テレビの吾郎君 '01 Jan.〜Feb.(前半)

ここではとにかくごろちゃんがテレビ出演したものについて、番組レポと適当な感想と入り乱れて勝手なことを書いているコーナーです。
書くときの気分によってレポート風になったり、雑談っぽくなったり、愚痴だけになったりしてますが、お時間あればお付き合い下さいm(_ _)m

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<<私自身がチェックできた番組>>

『ショパン 二つの愛の物語』 01.2.10 Sat 15:30〜16:55 日テレ系列

『慎吾ママのおっはーは世界を救う』 01.1.8 Mon 19:00〜20:54 フジTV系列

『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』 01.1.1 Mon 21:00〜23:30 フジTV系列

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『ショパン 二つの愛の物語』 01.2.10 Sat 15:30〜16:55 日テレ系列 ページの最初へ

待望の吾郎君単独出演特番でございます。「単独」っていうとかなり久々ですね。ところでこの日の朝刊のテレビ欄『SMAP稲垣吾郎が冬のヨーロッパで見たショパンの魂とは〜ピアノで奏でる恋人へのメッセージ』な〜んてタイトルが変わっていたのにはびっくりしましたが(“稲垣吾郎”はいいけど、“SMAP”は宣伝に使ってるみたいで嫌だったわ)、いざ始まった番組では、『ショパン 二つの愛の物語』になっていましたので、ここでは初志貫徹で『ショパン 二つの愛の物語』(正確には『マクセル スペシャル「ショパン 二つの愛の物語 ピアノの詩人ショパン名曲に秘められた夢と心の旅」』)を採用したいと思います。

さて、今回の番組は「死後150年以上を経過してもなお、人々の心をとらえ続ける天才音楽家,フレデリック・ショパン。ピアノの詩人と呼ばれるショパンの、その短くも激しいショパンの生涯を追いかけるドキュメンタリー番組」です。そして番組のもう一つの柱は、昨年10月にワルシャワで行われたピアノ演奏会「ショパン・コンクール」の模様を紹介。ショパン・コンクールの模様は、ピアニストの中村紘子さんがメインで案内を担当し、そして、ショパンの人生の足取りを追うナビゲーターが吾郎君です。ついでに、番組内のナレーションの大半が吾郎君が担当しており、土曜日の昼下がりの割には、贅沢な番組ですね。
今回の放送はマクセルがショパンコンクールのスポンサーになっていたことから企画されたもののようで、こういう企業イメージ重視の番組は内容重視で作られるから、そういう番組への吾郎君出演というのは嬉しいですわ。
今回の放送、ヨーロッパの景色と、極上のショパンの音楽(ピアノ)を背景に、まるで吾郎君のプロモーションビデオのような気分で見てました(^^;)。まぁ、ナビゲーターという立場上、もちろん、ナビゲーションする内容(語り)は決まっているので吾郎君のドキュメンタリーではないのですが、「吾郎君がショパンゆかりの地を訪れる絵」というのは非常に趣があって有意義でした。

こういう番組を見ると、吾郎君っていい男になっていってるなぁ、ということが実感できて嬉しい。もちろん「いい男」というのは格好良いという意味だけじゃなくてね。

さてさて、今回の渡欧はエッセイ用の写真撮影も兼ねているハズ!(そうだよね、きっと)。これはエッセイの単行本発売も期待してしまいますわ〜。

(01.2.11)

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さて、折角、極上の番組だったので、今回もレポ形式の感想をいってみよう!(まぁ、私のレポじゃぁ、かえって品位を落としているという話もありますが…(笑))。以下、”ショパンコンクール”の方まで書くのはしんどいので(と言うよりも、無知無教養ゆえ、書けないの…(ToT))、吾郎君の”ショパン紀行”限定とさせて頂きました。でも、一気に書いたので、間違いが多いかもしれない…(また時間があれば直していくのでお許しを〜。)

 
番組冒頭
スペイン・マジョルカ島

マジョルカ島へ向かう船上の吾郎君の絵(*^^*)。

今もピアノの詩人と歌われるフレデリックショパン−その繊細なピアノの調べの中に彼が秘めた思いとは、何だったんだろう?

マジョルカ島・ヴォルデモーザ僧院〜この僧院の一室で、そばにある1台のピアノの紹介をする吾郎君。

  吾郎 「ここにあるのは、実際にショパンが弾いていたピアノの中で、今に残ってい
      る数少ない一つだそうです。ピアノの詩人,フレデリック・ショパン−彼が
      この世を去ってから 150年以上経っていながら、今なお輝きを失わずにひき
      つがれている魅力とは何処にあるのでしょうか?
      これから僕はそのピアノの詩人、フレデリック・ショパンの詩人の心を求め、
      旅に出たいと思います」

 
コンセルヴァトワール・ドラマティーク
フランス・パリ

というわけで、ショパンの生涯を振り返る番組の始まりです。まずは、パリのコンサートホール。客席後方の入り口から吾郎君が入ってきて、今回、ショパンの人生の転機において作曲した曲を弾きながら、番組に花を添えて下さるステージ上の一人の男性に向かって進んでいきます。

これからピアノでショパンの心を奏でてくれる僕の番組のパートナーを紹介します。フランスのピアニスト、マルク・ラフォレさんです。

ゆっくりとラフォレ氏に歩み寄り、両手で握手を交わす吾郎君。

  ラフォレ「これからショパンの音楽と人生をあなたとピアノで旅をしましょう」

 マルク・ラフォレ:1985年、ショパンコンクールで2位に輝き、マズルカ賞も受賞。
          パリを中心に世界的に活躍中しているピアニストです。

 
1831年 ショパン21歳
フランス・パリ・ポワソニエール通り

ポーランドを離れたショパンが、1年以上の放浪の末、パリに辿りついたのが1831年秋,ショパン21歳のとき。吾郎君は、ポワソニエール通りにあるというショパンがパリに来て最初に住んでいたという部屋にやってきます。6階にあるというその部屋で、実際に窓から街の通りを眺めながら、当時のショパンについて紹介します:

  吾郎 「今ではどうといった風景ではありませんが、当時はモンマルトルまで見渡せ、
      大変、眺めが良かったそうです。でも、ひ弱なショパンらしく、6階までの
      階段は誰も羨ましがらない、と少々こぼしてもいます」

 
1832年 カデ通り サロン・プレイエル
フランス・パリ

吾郎君、ショパンがデビューしたホール、サロン・プレイエルの前にもやってくる映像が入りながら、この頃のショパンについてのナレーションが重なります。ショパンは1832年2月26日、パリのカデ通りにあるこのサロン・プレイエルでデビューし、大成功をおさめる・・・。

♪ 『華麗なる大ポロネーズ』〜演奏:マルク・ラフォレ

そして映像は再びラフォレ氏がピアノ演奏をして下さっているコンサートホール。最初にラフォレ氏が演奏している曲は、ショパンがデビュー当時に作った曲『華麗なる大ポロネーズ』。広いコンサートホールの客席、ただ一人でその演奏を聴いている吾郎君。こういう状況で違和感がないのがまた素晴らしい(と、今回はとにかく、べた褒めする私(^^;))。そして、その曲に対して、ここでは吾郎君自身の感想が語られます:

  吾郎 「やっぱあの…一番、何て言うんですかね…その…まぁ、パリに出て間もない
      頃ですよね?やっぱすごい明るい未来と希望というか、光がこう…見えてく
      るような…。
      デビュー曲は、やっぱり元気な曲が多いですよね、そういった意味ではね。
      僕らも思い出すと恥ずかしいですけど…すごい元気な歌でしたけども…
」(^^;)

と、最後は少し自分達と比較しながら語ってます(^^;)。ショパンとSMAPを比べていいのだろうか?SMAPファン以外の反応を気にしたりもしましたが、デビュー曲は確かに今のアイドル以上にアイドルしてるよねぇ…(苦笑)。

 
ル・プロコップ
フランス・パリ

続いて、当時、ショパンが食していたものを求めて、300年以上続くという当時のレストラン『ル・プロコップ』に出向きます。テーブルに座って、「お腹すいてたんだよね、ちょうど…」な〜んて言いながら、出された料理『アンドゥイエット(豚の内臓の腸詰&ポテト添え)』に目をやります:

  吾郎 「腸詰、ソーセージみたいな…(一口食べみて)クセある(^^;)…結構クセあるね。
      あのね、あと…市場の味がする。マルシェの味っていうか、なんかこう、市場
      の匂いがする


と、感想を述べる吾郎君ですが、画面左下には『内臓を煮込んだ濃厚なソースは、かなりきつい!味だった…』という字幕が。それでも格好つけてそれなりに食するところは偉いと言うべきか?(^^;)

 
1835年 ショパン25歳
フランス・パリ

パリで人気のピアニストとなったショパンは、まもなく一人の女性と恋に落ちる。女性の名前はマリア・ヴォジンスカ。同じポーランドから来ていた貴族の娘だった。マリアは自らの思いをショパンに書き送り、ショパンはそれに励まされるようにピアノに打ち込むのだった。こうして1836年の夏、ショパンとマリアは婚約する。

そして、吾郎君はセーヌ川沿いの道にいて・・・

  吾郎 「だが、ショパンの幸せは、長くは続きませんでした…」

と、このたった一言のために、このショット!今回の番組は贅沢すぎますねぇ(^o^)。

ポーランドの貴族の娘,マリアと婚約し、幸せの中にあったショパン。だが、その婚約は理由も告げられず、一方的に破棄される。この恋の形見こそ、ショパンの名曲別れのワルツである。

♪ ワルツ第9番・変イ長調『別れ』〜演奏:マルク・ラフォレ

ショパンにとってこの別れは心に深い傷となって残る。彼はマリアから送られてきたバラの花を一包みにし、我が悲しみとして書き記し、生涯それを手放すことはなかった・・・

そのピアノ曲と重なって、吾郎君が夜のパリの街中を彷徨う映像が入ります。車の行き交う夜の通り、観覧車をバックに歩く吾郎君、凱旋門が遠くに浮かぶ光景を背景に立つ吾郎君・・・もう、1つ1つが「ありがとうございますぅ」と言いたくなるような映像です(^o^)。

  吾郎 「ショパンは、きっと言葉はね、まぁ、下手だったというか、こう上手く自分の、
      ねぇ…感情を言葉で表現することが出来ない分、ピアノで表現したんだと思う
      んですけど。
      僕・・・とはやっぱり違いますね、正直言ってね。僕は言葉は結構、達者です
      から(笑)。
      う〜ん、まぁでも、どうだったんでしょうね。うん。もう、それしかなかった
      んでしょうね。それが全てだったんでしょうね。まぁ、でも、今の世の中では
      それって逆に許されないのかもしれないですよね。やっぱりちゃんと言葉で通
      じないと。ショパンは芸術家であって、そういう天才的なピアニストだったか
      ら許されたのかもしれませんけれども…

 
ルーブル美術館
フランス・パリ

まだ夜が明けきっていない時間帯。ショパンと親しかったドラクロワが描いたショパンの肖像画がルーブル美術館に展示されているということで、その絵を求めてルーブル美術館を訪ねた吾郎君(こういう美術館と吾郎君との絵もハマリすぎてていいわぁ〜(*^o^*))。

  吾郎 「こちらはドラクロアが描いたショパンの肖像画です。実際の絵はもっと大きく
      て、隣には一人の女性が描かれていたそうです。その女性とは、一体誰だった
      んでしょうか?」

実際にルーブル美術館学芸員セバスチャン・アラール氏から、ピアノを弾くショパンの後ろにジョル・ジュサンドという女性が描かれていたのだと説明を受けています。

♪ サンドと出逢った頃の曲 前奏曲 作品28-17変イ長調〜演奏:マルク・ラフォレ

恋多き女として、パリのサロンの女帝と呼ばれたジョルジュ・サンド、そのジョルジュ・サンドが友人達と語りあったサロンの一つが今もパリに残っている。

 
ロマンティック博物館
フランス・パリ

そのサロン(現ロマンティック博物館)にやってくる吾郎君。そこでは当時のショパンとサンドにまつわる品々が並んでます。

  吾郎 「ここでショパンは運命の女性とも言えるジョルジュ・サンドに初めて出逢った
      といいます。しかしながらショパンは友人の作曲家リストを通じて彼女に出逢
      ったとき、彼女に興味を示しませんでした。それはショパンは女性としての魅
      力を感じなかったからです」

いつも葉巻をくわえ、男のような服を着て闊歩するジョルジュ・サンド。ショパンが「あれは女か?」と驚くほどサンドは男勝りの女性だった。

そして、博物館になったその室内で、ショーケースに並んだショパンとサンドの手形をカメラに向かって紹介する吾郎君:

  吾郎 「え〜、こちらの奥がショパンの手で、こちらの手前にあるのがジョルジュ・サ
      ンドの手だそうです。
      え〜、ショパンの手は、なんか思っていたよりも全然小さくて、なんかピアニ
      ストというと、ね、やっぱり指が長くて、あれだけのこう…弾くわけですから、
      かなりなんかこう…指も長いのかと思ったんですけど。…意外と小さくて、繊
      細な手という印象です。
      それに比べて、このサンドの手はやっぱりとても、腕もしっかりしていますし、
      手自体はね、すごくやっぱり女性の手ですから、あの〜、小さいんですけど…
      ・・・(ポツリと)腕太い(笑)


女性に対して「腕太い」とは何たる暴言!(そりゃぁ、吾郎君と比べりゃ太いのかもしれないけどさぁ(ぶつぶつ))

 
ワインショップ カーブ・オージェ
フランス・パリ

ワインをこよなく愛したと言うジョルジュ・サンド、ショパンとサンドは、二人はどんなワインを飲んだのだろう?ワイン好きの僕としては、これは気になる話だ。

続いて、街中に繰り出す吾郎君。1850年創業のワインショップ『カーブ・オージェ』に向かっています。「吾郎君=ワイン」というのもありがちな演出のような気もしますが、まぁ、この際、素直に喜んじゃいましょう(笑)。お店に入って…:

  吾郎 「すみません、ショパンの時代のワインを探しているんですけれども…

ということで、当時のワインと近いワインをリクエストし、そこでワインショップのおじさんが出してきてくれたのは、ラフィット・ロッチルド1997年。さっそく店先で栓を開けてもらい試飲です。

  吾郎 「このぐらい美味しいワインをショパンは毎日飲んでいたとしたら、すごい幸せ
      だと思います、僕は・・・(笑)


もう、なんか、純粋に今回の旅を楽しんでるようで…。

 

ショパンとサンド、二人の噂はたちまちのうちにフランスの評判となる。サロンの女帝と若きピアニストの恋。特にサンドには15歳の男の子と10歳の娘がいたこともあって、興味本位の噂には事欠かなかった。
1838年の冬が始まる頃、ショパンとサンドは、喧騒のパリを離れ、地中海の島 マジョルカに旅立つ。この恋の逃避行の果てに、二人は完全なる愛を夢見ていた。

ちなみに上記ナレーション部分で流れる映像は夜のフランスの街中での吾郎君。ここでは特に『吾郎君が喫茶店で珈琲を飲んでいる絵』が最大のポイントです。はっきりいって吾郎君が珈琲を飲むこととストーリーとは、な〜んにも関係が無い!(爆)。関係がないけど、この絵は非常に嬉しい!!!!(←バカ)。

 
1838年11月 パルマ
スペイン・マジョルカ島

場面は一転し、船の甲板で冬の地中海を眺める吾郎君。船はスペイン・マジョルカ島に向かっています。黒のコートにワインカラーのマフラー姿がまた趣があります。

パリを追われるようにして旅だったショパンとサンド。二人が1月近い長旅の末、やってきたのは地中海に浮かぶスペイン・マジョルカ島だった。1838年11月、ショパンと三度はマジョルカで一番大きなパルマという街でひと時の安らぎを得る。遥かアラビアの風を伝えるこの街は、恋する二人をやさしく受け入れてくれるようだった。

実際にマジョルカ島にやってきた吾郎君。まずは、マジョルカ島のレストランで、ここでも当時の料理を食べてみます。

  吾郎 「まぁ、当時はショパンもこのようなものを食べていたんでしょうか?僕は今か
      ら戴きます。一人で寂しいです…(笑)


“一人で寂しいです”って、それは一体どういう意味で受け取ればいいのでせう、吾郎君?(苦笑)。と、ちょっと個人的には気になりつつも、出された料理に話は移り、吾郎君が最初に口にしたのは『エスカルゴ マヨネーズ添え』。

  吾郎 「これはかたつむりだよね。素朴な感じですね。うん

まずは香りを嗅ぎながら、一つお皿に取り出します。しかし、食べようとしても「結構大変だね」なんてぶつぶつ言いながらエスカルゴの身が取り出せなくて苦労しているようで…。そして、恐る恐る試食:

  吾郎 「すごい油が多いよね。やっぱりこのぐらいの大きさで丁度いいのかもしれない

早い話があまり口には合わなかったようです。次は『子羊の内臓と野菜グリル』:

  吾郎 「子羊の内臓!この内臓らしきもの。見た目はなんか、ねぇ、砂肝って感じです
      けど・・・うん、美味しい、うん


と、これは合格。素直に嬉しそうに食べています(この絵もらぶりーだ〜)。この中に入っている野菜はじゃがいもと赤ピーマン、ながねぎなどだそうで…

  吾郎 「これ、ネギとか入ってるんですよね。いわゆるあれだよね、長ネギだよね、日
      本の。うん、結構ね、なんか日本と通じるものが…近い気がする

同じくマジョルカ島。海の見える高台で、暗く沈んだ海を眺める吾郎君。こうやってショパンの生涯と吾郎君のシルエットを合わせて番組が進んでいくのは嬉しい・・・。

地中海の島、このマジョルカにようやく羽を休めたかのように見えたショパンとサンド。だが二人の安らぎの時は長くは続かなかった。ショパンとサンド、運命の恋人達に、まもなく悲劇が訪れる。

 
1838年12月 ショパン28歳
マジョルカ島・ヴォルデモーザ僧院

魂の安らぎを地中海の島 マジョルカに求めたショパンとサンド。だが、マジョルカについて一月後、ショパン達の前に悪魔が忍び寄る。

人気の無いマジョルカ島の道を進む吾郎君。その足取りは、島のある僧院に向かっている。

  吾郎 「ショパンは旅の疲れから重い病に冒されるのです。当時、死の病と言われた結
      核です。やがてマジョルカの村人達は苦しげに咳をするショパンを避けるよう
      になります。ショパンとサンドは村人達の目を避けるように、当時、廃墟同然
      だったといわれるヴォルデモーザの僧院に暮らすことを余儀なくされるのです」

そのヴォルデモーザの僧院〜サンドの部屋にいる吾郎君。カメラも入ってきます。

今も、ヴォルデモーザの僧院にショパンとサンド、二人が暮らした部屋が残っている。

吾郎君の視線の先には、当時のショパンのピアノと、その上にショパン直筆の楽譜,サンドのストールなどが置かれています。

  吾郎 「す〜ごい。こうやって残ってるんですねぇ

サンドは病に冒されたショパンを賢明に看護し、ショパンはそんなサンドに見守られながら、自らの命を刻むようにピアノの前に向かうのだった。

僧院内を順番に巡り歩いてみます。吾郎君がやってきたのは、壁の戸棚いっぱいに細長いツボが整然と並べられている一室。

  吾郎 「ああ、いっぱいありますね。
      ここは当時の薬局です。たくさんの種類の薬があるように思われますけれども。
      ・・・それで当時ショパンが飲んでいた結核の薬が、こちらだそうです」

 

♪ プレリュード第15番・変二長調『雨だれ』〜演奏:マルク・ラフォレ

そんなある日、サンドが町に出かけると、激しい雨が降り出す・・・

部屋の窓際に立ち、窓ガラス越しに雨の降る外を見上げる吾郎君。これって、普通のドラマよりおいしい映像じゃないですか〜(^o^)。

  吾郎 「ショパンはその激しい雨音を聞いて、死への不安と、サンドがそばにいない孤
      独感から錯乱状態に陥ったと言われています」

激しい雨音から生まれた静かなる死への絶望。ショパンはその自らの絶望をメロディーに刻んだ。プレリュード『雨だれ』である。

僧院内の廊下を進む吾郎君。

  吾郎 「ふとしたことで壊れてしまいそうなショパンのガラスのような心。当時、ショ
      パンにとってサンドは、恋人というより、もはや母親とも呼べる存在でした」

再び船上の吾郎(サービスショット PART2!(^^;))。当時、ショパンが眺めたであろう暗い地中海の海を無言で眺めています。

ショパンの病は彼の心を蝕み、もう、マジョルカにいたのでは、ショパンは死を待つのみだった。サンドは瀕死のショパンを抱え、マジョルカを離れる。ショパンが冬の海に見たのは、絶望だけだった。

 
1839年6月
フランス・ノアン

フランス・ノアン…マジョルカ島にいても、病状が悪化する一方だと判断したショパンとサンドは、1839年6月、この地に移ってきます。その二人が暮らしたというジョルジュ・サンドの別荘にやってきた吾郎君。ちなみにその食堂らしき部屋には当時の家具、食器類が並んでいます。

  吾郎 「このノアンに今も残るジョルジュ・サンドの別荘で、死の病に冒されたショパン
      は、サンドの献身的な介護でひと時の健康を取り戻します」

続いて螺旋状の階段を使って、2階の部屋に上がっていきます。

ショパンが作曲に専念できるようサンドが用意したのは、この別荘で最も眺めのよい、2階の部屋だった。

というわけで、ここでも当然、2階からその外の景色を眺めている吾郎君の絵。いいのか、こんなに幸せで〜(笑)。

サンドは毎朝、ショパンのために、自らホットチョコレートを作って彼の部屋に運んだと言う。

というナレーションの後は、実際にそのホットチョコレート試してみましょう(笑)。吾郎君も当時、実際に使われていた食器も準備されたテーブルに座って準備万端です。

  吾郎 「え〜、甘党のショパンはですね、このただでも甘いホットチョコレートにさら
      にスミレの砂糖漬けを入れて飲んだそうです


カップにホットチョコレートを入れ、もちろん、そのスミレの砂糖漬けも入れてみます。1つ、2つ、3つ・・・:

  吾郎 「4つも入れちゃった(笑)。たぶんこのぐらい甘くして飲んだんじゃないでしょ
      うかね?


と、超甘いのを覚悟してから、恐る恐る飲んでみると:

  吾郎 「・・・(笑)。あっま〜い。甘さが伝わるんじゃないでしょうかね、画面を通じて…

本当に甘かったようです(苦笑)。では、そうなると気になるのがその甘そうなスミレの砂糖漬け。

  吾郎 「うん。スミレの砂糖漬けってどんな感じなんだろう?

と言いながら、それだけを試してみます。吾郎君、興味津々って感じ(^^;):

  吾郎 「う〜ん、なんか、ちょっとね、かりんとうみたいな感じ

?・・・見ているこっちはよくわかるようでわからん(苦笑)。

 

 
ジョルジュ・サンドの家
フランス・ガルジレス

♪ バラード3番〜演奏:マルク・ラフォレ

ノアンの別荘で暮らすこの時期、ショパン自身も最も多くの名曲を生み出す。そして、サンドも作家としての円熟期を向かえるが、その後、ショパンとサンドとの間には溝が出来はじめる・・・。ショパンとサンド、二人は何故別れたのだろう?その謎を求めて、吾郎君は次に、フランス・ガルジレスという町まで赴きます。そこにはサンドが晩年に暮らしたという家があり、サンドの子孫にあたるクリスチーヌ・ヌメッツ・サンドさんが住んでいらっしゃいます。クリスチーヌさんと面会した吾郎君はサンドについて尋ねます:

  吾郎 「ジョルジュ・サンドという女性はどういった女性だったんでしょうか?」

  クリスチーヌ「サンドは大変小柄な女性でした。でも、大変、情熱的で、とても人を引き
         つける魅力を持っていたようです」
  吾郎 「サンドさんは、ショパンを愛していたんでしょうか?」
  クリスチーヌ「もちろんです。サンドとショパンの心は深く結びついていました。でも、
         二人は暮らしているうちに、恋人同士というより、親子のような関係に
         なってしまったのです。二人が感情をぶつけ合い、次第に上手くいかな
         くなってしまったのはそれが原因でしょう」

 
ジョルジュ・サンドの別荘
フランス・ノアン

♪ スケルツォ第2番 変ロ短調作品31〜演奏:マルク・ラフォレ

再び映像はノアンのサンドの別荘。息子のモーリスの存在がさらにショパンとサンドの関係を嫉妬心へと変えていく・・・

ショパンとサンド、いまや二人を結び付けているのは嫉妬心と猜疑心だけであった。

 
1847年7月 ショパン37歳
フランス・ノアン

ショパンはサンドと暮らしたノアンを離れ、パリに旅立つ。ショパンとサンド、二人の心はもう永久に結ばれることはなかった。

このナレーションと共に、吾郎君自身もノアンの別荘を離れる映像が入ります。

 

ここで少し時代はさかのぼり、ポーランドの歴史の話を交えた話。ポーランドは第二次世界大戦の時代にはナチスドイツの迫害を受け、そしてショパンの生きた時代もまだ同様に迫害の歴史があります…

ショパンが生きた当時もポーランドは帝政ロシアの支配下にあった。そのポーランドの人々が帝政ロシアの圧制に対し、首都ワルシャワで立ち上がる。1830年11月29日のワルシャワ蜂起であった。ショパンはそのワルシャワ蜂起の知らせを旅先のウイーンで聞き、祖国ポーランドに夢を馳せる。だが、そのショパンの喜びはつかの間だった。ロシア軍によってワルシャワ蜂起はあえなく鎮圧されるのである。ショパンはその祖国ポーランドの悲劇を怒りと嘆きの中で一つの曲に書き上げる。革命のエチュードである。

♪ エチュード第12番ハ短調『革命』〜中村紘子

ショパンはピアノにしか託せない自らの思いを日記にこう記している。

 『お父さん、お母さん、愛する姉妹、僕の最も大事なみんな、
  今、何処にいるんだ・・・。
  僕は何も出来ず、ただ手を拱いてうめき声をあげ、
  絶望をピアノの上に吐き出すだけで、気も狂わんばかりだ。
  それ以上僕に、何ができるというのだ。』


ショパンの音楽には自らの無力感に打ちひしがれながら、祖国ポーランドを思う、ピアノの詩人 フレデリック・ショパンの嘆きが込められている。

この吾郎君のナレーション好きだったんだなぁ。吾郎君自身のナレーションが良かったというより、ショパンのどうしようもない感情に引き込まれたというほうが適切なのかもしれないけど、印象深い一節でした。

 
1847年8月 ショパン37歳
フランス・パリ

1847年8月、ショパン37歳・・・再びショパンはパリの街に戻ってきます。それに合わせて映像は再びパリに。セーヌ川沿いの道を歩く吾郎君の絵もいいよ!(^o^)。

サンドと暮らした9年の歳月が終わり、パリに戻ったショパン。そんな彼を待っていたのは華やかな街での孤独な暮らしだった…

  吾郎 「その後、ショパンはサンドとの別れによって心の中にぽっかりと開いた隙間を
      埋めようと、必死にピアノに向かう日々を送ります。だがそれは、結核という
      重い病に冒されたショパンにとって、あまりに危険な行為でした」

 
音楽博物館
フランス・パリ

ピアノの詩人、フレデリック・ショパン、彼が追い求めた音楽とはなんだったのだろう?

続いて、パリの音楽博物館で、パリ国立高等音楽院、ジャック・ルヴィエ教授と面会します。ルヴィエ教授はショパンの音楽について語って下さります:

  ルヴィエ「実はショパンが生涯追い求めた音楽はコンサートホールのようなたくさんの
       人々に聞いてもらうものではなく、ごく少人数の人が集まるサロン為の音楽
       だったのです。それはショパンが病弱だったこともありますが、彼の理想と
       した音楽は非常に繊細で、詩情豊かなものであったからです」

 
コンセルヴァトワール・ドラマティーク
フランス・パリ

マルク・ラフォレ氏がピアノ演奏をして下さっているこのコンセルヴァトワール・ドラマティークも、ショパンが実際に演奏会を行ったホールの一つ。 そして、ラフォレ氏の演奏は、ショパンの最後の曲へと移ります。

♪ マズルカ作品68-4『遺作』〜マルク・ラフォレ

ショパンはサンドと別れた心の隙間をピアノで埋めようとしたのだろうか?6年の沈黙を破り、次々とコンサートを開くようになる。わずか7ヶ月の間に実に9回。それは自らの命と引き換えにした、ピアノの詩人フレデリック・ショパンの最後の輝きだったのかもしれない。

 
1849年10月
フランス・パリ

そうして、ショパンが最後に住んだ部屋・・・今は、ショーメという宝石店の本店になっているそうです。その店の2階、やはりその部屋にも行ってみます:

  吾郎 「この部屋で、ショパンは最期のときを過ごしたといいます。そのとき彼の心の
      中に浮かんだものは一体なんだったんでしょうか?それはきっと二十歳の時に
      旅立って以来、その後、19年間、一度も帰ることのなかった故国ポーランドへ
      の想いだったのではないでしょうか?何故なら彼が最期に残した言葉とは、死
      後、自分の心臓を故国ポーランドに埋葬して欲しいということだったからです」

再び、マルク・ラフォレ氏がピアノを演奏しているホール コンセルヴァトワール・ドラマティークで、ラフォレ氏の演奏も終ります。

  吾郎 「人生そのものがドラマであって、そのとき、生きている時は苦しいかも分かり
      ませんけど…。そのぐらいもしかしたらドラマティックな方がね、う〜ん、なんか
      やっぱ、周りの人の心には残りますよね。本人はやっぱりすごい色んな悲しみを抱
      えたりだとか…なんか本当に幸せだったかどうかは分からないんですけども。ただ、
      やっぱり何百年も経った後、こうやってねぇ、色んな人を感動させられて、語り継
      がれているっていうことは、やっぱり幸せなんじゃないでしょうか?

こうしてピアノの詩人フレデリックショパンは波乱に満ちたその39年の生涯を閉じた。

 
マドレーヌ寺院
フランス・パリ

吾郎君、聖堂内を歩きながら、静かに語り始めます。

  吾郎 「ショパンの葬儀は、この教会の正面に彼のイニシャル"F.C."を金色で浮かび上がら
      せた黒いビロードの幕で覆い、かろうじて聖堂に入ることができた3000人が列席し
      て行われました。教会の外には、参列できなかった大群衆が、葬儀の間、ずっと立
      ち尽くしていたと言われています。如何にショパンがパリの人々に愛されていたか
      が分かります。しかし誰もその中に、ジョルジュ・サンドの姿を見かけた者はいま
      せんでした」

 
ペール・ラシェーズ墓地
フランス・パリ

ショパンの眠るペール・ラシェーズ墓地を訪れた吾郎君。静かに花を供えます。

ピアノの詩人、フレデリックショパン、彼の遺骸は今の彼を愛する二つの地、パリとワルシャワに眠っている。

  吾郎 「ショパンの葬儀に姿を見せなかったジョルジュ・サンド。人々はそんな彼女を薄情
      な女と蔑んだと言います。しかし、そんな人々の声に彼女は沈黙を守り、決して弁
      明をしませんでした。実はその日、彼女はショパンを失ったあまりの悲しみに、葬
      儀に行くことすらできなかったのです。彼女はショパンが死んだ数年後にこんな文
      章を書いています」


ショパンの天分は、かつてこの世に存在した中で、最も深く、最も感情と感動に満ちたものだ。彼はただひとつの楽器に無限の言葉を語らせた。子供でも弾くことができる短いフレーズで、気高さに満ちた詩、比類の無い力強いドラマを作り上げることが出来た…〜

・・・・・ Fine 

と、つらつらと書いてしまいました。まぁ、この番組は音楽と映像を楽しむようなものなので、文字にしても全く伝わらないのですが、個人的には良かったと思える番組だったので、つい色々と書いてしまいました(笑)。所々はしょっておりますが、お許しを。
今回の番組は、ショパンの生涯と今回、ショパンの足取りをたどる吾郎君のシルエットを重ね合わせるように表現してくれているのが何と言っても嬉しかったです。普通なら回想VTRとかを流してしまうのでしょうけど、それをしなかったところが満足度アップに繋がっていたような気がします。

(01.2.18)


『慎吾ママのおっはーは世界を救う』 01.1.8 Mon 19:00〜20:54 フジTV系列 ページの最初へ

慎吾ママのお正月ドラマSPに吾郎君が吾郎君役で登場です(笑)。どーせ、お正月ドラマをするなら、このぐらいばかばかしい出演も悪くはないかと思ったりした今回のドラマ。まるで“ウオーりーを探せ!”状態で吾郎君を探しておりました(折角の特番なのに、慎吾ママと絡むシーンが無かったのは残念だけどね)。

”吾郎ちゃん”は慎吾ママと長嶋家のママ・小百合(田中美佐子さん)のあこがれのタレントとしてドラマ中のテレビCMで登場。
慎吾ママ&この世界では吾郎印の商品というのが色々と商品化されているらしく、洗剤『白すぎ君』に餃子の皮におたまにエプロンと一貫していないところがミソで、そのそれぞれの商品について“吾郎ちゃん”のCMがオンエアされています。このCMが、超格好つけキャラで、最後には必ず寒〜いギャグを飛ばすという、主婦層にしか理解してもらえない格好良さ(爆)。いずれも、稲垣吾郎でおもいっきり遊んでみました〜、という感じのCMに仕上がっております(これは喜んでいいのか、悲しむべきなのか…。慎吾君にも「ダッセー」と言われていたようだし(苦笑))。

以下、そのCMのリプレイ(タイトルは勝手に付けてます)

  • CMその1:『王子とお姫様編』 〜 吾郎印の『白すぎ君』(洗剤)

    まずは、「慎吾ママドラマSP」のタイトル直後、キラキラの王子様衣装で登場の吾郎王子。その前に、愛するお姫様が、泥まみれになって登場しています。

      女性 「吾郎王子、私身も心も汚れてしまいました」
      吾郎 「僕がすぐに綺麗にしてあげるよ」

    そこで、吾郎王子は『白すぎ君』の洗剤の箱を手にし、スプーン1杯の洗剤を姫に降りかける。洗濯槽の中で洗われる姫;

      女性 「まぁ」

    綺麗になった姿に喜び、吾郎王子の胸に飛び込む王女。そっとやさしく抱きしめる王子。

      女性 「今度は心を綺麗にして下さい」
      吾郎 「元からきれいじゃないか」
      女性 「王子…」

      ナレーション:新発売、吾郎印の白すぎ君

    最後は吾郎ちゃんの決め台詞:

      吾郎 「君の心も洗おうか?

    CMを揃って見た慎吾ママと百合子、「洗って欲し〜い」と声を揃えて言ってたりして…。私もお仲間に入れて〜(バカ)。ちなみに慎吾ママは2年前から吾郎ちゃんのファンらしい。

  • CMその2:『タンゴ編』 〜 吾郎印の『餃子の皮』

    ミラーボールの光る中、タンゴのリズムの音楽にあわせて女性と華麗に踊る吾郎。スパンコールがキラキラの衣装で、口には赤いバラ(爆)。

      ナレーション:吾郎印の餃子の皮、新発売!

    そしてここでも最後は吾郎ちゃんの決め台詞。餃子を片手にカスタネットがわりに叩きながら:

      吾郎 「Let's トゥぎょうざ!( together)」(爆)

  • CMその3:『逃走編』 〜 吾郎印の『お玉さん』

    拳銃を持ったマフィアらしき男達から逃げる男女。とある埠頭の倉庫に逃げ込んだものの二人は追いつめられる。追っ手の拳銃から銃弾が発射される。そのとき、男性は掛けていたサングラスを外し、おもむろにお玉を取り出す!マフィアたちの拳銃から発射された弾が、ことごとくお玉ではじかれる!(爆)

      ナレーション:新発売、吾郎印のおたまさん

    最後は華麗なお玉さばきを見せて:

      吾郎 「ああ、おったまげた

  • CMその4:『闘牛士編』 〜 吾郎印の『エプロン』

    一頭の牛が闘牛士姿の吾郎君めがけて突進する。真っ赤なエプロンを牛の前で構えると、牛の突進がストップする:

      吾郎 「吾郎エプロンは、牛をもはじく!とぉ!」

    吾郎印のエプロンを翻すと、牛が弾き飛ばされる。

      ナレーション:吾郎印のエプロン新発売
             (吾郎スリッパをもれなくプレゼント)

    いつの間にか吾郎印のエプロンを身に付けてたりして、さらには吾郎印のスリッパも履いていたりして、その格好で華麗に1ターンしてみたりして:

      吾郎 「(思いっきり嫌そうな顔をして)『エ〜ッ』、(そして真顔で)ぷろん

    この後、慎吾ママがちゃっかり吾郎エプロンをしているのが可笑しい。

以上、絶句、唖然、呆然の連続でしたが、大爆笑させていただきましたわ。とにかくなりきる吾郎君がナイスですぅ。

テレビCM以外には、美容院で慎吾ママが読んでいる女性週刊誌らしき雑誌(週刊女性ザマス)の裏表紙が“吾郎ちゃん”の『白すぎ君』の広告だし(もちろんキャッチフレーズは『君の心も洗おうか?』)、それに合間やエンドロールの「おはロック」PVに合成される『おっはー』では、上記CMのコスプレ衣装で登場。挙げ句の果てには、小百合が産んだ赤ん坊の名前が「ゴロウ」(爆)。最後の最後でのこのお遊びは大受けさせて頂きました。

(01.1.14)


『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』 01.1.1 Mon 21:00〜23:30 フジTV系列 ページの最初へ

21世紀第一弾、吾郎君のドラマでございますぅ。あの『世にも奇妙な物語』にSMAPが登場!ということで話題の番組ですが、そんなことはどーでも良くて(おい!)、演出陣が星護さん(『エキストラ』慎吾君主演),落合正幸さん(『十三番目の客』剛君主演),石井克人さん(『BLACK ROOM』木村君主演),佐藤嗣麻子さん(『僕は旅をする』吾郎君主演),河毛俊作さん(『オトナ試験』中居君主演)というだけでも楽しみな番組だったりします。これに加えて、SMAPの特別編だけあって、冒頭とラストに5人が揃ってのシーンが、やや強引ながら(^^;)、加わっています。
個別の話については、やっぱりメンバーの個別のカラーに沿った内容にわれていたのかな?いい意味で想像どおりの内容だったように感じました。

吾郎君のドラマは上述の通り、佐藤嗣麻子さんが演出の『僕は旅をする』。「文学の香り漂うサスペンス」だとか、「テーマは『愛』」(by 佐藤監督のコメント)だとか色々と宣伝文句を見るたびに、テレビ誌の注目度に反して(爆)、私自身の期待は膨らんでいくわけです。佐藤監督が吾郎君をどんな風に撮ってくれるのか、という期待の中で見た今回のドラマ、いや〜、満足。どーせ5人でやるなら、こういう形態なら文句無しに大歓迎ですわ。いや、5人揃って出演して、それなりに満足度を得られるなら歓迎するんだけど、過去の2回は裏切られっぱなしですからねぇ(新年早々、過去の話を愚痴ってどーするよ>自分(苦笑))。今回は最初から最後まで吾郎君メイン!共演も桜井幸子さんに、寺田農さん、田島令子さんで、こちらの方も充実しております。

佐藤さんだから絵的には安心して見られるし、細かいツボとしては、金沢との町並みと吾郎君の絵とか、海岸でたたずむ吾郎君も雰囲気だとかも良かったし、回想シーンも幻想的で味わいがあったし。こういう綺麗な絵の中で、静かに、きちんと収まる稲垣吾郎を見ることができて、新年早々、幸せ気分を堪能した短編ストーリーでした。キャラクター的にも、吾郎君が演じるキャラクターに家族があったり、姉がいたりという設定がなんか新鮮(最近はあまり家族がいるキャラクターって無かったもんなぁ)。「あんな風に熱いお茶を入れてくれる弟が欲しいわ〜」なんて思ったり…(バカ)。

今回のドラマって、短編な割に、色々と吾郎君の過去のお仕事を思い出してしまって、吾郎君演じる克也のモノローグを聞くと、鷹男君や未来の瞳のナレーションを思い出してしまったり、もちろん映像的には明智とかをイメージしたり、内容的には少し「BLACK OUT」を思い出したりして、今までのお仕事の積み重ねを感じたりもした、味わい深い20分ちょっとでした。

なーんて色々と書いて、私も吾郎君に対しては評価が甘いよね(自覚してます、はい)。

そんなこんなで、吾郎君のドラマの内容そのままのレポはこちら。今回のドラマ、かなり気に入ってしまったので、一気にレポを作成してしまいました(笑)。

(01.1.7)

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克也の最後の台詞「よかった…」

最後に姉の死に顔を見て、克也が呟いた上述の台詞について、少し悩んでしまっている今日この頃。

エンドロールにもあったように、このドラマ、原作があります。私自身は原作を知らないのですが、原作では姉と弟の設定が逆になっているようです。
あと、稲垣吾郎を主役にしたためか、弟が姉にほのかな恋心を抱いているという設定はドラマオリジナルのもののようです。この設定の変更は好きですね、私。姉の後ろ姿を追いかける弟の気持ちがより切なく感じられたし。

原作のタイトルは、今回のドラマのタイトルと同じく「僕は旅をする」。つまり原作では、旅をする『僕』というのは、死んだ『弟』のことを言ってるわけですね。タイトルだけを考えると原作の方がホラー色が強いのかな?と思えますが、姉弟の設定が逆になったにもかかわらず、あえてタイトルを「僕」で通しているところに、私自身は嬉しさと感じています。姉の後ろ姿をおいかけて旅をする克也君がいいのだわ(笑)。

さて、話を戻して、上述の「よかった…」の台詞について。原作では「よかった、安らかな、寝顔だ」となっているそうです(原作ファンにはこの変更は許されないことのようですが…(苦笑))。これは、ドラマ中の「電車に撥ねられて死ぬ瞬間は、やっぱり痛いんだろうか?死に顔は苦痛を残しているんだろうか?」に対する答えにあたる部分。
でも、そんな大事な言葉をあえて「よかった…」だけにしてしまったのは、やはりドラマならではの監督の意図があったはずで、「安らかな、寝顔だ」以外のもっと深い愛情の気持ちが含まれているんじゃないかな?と勝手な想像をしております。まぁ、もう少し、じっくり味わってみよう、っと。

もう一つ、テレパルに書いてあった『テーマは儀式』という佐藤監督のコメントも気になっているんですけど、オバカな私にどなたか答えを下さい(爆)。

(01.1.14)


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