、さもうれしそうに話された。

 当時、テレビのCMで「ツートーンカラー」(ナショナルのカラーテレビ の宣伝)というのが流行っていたから、教室中、爆笑の渦になった。30年以上たって開かれた同窓会のときも、この「ツートンカラー」発言はみんなよく覚えていた。
 
  物事にはネーミングが大切である。名前を与えられることによってその人の存在感が際立つことも少なくない。たかがネーミング、されどネーミング。愛称は圧倒的な存在感の証明と言えなくもない。

 何年か後、かの赤豚先生のご子息のところへ、中学校以来ひそかに想いを寄せていた同級生が嫁いでいったのは少し口惜しいことであった。
 
 
 

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