岸和田のイメージ・・・

2006年9月17日

 

 岸和田といえば、いったい何を思い出すだろう?
多くの人が共通に持っているイメージは、「だんじり」「清原選手」「柄が悪い」(笑)ということではなかろうか。実は、私も3年前に岸和田高校に赴任するまでは、そんなイメージしかなかった。ところが、実際の岸和田は全然違っていた。

 まず、だんじりであるが、 これは毎年9月におこなわれ、祭り当日には岸和田市の人口の3倍にあたる60万人の見物客がやって来る。だから、岸和田の人は老若男女みなだんじりを曳いているものと思っていた。

 ところが、これが誤解だった。岸和田高校の生徒に限って言えば、彼ら(彼女ら)は、ほとんどだんじりを曳いていない。参加しているのは、クラスに一人か二人程度である。以前勤務していた高校では、生徒の多くがだんじりを曳いていたから、ちょっと意外な感じがした。

 参加しない理由は、祭り本番に備えて、何ヶ月も前から、夜遅くまで青年団の会合に出なければならないことや、青年団の持つ独特の雰囲気になじめない、といったことが理由らしい。だんじりの曳き手が足りないところが結構あるようだ。

 考えてみれば無理もない。夕方6時過ぎまでクラブ活動をやり、家に帰れば7時過ぎ。それから夕食をとって風呂に入れば、あっという間に9時である。学校の宿題や予習・復習もやらなければならないから、とてもだんじりなど引いている暇はない。

 2日間の岸和田祭りが終わると、町中ゴミだらけになる。道ばたのあちこちに、足の踏み場もないくらいにゴミがまき散らされる。しかし、次の日に行ってみると、ゴミのかけらもない。町中舐めてもいいくらいに(笑)、きれいに清掃されている。見事である。

 

 柄が悪いというのも偏見である。今年、クラスの生徒40人と一緒に六甲山に遠足に出かけた時のことである。向こうの人から、「岸和田から生徒が来るというので、ちょっと身構えていましたが、ずいぶん行儀のいい生徒さんでびっくりしました」と言われた。
 
おいおい、それはないだろうと思ったが、世間一般のイメージはそんなモンかなと、妙に納得してしまった。

 たしかに、きちんとした言葉遣いができない生徒がいる。妙になれなれしい言葉で語りかけてくる生徒もいる。しかし、根は優しいのだ。田舎育ちだから、言葉遣いを知らないだけである。むしろ、その純朴さは、田舎の善さといえなくもない。

 大阪という土地柄は、「北高南低」といわれ、大和川を越えて南に行くと、文化果つるところと思われている(笑)。だが、決してそんなことはない。デザイナーのコシノジュンコさんは岸和田高校出身だし、関空から飛行機に乗れば、全国の主要都市へ1時間半以内で行ける
 わが岸和田高校の蔵書には『解体新書』初版本という貴重な本(時価ウン百万円?)もある。難波から岸和田までは電車でたったの30分である。岸和田って大阪市内から意外と近いのである。
 これで、大阪南部にももうちょっと国公立大学がいくつか来てくれたら・・・。

                            

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