公務員のコスト意識
2004年11月 3日 記
2008年 1月19日加筆修正
民間企業の場合、時間給1000円の人に出来る仕事を、時間給3500円の人にさせることはおおよそあり得ない。そんなことをしていたら、その会社は倒産する。ある商社で大学卒のエリート社員がコピーを取っていたら、「会社は君にコピーを取ってもらうために高給を払っているのではない」と上司から叱られたそうである。
公務員と民間企業の一番大きな違いは、働く人のコスト意識の差である。民間企業では、常に、投入した費用に対していくらの利益を上げたかという利益率が問われる
。これに対して公務員の場合、日常業務の中でコストが意識されることはほとんどない。とくに人件費という概念は全く欠落しているといっても過言ではない。
たとえば、1回の職員会議には、一体いくらの人件費がかかっているのか。教職員の年間所得を仮に
600万円とすれば、年間労働時間2000時間(8時間×250日)として、一人あたりの時間給は約3000円になる。もし60人の教職員が2時間の会議を持てば、1回あたりの職員会議のコストは人件費だけで
36万円ということになる。
経済学には「機会費用」という考え方がある。一般的に、Aという行為をおこなうことは、Bという可能な別の行為を犠牲にしておこなわれている。したがってAを選択した場合、Bを選択したならばえられたであろう利益を犠牲にしていることにな
る。この犠牲になった利益が機会費用である。職員会議は、実は教員が勉強をすることにより得られる利益を犠牲にしておこなわれているのである。
このことの持つ意味は重要である。教員が勉強を怠れば、それは授業の質の低下となって現れる。しかも、厄介なことに、授業の質の低下は外部からはなかなか分かりにくい。教員仲間でも、ほかの先生がどういう授業をしているかは、生徒の噂としてうかがい知ることが出来るだけである。どのようにして授業のレベルアップを図るか。それはわれわれ教員の最重要課題でなければならない。
もちろん、こういう事例を持ちだしたからといって、私は職員会議の重要性を否定するつもりは全くない。要は機会費用という考え方の大切さを知って欲しいだけである。
学校には、最近、授業のためになるのかどうか疑わしい仕事が次第に増えている気がする。そうした仕事が増えれば増えるほど、授業という一番大切なサービスの質が低下するということを、私は恐れるのである。
ちなみに、2007年3月30日の1日間に行われた会議を次に列挙する。
・職員会議
・人事委員会
・運営委員会
・職員会議
・教科会議
・学年団会議
・分掌会議
・人権推進委員会
・岸高祭担当者会議
・岸高桜祭り連絡会議。
全部で10個である。私はそのうちの8つに出た
。4月からの新年度体制の最終調整ということで、1日にこんなにたくさん会議があるのはこの日ぐらいのものだが、1日に3つとか4つの会議が入ることはザラである。
民主主義とは手続きがすべてである。面倒くさくても、会議によって合意を得る手続きは大切だ。
しかし、その背後に教材研究という教員にとって一番大切な時間が失われていることを忘れてはならない。
(蛇足ながら、現在、本校ではコピー機が事務室に1台しかない。そのため、教員は、コピーを1枚取るためにわざわざ100メートルほども離れた職員室から事務室までテクテク歩いて往復しなければならない。
せっかく出向いても、他の人が使っている場合は、また出直してこなければならないこともある。こうした時間の無駄は、金額になおしたら年間いくらになるであろうか。)
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