学力低下の背景にあるもの
(2007年1月2日)

 

 ゆとり教育と称して学校が土曜日休みになり、教科書の内容が削られ、そのあげくに日本の子どもの学力が低下したと蜂の巣をつついたように大騒ぎしている。確かに、授業時間数が減った上に必修科目が増加したのだから、学力が低下しないはずがない。新聞の論調はすべてそうした視点から書かれている。

 しかし、学力低下問題をすべて、ゆとり教育のせいだけに押しつけるのは早計だ。日本の学力低下問題はそんな単純なものではない。そのほかにも原因が考えられる。

 

学力低下の原因(その1)
 
第一に、学力低下はしつけ力低下の結果だとも考えられる。戦後、都市化・核家族化が進み、家庭のしつけ力が確かに低下した。おじいちゃん、おばあちゃんは家にいないし、両親も共働きで、子どもと接する時間は短い。せっかくの夕食もテレビが主役で、食事が終われば子どもはさっさと自分の部屋にこもってしまう。父親は毎晩仕事漬けで、夜10時にならないと帰らない。

 そうした中で、子どものしつけができるだろうか。常識が育つだろうか。自分勝手を個性と勘違いする子どもが出てきたとしても、子どもだけを責めるわけには行かない後ろめたさが親や社会にはある。

しつけがなっていないものだから、我慢することができない。厳しく自分を律することができないのだ(自律心の欠如)。だから、学校の勉強を一生懸命しなければならないのに、ついつい怠けてしまう。学習の習慣が身に付かない。遊びにうち勝つ強い精神力がなくて、どうやって勉強できるのか。きちんとした生活習慣(凡事徹底)こそが学力を付ける第一歩である。それができていない結果として低学力が引き起こされる。

次の図は、1年生のあるクラスの1・2学期の遅刻回数と成績(学年順位)の関係を示した図である。遅刻回数が4回以下の者の学年順位の平均が132位であるのに対して、5〜9回が242位、10回以上が267位と、遅刻回数が多い者ほど成績が悪いという結果がはっきり出ている。自分に対する甘さが、遅刻や学習習慣の欠如という形で現れていると思われる。


  - 遅刻回数と成績との関係 -


  もし、家庭にしつける力がなければ、どうするか。学校がやるしかない。他に誰がやれるというのか。現にそれを売り物にしている私学もある。生活指導こそ学校の基本である。だが、残念なことに、今の公立学校には生徒を十分にしつけるだけの権威と権力が与えられていない。 大阪のある府立高校で実際にあった話である。指導に従わない生徒に業を煮やした先生が、生徒に手をかけようとした。すかさず生徒が言い返した。

「先生、殴れるものなら殴って見ろ、一発、300万円だぞ」

体罰を加えれば裁判では100%負ける。それを見越しての言葉である。一体誰がこんな入れ知恵をしたのか。これではわが身をリスクにさらしてまで真剣に指導しようという教師が出てこなくなるのは当たり前である。子どもを巡る環境はどんどん変化する。それにもかかわらず、教育理論や制度は昔のままで変わらない。結局、現場の教師がその狭間にあって、円形脱毛症や胃潰瘍を病み、ときには精神的に追いつめられ休職を余儀なくされる。

 

学力低下の原因(その2)
 第二に、
子どもを誘惑する「遊び」が多すぎることも学力低下の原因だ。昔と違って今の子どもたちには、ケータイ、テレビ、マンガ、ゲームなど、興味を引くものがいっぱいある。勉強より面白いものがいっぱいあるのだから、「難しくて」「苦しい」勉強に目を向けなくなるのは当然だ。

 今の高校生が1日平均どのくらいこうしたものに時間を費やしているのか? その統計すらないのが実態だ特にケータイ電話の影響は無視できない。授業中にもかかわらずケータイ電話で一生懸命メールを送っている者や、中には、ケータイ代を払うためにアルバイトをして疲れ果て、授業中寝ている生徒もいる。これでは学力が身に付くはずがない。

こうしたことの背景には、子どもを金儲けの対象とする資本主義という制度自体の問題がある。まだ判断力のない子どもをターゲットに商品開発をし、流行を作り出し、「みんな持っている」とせがまれれば親は買わざるを得ない。経済成長さえすれば何でもいいのか。金さえ儲かれば何をしても許されるのか。

ケータイ、テレビ、マンガ、ゲームなどにうつつを抜かす生徒は、いわば資本主義的金儲けの犠牲者だと言える。もちろん、中には信念を持ってテレビを買わない親、ケータイを持たせない親もいないことはない。また、そうした誘惑にうち勝つ強い意志を持った生徒もいる。

しかし、そのような生徒や親は社会全体としては少数である。多くの生徒は誘惑に負けてしまい、勉強に関心を示さなくなる。結果的に、日本社会は勉強をする少数の集団と、勉強をしない多数の集団に2極分化する

 

学力低下の原因(その3)
 第三に、
学力低下は日本が豊かになった結果生じたとも考えられる。われわれが小さい頃は、少ない食べ物を家族みんなで分け合って食べた。もう一切れほしいと思っても我慢した。ところが、今の子どもはひもじい思いなどしたことがない。むしろ、好きなだけ食べていかにやせるか(笑)が問題なのだ。

 生まれたときからエアコンがあるのが当然だと思っており、暑ければクーラーを入れ、寒ければ暖房を入れる。少しばかりの距離を移動するにもすぐ車に乗る。日本社会全体が豊かになった結果、子どもたちから我慢する機会が奪われてしまったのだ。おまけにボタン操作一つで何でもできるため、あらゆる製品がblack box化し、ものごとを考えるということもしなくなった。

親の財産もそこそこある。特に努力しなくても人並みの生活ができる。毎日お風呂やシャワーを浴びることもできる。 当面はアルバイトやフリーターでも食っていける。何を好きこのんで苦しい思いをして勉強をする必要があるのか。子どもたちがそう思ったとしても不思議ではない。

要するに、豊かになった結果、ハングリー精神がなくなってしまったのだ。われわれの時代は、日本全体が貧乏だった。うまいものを食いたければ勉強するしかなかった。きれいな服を着るためには勉強するしかなかった。いい家に住みたければ勉強するしかなかったのだ。子供心にも、貧乏から逃れたい一心で勉強をしたのだ。

豊かになった今、子どもたちにハングリー精神をもてと言っても効き目はない。勉強への強烈な動機づけが失われてしまっている。中国人の子どもたちの勉強時間が、日本人の子どもたちより3倍も長いという事実は、勉強の動機づけとしてハングリー精神がいかに重要な働きをしているかを物語っている。

 

学力低下の原因(その4)
 
学力低下は若者の価値観の変化によるところも大きい。私たちが小さい頃は、いい大学に入っていい会社に就職し、終身雇用と年功序列型賃金に守られてそれなりの人生を送ることが一つの成功物語だった。口には出さなくても密かに立身出世をもくろむ者も少なくなかったはずだ。

 ところが、バブル崩壊後、立身出世のイデオロギーは変わった。いい大学に入ってもいい就職口がない。 良い大学、良い会社という「勝利の方程式」が崩壊してしまったのだ。かりにうまく就職できて会社のために 身を粉にして働いても、40代でリストラの対象になり、関連企業へ出向という名の片道切符が渡される。

 要するに、苦労してもそれに匹敵する見返りが期待できなくなったということだ。人生におけるごく一握りの「勝ち組」と「その他大勢」。子どもたちはそうした親の姿を見て、いい大学→いい会社が、必ずしも幸福ではないことを肌で知ったとしてもおかしくはない。

 

学力低下の原因(その5)
 また、
少子化が学力低下を招いた面もある。大学全入時代を迎え、努力しなくても大学に行ける時代が来た。欲張らなければどこかの大学に入られる。かくして学力の低い生徒は努力しなくなり、それが学校全体の雰囲気を壊し、できる生徒の足を引っ張る。もちろん、しっかりした目標を持っている生徒はそうした生徒に流されることはないが、一般的にいえば、
悪貨が良貨を駆逐するという現象は経済法則に限ったことではない。

 

学力低下の原因(その6)
 
生徒がいったん努力しなくなると、教師は何とか分からそうとして、より分かりやすく、より丁寧に教える。その結果、生徒はますます努力を怠るようになる。努力しなくても分からせてくれる教師がいい教師で、勉強とはボーっと座っていても理解できるものだと錯覚する。そして、ますます柔らかいものしか食べなくなっていく。

 こうなれば悪循環である。学校だけで分からなければ塾に通う。塾では親に高い授業料を払わせている手前、すぐ点数に結びつくような即効性のある教え方が最優先される。「はい、これを覚えて」。

 試験に関係のない科目は切り捨てられ、楽をして最大の効果を上げることばかりが追求され、効率優先の思想が蔓延する。数学でもいろんな解き方を「鮮やかに」示してくれるより、一番簡単なとき方一つだけを教えてもらいたがる。

電子辞書、DVD、さまざまな英語教材がそろっているにもかかわらず、今の高校生の英単語力は、僕らが高校生だったときより明らかに劣っている。分かりやすい授業も大切だが、その大前提として生徒自身の努力が必要なことは言うまでもない。

勉強はまず生徒自身が努力すべきだ。分からなければ友達に聞く、参考書で調べる。そうした努力をした上で先生に聞くべきだ。そうした努力をしないで、分かる授業をしてほしいとか、先生の授業が下手だなんて、冗談ではない。もっと固いものを時間をかけてしっかり食べさせることが必要だ。遠回りをする方がかえって早くたどり着けることがある。

 

学力低下の原因(その7)
 結局、さまざまなことが原因となって、現象としては生徒が勉強しなくなっている。
今の日本人高校生は、中国人生徒の3分の1しか勉強していない日本の学校外の勉強時間が平日で50分であるのに対して、中国では147分であるという。しかも1980年の日本の平均が100分であったというから、この20年あまりで半減したことになる。勉強時間が少なくなれば、学力が低下するのは当たり前である。なぜここまで勉強しなくなったのか。

学校で勉強する時間を増やせば学力がすぐ上がるものでもない。少人数にすれば、すぐ学力が上がるものでもない。学力低下問題は、上に述べたような社会全体の大きな変化という視点からもっと分析する必要がある。

 

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