働くことの喜び

 2007年01月22日
 

 もし3億円の宝くじに当たったら、誰に聞いてもすぐにも仕事を辞めてぶらぶら遊んで暮らしたいと言うだろう。すなわち、遊びは楽しく、働くことは苦痛と考える人がほとんどである。

 しかし、中にはそうでない人もいる。「快楽」とまでは言わなくても、働くことが大好きだという人々である。たとえば、プロスポーツ選手芸術家、あるいは研究者などにこのタイプの人が多い。彼らにとって仕事は自己実現のための手段であり、自分の充足感を満たすための不可欠の要素である。好きなことをやってお金がもらえ、生活ができる。それは最高に恵まれた人生とも言える。

 かつてマルクスは、芸術家や研究者の仕事をモデルに、働くことは本来「喜び」であると考えた。ところが資本主義下で賃金労働者となることによって、作ったものが自分のものにならない、分業によって仕事がつまらなくなる、他人をけ落として生きざるを得ないなど、いわゆる「疎外」と呼ばれる現象が起き、労働が「苦痛」に変わったと論じた。確かに自動車工場のベルトコンベアーの流れ作業を見ていると、マルクスの主張にも一理あるように思う。しかし、だからといって資本主義を倒して社会主義に転換すれば、労働が喜びに転換するとも思えない。

 考えてみれば、今の世の中には働きたくても働く場を与えられない人がたくさんいる。とくに、バブル崩壊以降の就職氷河期に労働市場に放り出され、「就職適齢期」を逃してしまった人たちは気の毒というほかない。新卒しか採用しない風潮のある日本社会において、彼らはまさしく政府の経済政策失敗の犠牲者である。このまま放置すれば、蛇が卵を飲み込んでそのまま割れずに移動するように20年後、30年後、彼らが社会のお荷物として問題になること必至である。

 私は今の仕事で3つ目であるが、30歳をすぎてようやく教員という天職と呼べるものに遭遇できた気がする。転職が天職に通じた珍しい例と言えるかもしれない。働く場を与えられ、働くことが楽しいと言い切れる職場に恵まれたことに感謝したい。

 しかし、その一方で(こと就職に関しては人一倍苦労してきたので)、今、フリーターとか派遣の立場にあり、正社員になりたくてもなれない人の不安な気持ちが痛いほどよく分かる。こうした立場にある人たちに、政府は積極的に救済の手をさしのべるべきだと考える。
 

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