歌舞伎

 2007年05月20日
 

 56歳にして、江戸時代の大衆芸能である歌舞伎を初めて見た。歌舞伎に関する私の知識はほとんどゼロに等しかった。せいぜいが、男ばかりでやる舞台だとか、映画で見た板東玉三郎は女以上に女っぽく演じることができる役者だとか、そんな程度だった。坂田藤十郎が人間国宝なんてことや、坂田藤十郎の奥さんが扇千景であることや、妹が中村玉緒であることなど、全く知らなかった。今回本物を見て、一生の内に一度は本物を見ておくのもいいものだと思った。

 坂田藤十郎が演じる「鏡獅子」はなかなかの迫力だった。以前、テレビで獅子が髪を振り回すあの有名なシーンを見たことがあるが、本物はテレビとは全く違った。迫力がちがうのだ。

 「衣裳がきれい」とか、「セリフがよく聞き取れない」とか、「解説を読まなければストーリーが全く分からない」とかいろいろな感想を持ったが、それも本物を見たから言えることである。お囃子などは何を言っているのか分からなくても芸術の香りが感じられたから不思議だ。また、一つ聴いていても、いろんな音を出せることが分かった。

 歌舞伎初体験の中で、特におもしろかったのは、客席からあがる「掛け声」である。通常、一般の芸術舞台では、上演中に拍手はもちろんのこと「掛け声」を発するなどとんでもないことである。ところが歌舞伎はそうではない。「やましろやー」とか「いよっ、ごりょうにん!」「まってましたー」などと、間合いを見計らって実に気持ちのいい掛け声が客席からあがる。これはよほど慣れてないとできることではない(最初、「やらせ」かと思った)。

 掛け声が舞台の役者の良さを引き出し、客席と舞台を一体化させ、両者の距離を一気に縮める。歌舞伎には見るおもしろさだけではなく、参加するおもしろさもあるということを初めて知った。特に「見得」を切ったあと掛け声がかからなかったら、役者は張り合いをなくすのではないかとさえ思った。

 舞台は役者一人で作るものではない。観客の声援が舞台をさらに盛り上げる。授業も同じだと思った。

 

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