トイレ考

 

 日本では江戸中期まで用を足した後、蕗(ふき)の葉、ワラ、綱、木片(いわゆる「クソカキベラ」)など様々なものが使われていた。有名な禅問答に次のようなものがある。

仏とは何か
「悟りを開いた人だ」
「そんな答えでは落第だ」

「仏とは何か」
仏とは糞かきべらだ
「ああ、それはいい答えだ。合格!」(笑)

 日本では、お尻を拭くのに長らく竹製の20センチ位のヘラが使われていた。人のお尻をきれいにするという役目は、おのが身を汚すことによって相手を清めるまさしく聖業。これは「仏行」に通ずる、ということだろう。

 ちなみに、昔の遺跡の発掘現場からこのクソカキベラが出てくると、そこは「厠」だったと想像されるし、クソカキベラにあのモノがついていると、当時の食生活や病気を知る有力な手がかりになるというのだから、研究者もタイヘンだ。

 日本では排泄後、紙で拭くことが当たり前になっている。私が小さかった40年くらい前までは、小さく切った新聞紙を揉んでトイレットペーパー代わりに使っていたものだ。しかし、実は地球全体では排泄後に紙を使う文化は、総人口の3分の1しかいない。サウジアラビアの砂漠地帯では、砂で拭くというし、中国の黄土地帯では川の中に渡したロープでこすり、水の流れで洗い流すらしい。

 一方、イスラム文化圏に行くと、トイレに容器にいれた水がおいてあって、用を足した後、自分の左手で「直接」肛門を拭き、その指を水で洗い流して綺麗にする。だから、イスラム圏では左手は不浄な手とされ、人に品物を渡すときは絶対に左手を使ってはいけない。これは大変重要な基礎知識である。

 紙で拭く文化と、水で洗い流す文化。日本人が使う1日のトイレットペーパーの平均は、男性が3.5メートル、女性が12.5メートルというから、森林破壊を防ぐという意味では、ウォッシュレット はいいかもしれない。いずれにしろ、一度水で流す文化に慣れたら、もう紙で拭く文化には戻れない。
 

 

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