民主主義と民意 2008年1月30日
では、民意が正しいということは保障されるのか? 衆愚政治という言葉があるが、民意が間違っているときどうするのかという問題は、実は民主主義の持つ根本的な問題である。日本国憲法は参議院という「理性の府」を準備したが、衆議院議員と参議院議員が同じような方法で選ばれる現状にあっては、参議院が衆議院より「理性的」であるとは認めにくい。
(2)新テロ対策特措法の成立を巡って ところが、この法案は参議院本会議で野党の反対で否決されてしまった。ここで、政府のとるべき方法は二つに一つ。廃案にするか、それとも憲法の規定に基づいて、衆議院で3分の2以上の多数で再可決し法案の成立を目指すか。政府は後者を選択した。参議院が否決したその日の午後、法案は衆議院に送られ与党の3分の2以上の賛成で可決・成立した。 ここで一つの疑問に突き当たる。確かに、憲法手続き上問題は全くない。しかし、そもそも国民が2006年9月の衆議院総選挙で自民・公明に3分の2以上の議席を与えたのは、郵政民営化 を実現させるためではなかったのか。決して新テロ対策特措法を成立させるためではなかったはずである。 それにもかかわらず、憲法上問題はないとして与党が憲法の規定に則って同法案を衆議院で再可決・成立させたのは、憲法の規定を濫用した行為というほかない。これでは、「民意無視」の行為といわてもしかたがない。 私には、なぜマスコミがこの点を問題にしなかったのか不思議である。 もちろん、2007年の参議院選挙で民主党が勝利したのは、年金問題に対する自民党の不手際に国民の怒りが爆発したためであり、新テロ対策特措法の成立を阻止するためであったわけでは決してない。同じ論理は民主党にも適用するのが公平というものであろう。 しかし、そもそも、一国の首相が外国の大統領と約束したから、何が何でも法案を通さなければならないという発想自体が間違ってはいないか。もし、民意がそうした約束に賛成しないというのであれば、トップが交代すればいいだけの話である。そのために信頼が損なわれるとしても、それは日本に対する信頼の失墜ではなく、民意を無視して勝手な約束をしてきたトップに対する信頼の失墜に過ぎない。 国民の意思をどのような形で政治に吸い上げるのか。数年に1回の選挙では必ずしも十分ではない。少なくとも、選挙に勝ったからといって 、あらゆることに「民意を得た」として民意を振りかざすのはやめてもらいたい。 |