八尾翠翔高校 男子バスケットボール部
以下が、男子バスケット部の歴史である。こうなったのも、今までの先輩やコーチの存在が大きいと思われる。たくさんの人に支えられ、応援されて、今の状態があります。今の部員は、これに感謝し、ぜひとも試合に勝って、恩返しをしてもらいたい!

平成26年度 (4月3日現在) 
 
新体制でスタートしますが、大倉先生はそのままなので、あまり状況は変わらないと思います。


平成25年度 
 今年度は新入生の経験者が少なく、部員はあまり期待できませんでしたが、それでも8人が入部してくれました。しかし、長くは続かず、結局4人が残るだけになってしまいました。春の大会は実力が発揮出来ず、3回戦で敗退し、3年生がほとんど引退し、新チームになりました。夏は体育館が耐震工事のため使用できず、あちこちへ行きながらの練習になりましたが、部員の頑張りや周囲の学校の助けもあって、いい練習が出来ました。おかげで、夏の大会は地区大会を勝ち抜き、中央大会に進出することができ、夏まで残った3年生も大きな公営体育館で引退することができまし。新チームになり、力のサイズもなくなりましたが、大倉コーチの指導の下、徐々に力がついて来ました。公立校大会では予選敗退でしたが、5CCでは第3位という成績を残せました。まだまだ弱いですが、チーム一丸となって頑張っています。

平成24年度 
 春休みに部員が一人退部し、18名でのスタートになりました。しかし、うれしいことに合格発表の翌日からもう新入生が練習に来てくれ、結果的に部員12名、マネージャー2名が入部し、総勢、部員30名、マネージャー5名という大人数になりました。インターハイ予選は、初戦の平野高校との試合ではベンチメンバーが全員試合に出られて、107−31で大勝することができましたが、次の2回戦ではオフェンスが全く機能せず、敗退しました。3年生には夏まで残れと言っていたのですが、結局、キャプテンだけがただ一人残ることになりました。チームにとっては彼のリーダーシップがとてもありがたいと思いました。事実、後輩たちを厳しく指導し、引っ張ってくれました。そして夏の大会、くじ運にも恵まれ、地区大会のブロック決勝まで進むことができました。そして中央大会進出がかかった天王寺高校との試合、やはり緊張からかミスが目立ち、ゲームの序盤で離されてしまい、結局追いつくことができず、悔いが残る敗退となってしまいました。元キャプテンには申し訳ない思いでした。そして、新チーム、ゲームをメイキングしていた元キャプテンがいなくなるということは、チームにとっては大きな痛手でした。なかなか新しくレギュラーに固定する選手が決まらず、手探りの状態で大会を迎えることになりましたが、これまたクジ運にもめぐまれ、公立校大会では第4位、5クラシックカップでは準優勝という立派な成績を残すことができました。そして、本当の力を試す年明けの新人戦、初戦から立ち上がりが悪く、しんどいゲームでしたが、何とか逆転して勝ち進み、中央大会進出を決めました。翠翔男子にとっては初めてのことでした。そして、中央大会初戦は北地区の強豪、豊島高校との対戦でしたが、相手の上手さや早さにやられ、敗退しました。でも、中央大会進出はチームにとってはとても大きな経験になりましたので、また頑張りたいと思います。大きい公営体育館で試合も出来たし、そんな部員たちには、常に感謝の気持ちを忘れるなよと言い聞かせてます。

平成23年度
 インターハイ予選は、2回戦でわずか1点届かず泉陽高校に負けてしまいました。3年生の一部が引退し、新体制になりました。4月当初に入部した10期生は部員16名、マネージャー2名でしたが、結局は部員11名、マネージャー1名が残りました。5月末から、新しいコーチとして大倉先生を迎えることになり、チームにとって、強い味方が現れました。3年生の引退がかかる夏の大会は台風の影響で試合が順延となるハプニングもありましたが、順調に2回戦を突破し、迎えた羽曳野コロセアムでの3回戦、阿倍野高校との試合は、後半になって急に足が止まってしまい、ミスも出て惜しくも逆転負けを喫してしまいました。3年生が引退し、総勢19名になりました。今年新しく始まった東地区公立高校大会では予選で河南高校に惜しくも負けて予選突破ならず、11月の5クラシックカップでは初戦はかわち野高校に勝ったものの、次の八尾高校との試合では何もさせてもらえずに完敗しました。その悔しさをバネに年明けの新人戦に臨みましたが、中央をかけた上宮高校との試合では、ミスから自滅し、キャプテンの怪我も災いとなって、逆転負けをしました。しかし、大倉コーチの指導の元、部員たちの頑張りがだんだん実をつけて来た感じです。

平成22年度 
 インターハイ予選は、健闘むなしく、初戦で登美丘高校に負けてしまいました。7名の3年生のうち2名が引退しました。9期生は部員8名、マネージャー2名が入ってくれました。夏の大会は初戦は余裕で勝利したのですが、2回戦で上手さのある今宮工科高校に負けてしまいました。それでも夏まで残った3年生はよく頑張ってくれました。新体制は総勢16名になりました。11月の5クラシックカップでは、初戦、強豪である大教大天王寺高校にとてもいい内容で競り勝ちましたが、続く布施高校には負けてしまいました。年明けの新人戦では、初戦は勝ったものの不甲斐ない試合でした。しかし、中央をかけた天王寺高校との試合、最後まで諦めずに頑張り頑張りましたが惜しくも2点差で負けてしまいました。まだまだつめの甘さがありました。


平成21年度 

 8期生7名入部。部員は総勢18名になる。8期生は合格発表直後の春休みから練習に参加してくれる者もいて、うれしい限りであった。4月の公式戦では、初戦、東淀工業相手にベンチ入りメンバーが全員出場できるほどの快勝することができ、とてもよく頑張った。2回戦は、練習試合でも勝ったことのない生野高校との戦い。立ち上がりに緊張から0−11とリードされ、結局はそれが最後までひびき、62−73で敗退する。内容的にはおしていた試合だっただけに残念な限りであった。これで、3年生の一部が引退し、新チームとしてスタートすることになった。3年生が只一人残り、新キャプテンとなって夏に向けてスタート。新型インフルエンザの影響もあってクラブが出来ない日々もありましたが、誰一人休むことなく、よく練習に励む。そんな中で迎えた夏の大会、初戦は堺市立工業が相手。何の情報もなく不安もあったが、スタート5人の活躍で勝利。2回戦は春も対戦した東淀工業。向こうのリベンジの気持ちに負けることなく、控えもよく頑張り、勝利。目標であった3回戦に進む。3回戦はシード校、三国丘との対戦。なみはやドームという初めての公営体育館での試合。緊張感からか動きが鈍く、終始相手に圧倒されて敗退する。しかし、よく頑張り、3年生の引退試合が大きな公営体育館でできたことは本当によかったと思う。現在は、やや休みを取りながら、新チームでスタートしている。

平成20年度
 7期生7名入部。部員は総勢21名になる。1年生の刺激を受け、また、ようやく5期生が3年生としての自覚が出たのか、しっかりしだした。そうこうするうちに迎えた公式戦、初戦の枚岡樟風戦は初めは手こずったものの100−43で大勝する。しかし、次の2回戦では強豪、柴島相手に最後まで頑張り切れず敗退する。もったいない試合であった。3年生の一部が引退し、新チームとなとなった。夏の最後の大会に向け、合同合宿も行い頑張った。しかし、迎えた公式戦、布施工科高校相手にリードするも、残り6秒で逆転され、敗退。十分勝てた試合だけに、もったいない試合であった。すべて監督の責任である。新チームになり、人数も少なくなったが、1年生が非常に伸びて、レギュラーを取るぐらいになった。しかし、まだまだ1年生、メンタル面の弱さも出て、5ClassicCupや年明けの新人戦では善戦するも勝てずに終わった。

平成19年度  
 受験の時点で経験者がほとんど落ちてしまい、あまり期待はできなかったが、それでも6期生が6名入部してくれた。衝突はあったものの、何とか落ち着き、春の大会を迎えた初戦の大阪学芸戦では、前半から快調にとばすことができ、88−46で快勝し、2年ぶりの勝利をあげた。続く2回戦、明星高校との対戦では、またもや最後の高さにやられてしまい、惜しくも敗退してしまった。これで、3年生の一部が引退し、また夏に向けて出直しとなった。8月末、いよいよ公式戦。強豪の北陽高校相手に善戦するも及ばす敗退し、3年生は引退する。本当によく頑張った試合で、とても感動した。3年生お疲れ様でした。新チームになり、練習再開。しかし、心の教育がなかなか浸透せず、不祥事ばかり。一時はクラブの解散も考えたが、何とか部員の頑張りで継続。そして迎えた11月の5ClassicCup(旧5学区大会)では惜しくも初戦に負ける。年明けの新人戦でも後一歩及ばず初戦で敗退する。なかなか勝てないのは、やはりメンタル面でしょう。部員たちの意識の問題かもしれません。

平成18年度
 5期生11名入部。部員は総勢25名もの大所帯となる。春の大会は自滅して、大手前高校に初戦で敗退する。最後の夏は、これまたクジ運が悪く、初戦から南地区の強豪、泉北高校との対戦。善戦するも、格の違いを見せつけられ、大敗し、3年生は結局1勝も出来ずに引退する。新チーム発足後、部員が大きなケガに見舞われ、手術・入院することになる。最後の5学区大会に向けて、彼が出られないことは大きな痛手であったが、1年生がよく頑張ってくれ、チーム状態はとてもよくなった。そして、いよいよ明日がサイズのある池島高校との対戦という時に、足首を捻挫してしまい、その彼も出られず、初戦で敗退する。年明けの新人戦も5学区大会準優勝の布施高校との対戦であったが、後半やられてしまい、敗退する。春休みになり、ようやくケガをしていた選手が復帰し、ベストメンバーとなったが、チームがばらばらで衝突が多くなり、半ば崩壊状態になってしまい、春に向けて暗雲がただよった。

平成17年度
 4期生11名もの入部。マネージャーも総勢6名となり、クラブらしくなる。しかし、春の大会は初戦で大敗。そして、最後の夏、長野高校との対戦で最後は追い上げられるが逃げ切り、記念すべき初勝利をあげる。これも3年生の頑張りが光った。直前の練習もしっかり声を出して、チームを引っ張っていた。この頑張りが勝利を導いたと思われる。続く2回戦では、強豪春日丘高校との対戦。一時は15点差ぐらいつけられたが、第4ピリオドで追いつく頑張りを見せた。最後は敗退するも、内容のあるいい試合であった。2期生が引退後、5学区大会では日新高校に勝つものの、2回戦で八尾高校に敗退し、新人大会も初戦敗退となる。また、今までコーチとして頑張ってくれていた、勝村が就職のため、3月末を持ってチームを去ることになった。コーチ不在で心配もあったが、そこは3期生がよく頑張ってくれた。また、来年度入学する5期生の一部が、3月から練習に来てくれ、チームに刺激を与えてくれた。

平成16年度
 3期生5名入部。しかし、春の大会は初戦で完敗。1期生最後の夏の大会は、大教大平野高校との対戦であったが、惜しくも1点差で破れ、初勝利ならず。1期生が引退し、勝村コーチの指導の元、新チームとなる。また、念願のマネージャー岡本が入ってくれる。しかし、公式戦の壁は厚く、5学区大会、新人大会は初戦で敗退する。

平成15年度
 2期生入学。顧問藤原着任。八尾東高校最後の29期生2名(服部君・和田君)、2期生3名(水田・北野・尾崎)でスタート。八尾南高校との合同チームを辞め、新たにスタート。そして、29期生の高木君、藤井君が復帰し、7名でとなり、夏の大会に臨み、花園高校に善戦むなしく破れる。八尾東高校の4名が引退し、また部員不足の危機に陥ったが、1期生の高橋が復帰、その後、1期生中橋、2期生乾、中尾、松本が入り、八尾翠翔単独チームとなる。頑張るものの、5学区大会、新人大会は初戦で敗退する。この秋に、勝村コーチが来ることになる。

平成14年度
 八尾東高校と八尾南高校が統廃合となり、八尾翠翔高校が開校し、記念すべき1期生が入学した。当時は八尾東高校の部員が少なく、八尾南高校との合同チームでの公式戦参加であった。顧問も不在で、1期生 の部員は初めはいたようであったが、結局誰もいなくなった。
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