恩師の言葉

 

平舘道子先生
 はなむけの言葉には、何十年たっても心に残る言葉がある。私が大学を卒業するとき、統計学ゼミの平舘道子先生は「人間にはできることとできないことがあります。さて、皆さんにできることは何ですか」と言われた。

 今にして思えば、その後の私の人生はこの言葉の意味を確かめるためのものであったかもしれない。「人間にはできることとできないことがある」。平舘先生は専門の統計学はいうに及ばず、英語もドイツ語もポーランド語もおできになり、およそ学問に関しては私は先生の足元にも及ばなかった。

しかし、その先生もスキーは決して上手とは言えなかった。確かに「人間にはできることとできないことがある」と一人ほくそ笑んだものである。

 当初、私は大学の教師になりたかった。しかし、大学卒業後、大学の助手になって勉強しているうちに、「大学は私の住む世界ではない」と感じ始めた。少なくとも、この世界に踏みとどまって、かりに「教授」になれたとしても、一流の学者にはなれまい。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉がある。どうせ一度の人生、牛後ではいやだ。一流になれなくても、せめて一流半くらいにはなりたい。そんな思いから、大学をやめ高校教師に転身した。31歳の時だった。
 
 それから25年がたった2006年、大阪府の「指導教諭」になった。一流とまではいかなくても、ようやく一流半くらいにはなれたのではないか(と思う)。「自分にできること」とは、「力まなくても、軽くこなせること」であり「楽しんでできること」である。高校教員になって良かったと、しみじみ思う。

 

安藤次郎先生
 「叱られたら無条件に反省すること。この無条件というところが大切である。今まで君たちを叱らなかったのはわれわれ教員の怠慢である。社会人になったら、叱ってくれる人を大切にしなさい」。

 これは統計学の安藤次郎先生からいただいた言葉である。安藤先生は統計学者でありながら、数学をほとんど使わず、社会を記述する手段としての「数字の読み方」をわれわれ学生に教えてくださった。曰く

「統計とかけてビキニ姿の美女ととく」
「その心は?」
「見たいところが隠されている」
 
 現実社会では、本当に知りたい情報は隠されていることが多い。だから、今手に入る情報だけで満足していてはいけないことをユーモアたっぷりに教えてくださったのだ。

 こうした「アクの強い」たとえ話は強烈で、37年たった今も安藤先生の名講義がふつふつと思い出される。私が、毒にも薬にもならない授業よりは「毒」を含んだ授業を好むようになった源泉は、このあたりにあるのかも知れない。その安藤先生が卒業に当たってわれわれ学生に贈ってくれた最後のはなむけの言葉が、冒頭の言葉である。その言葉を今も大切にしている。

 

水野弘士先生
 最後に紹介するのは学校の先生ではない。関西棋院所属のプロ棋士水野弘士(ひろし)九段である。2回目に引っ越した桃谷のマンションの近くに、水野先生の囲碁道場があり、たまたま通りすがりに何気なく立ち寄ったのが水野先生との最初の出会いである。

 先生は、小さい頃小児麻痺を患ったとかいうことで、足が不自由であった。しかし、そんなことを不満にすることは全くなく、性格は温厚そのものであった。そんな先生を慕って多くの囲碁ファンが先生の道場に通っていた。その中から何人ものプロ棋士も生まれている。

 水野道場では毎年正月に「新年碁会」が開かれ、その際、先生から参加者全員に先生直筆の扇子をいただくことが恒例となっていた。道場に通うようになって最初にいただいた扇子には「於環境不敗」と書いてあった。

  

 プロ棋士とはいえ、タイトルを取ってジャーナリズムにもてはやされる華やかな棋士はごく一握りにすぎない。多くのプロ棋士は、経済的に決して恵まれているとは言えない。しかし、やろうと思えば、どんな環境からだってやれなくはない。たとえコンクリートで塗り固められた地面からでも草は生える。「於環境不敗」と説く先生の言葉には不思議な説得力があり、今も扇子を見るたびに元気をもらうことができる。

 

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