高校必修漏れ事件の背景にあるもの
高校の必修科目の履修漏れが表面化し、問題となっている。これほど大規模に不正カリキュラムが横行するようになった原因はいったいどこにあるのだろうか。 最大の原因は 2002年度から学校が週5日制になったことである。そのため土曜日に授業が行われていた頃に比べ、公立高校では1週間に4時間も授業時数が減少してしまった。その一方で必修科目は増えたからたまらない。2003年度からは新たに「総合学習」(3単位)と「情報」(2単位)が必修になった。授業時数が4時間減った上に5時間分の授業が上乗せされたのである。その分の授業時数をどのように捻出するか。進学をめざす多くの中学生が私学に流れ、公立高校の進学実績は大打撃を受けた。危機感を抱いた公立高校は巻き返しに転じた。土曜日に無給で講習をおこない、それでも足りず、最後の禁じ手として裏カリキュラムの作成に手を染めた。公立の攻勢に私学も応戦する。親方日の丸の公立と違い、進学を売り物にする私学の危機感は公立の比ではなかったはずだ。 こうした学校間競争をさらに煽ったのが、教育界の規制緩和である。生徒や保護者から選ばれる学校になるためには、大学入試で今まで以上の実績をあげることが求められる。満員の映画館で一人が背伸びをすればよく見えるが、みんなが背伸びをすれば、もっと背伸びをしないと見えない。競争原理の導入によって、それと同じことが教育界で生じたのだ。 ◆ ◆ ◆そうした事情に加えて、学校内部の体質の問題もある。もし授業時数を減らせば、それを教える教員数も削減しなければならない。その場合、英語・数学・国語といった「主要」教科は、受験の配点が高いことを理由に、授業時数の削減には強硬に抵抗する。そこで、まず受験に直接関係がない「芸術」「家庭」「体育」「情報」が狙われる。それでも足りなければ、比較的受験科目のウエートが小さい社会科が狙われる。もちろん、職員会議の最終決済の権限は校長にある。しかし、その校長も保護者や地域から大学入試で「進学実績」を出すことを求められているから、たとえ不正であると認識していても、ゴーサインを出す。しかも、よそもみんなそうしているとなれば「みんなで渡れば怖くない」という心理が働き、罪悪感も和らぐ。 去年から一部の医学部の受験科目に理科3科目(物理・化学・生物)を要求する大学も出始めた。授業時数が削減される一方で、受験科目が増加する。高校の悩みはさらに深刻になっている。 ◆ ◆ ◆ 本来、高校でのカリキュラムは、20年後、30年後の人生の基礎作りの観点から作成されるべきものである。しかし、最近のカリキュラムは、受験対策や学校内部の人事優先で決められることが多いように思われる。 今回の不正カリキュラムの根は深い。情報の必修化は、実はITバブルの残滓ではなかったのか。総合学習の導入は現場のニーズを無視した理念の一人歩きではなかったのか。ゆとり教育の名の下に、電車の本数を間引きし、その一方で、さらに多くの乗客を詰め込もうとしたのはいったい誰か。文部科学省は、責任を現場の校長や教育委員会に押しつけるのではなく、自分たちが不正を強制する元凶になったことをまず素直に認めるべきである。 将来の日本の大人を育てるためには、高校で何を教えなければいけないのか。今回の事件の発端となった土曜日の授業のあり方の検討も含め、徹底的に議論をする必要がある。 (2006年11月5日) |