教員の給料

 

デモシカ先生
 
今から50年ほど前の話になる。学校の先生が自宅で塾を開いたり、放課後予備校のアルバイトにいったりすることが、なかば公然とおこなわれていた。教員の給料が安く、それだけでは食べていけなかったからである。当時、教員は金銭的に決して魅力のある仕事とは言えず、先生に「でも」なろうか、先生に「しか」なれなかったということから、「デモシカ先生」などと自虐的に呼ばれたりした。

また、1971年には給特法が制定され、72年から施行された。これは教育職員の職務と勤務態様の特殊性を鑑みて、時間外勤務について労働基準法とは異なる特別ルールを定めたものである。すなわち、給与月額4%相当の「教職調整額」を支給する代わりに、時間外勤務手当と休日勤務手当が支給されないというものである。その根拠となったのは、文部省(現・文部科学省)が66年に実施した「教員勤務状況調査」で、当時の残業時間が月8時間程度だったことによる。

 


人材確保法
 
事態が変わったのは、田中角栄内閣が1974年に教員人材確保法を制定してからである教員の給与が基本給で12%、諸手当を含めれば一気に約25%引き上げられた。その結果、優秀な人材がこぞって教育界に参入するようになった。それ以来、教員は行政職より給与面で優遇され、おまけに夏休み冬休みがあり、「先生っていいわねえ」と世間からねたまれる存在になった。



新自由主義の台頭
 ところが、1990年にバブルが崩壊し、様子が変わり始めた。デフレとリストラが進行し、民間給与が下落する中で、「クビ」もなく年功序列型賃金が保障されている教員に対する風当たりが強くなったのだ。給与は ここ数年、毎年引き下げられている。その結果、 2馬力ならともかく1馬力なら生活は苦しく、毎月毎月の赤字をボーナスで埋め合わせる生活だ。

 そのうえ2000年代に入ると新自由主義が教育界にも持ち込まれ、教員の労働条件はさらに悪化した、夏休み・冬休みはなくなった。2002年に学校週5日制が導入され、 公立の進学校では、私学と対抗するために7時間目を導入したり、土曜日に先生が学校に出てきて無報酬で講習をやることが日常的におこなわれるようになった。平日の業務が増えた上、土曜日も出勤することが当たり前のようになったのだ。

 現在、小中高教員の平均残業時間は1日約2時間。一般公務員の3〜4倍だといわれる。教員の残業は事務職と同様の時間管理が難しいため、全教員に一律4%の教職調整額が支給されている。残業をしてもしなくても4%の残業手当がもらえるなら「おいしい話」ではないか、と思われるかもしれない。

 しかし、人材確保法が制定された頃の教員の残業時間は月8時間であった。それが現在では月30時間を超えている。それだけではない。実は、この30時間という数字には土日のクラブ付き添い等の時間は含まれていない。 土日の出勤を考えると、実質的超過勤務時間は月50〜60時間は軽く超えていると思われる。 中には朝7時に出勤し、夜11時頃まで仕事をし、過労死ラインの月80時間を超えることが常態化している先生もいる。日本の教師は世界一忙しい?と言うのは、本当かも知れない。

 しかも、クラブ活動で1日出勤しても「教員特殊勤務手当」が3400円つくだけである。丸1日拘束しておいて、その代償が3400円とはずいぶん人を食った話である。生徒のためと思って教員は文句も言わず働いているが、実はみなヘトヘトに疲れ切っている。教員の世界はいまやブラック職場の代表例だ。教員のなり手が減少しているのは当然のことである。

 

成果主義の導入
 
ところで、自動車保険に入れば、事故に対する責任感が希薄になり、スピードを出しすぎるかもしれない。これをモラルハザード(moral hazard)という。モラルハザードとは、もともとは保険用語で「倫理感の欠如」という意味で使われていた。

 公務員である教員の給料は長い間「年令」序列であった。「年功」序列ではない。頑張っても頑張らなくても基本的に給料は変わらない 年功序列型であったのだ。幸いにして、教員は比較的高いモラルの持ち主が多いことや、マスコミおよび市民の厳しい監視下にさらされていることなどから、それほどひどいモラルハザードは起きていないように見え た。

 しかし、世を上げて成果主義がもてはやされる昨今、教育界にも成果主義を導入し、教育の質を高めようという 動きが加速化している。しかし、教育と成果主義は、はたしてなじむのか。教育はチームとして行なう要素がほかの企業より強いように思うのだがどうだろうか。

 

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