当世大学院事情

 

 われわれが学生時代だった40年くらい前、文系学部の大学院といえば大学の先生になるためのコースだった。募集定員10名とあっても、眼鏡にかなった学生の応募がなければ、合格者が2〜3名とか、ひどいときにはゼロなんてこともあった。

 ところが、最近は全く様変わりである。文部科学省の大学院重点化政策 (=大学院大学の設置)により、大学の研究費が、大学院在籍者数や博士号の発行数に応じて配分されるシステムが導入されたため、大学はできるだけ多くの院生を集めることが必要になった。

 その結果、大学院のインフレ現象が起きている。高校生には超難関と思われている大学でも、大学院入試は意外と簡単なことが少なくない。だから、大学院は「最終学歴書き換えの最後のチャンス」ともいわれるのである。

 もちろん、そうした事情を社会はすでにとっくに知っている。だから、入社試験でどこの大学院を出たかよりも、どこの大学に「合格」したかを重視する企業もあると聞く。また、せっかく大学院で博士号を取ったとしても、よほど運が良くなければ大学の先生のポストにはありつけない。

 特に文系学部の場合は、なまじっか博士課程までいくと「社会復帰が困難」となる。ウソではない。次の有名なお話を読むとよい。ただし、無職(16%)、不明(8%)の説明は多分に誇張があり、適切ではないと思われる。

博士が100人いる村

なお、データは古いが、次のサイトも参考になる。
博士課程の進路別卒業者数(平成12年)
 

 研究者に必要な資質について内田樹氏は、「身分の不安定さをまるで気にしないで笑って暮らせる能力であり、生涯定職なし、4畳半暮らし、主食はカップ麺、というライフスタイルであっても、『ま、いいすよ。おれ勉強好きだし、好きなだけ本読んで、原稿書いてられるなら』と笑えるような精神の持ち主であること」と述べている(『街場の大学論』)

少子化が進み、大学はこれからいよいよ本格的な冬の時代を迎える。

 

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