「リース王女。
俺も、朝食会に誘われていたんだよ。
が、俺には生憎、フォークで朝メシを食う趣味は無くてね。
・・・手短に、用事だけを済ませよう」


ビルは、私を観ると、更に深い微笑を浮かべました。
ニヤニヤ笑う表情、ヤニの匂いが深いままで、話を続けようとします。
私は、思わず、傍に在った<紅き槍>を、ビルに向かって、突きつけたくなる。
次の瞬間、ビルは『おお怖』と言い、降参のポーズをして、首を横に振った。


「そんなマネをして、一体どうする。
一国の王女様には、俺達と、話をする気も無いか」

「・・・黙りなさい、誘拐犯。
エリオットだけでは飽き足らず、世界中の要人を攫うなどと・・・。
許される事ではありません」

「そうイキリ立つなよ。
・・・ふうん、コイツはチョット旨そうだから、頂こうか」


槍を動かしても、余裕の態度を変えないまま、ビルは、テーブルへと近づきます。
銀の皿上に、規則正しく乗せられたハムを、指で掴んでは裂いて行く。
ビリビリ、ビリビリ、破かれるハムが、生きたまま、動物の肉を裂いているようで___。
・・・とても醜悪に観えました。

私は、長身のビルへ向かって、尚<紅き槍>を構えます。
ですが・・・なんて重い槍なの!
くっ、持つだけで、精一杯の槍なんて・・・。

其の時、ビルは、私が<紅き槍>を持て余して居るのを、見越したように嗤いました。
そして、机上のパンを投げる。
槍を構えるだけで精一杯の私は、パンを受け取る事が出来ません。
・・・パンは、乾いた音を立てながら、地に落ちて行く。


「槍を捨てて、朝メシを捕れよ、王女様」


ビルは、地に落ちた朝食へ、私を誘う。
私は、拒否の姿勢を示す___。


「ビル、お前の寄越した物など・・・私は要りません」

「へええ?
___パンが要らない。
そいつあ随分と、罪作りな事だな。
飯も食えずに死ぬ子供が、砂漠には五万と居るってのに」

「・・・っ」


ビルは、ふざけながら、懐から出したダガーで、私の首周りを撫でて行きます。
冷たい金属と、鋭利な切先の感触が・・・肌を伝う。
目の端に、落ちたパンと、ビルの足が映ります。
ビルの足は、ヘドロで、とても汚れて居ました。


「そのまま、水も与えず、食い物も無しにしてやろうか、王女様。
後2日、呑まず食わずで、同じ口が利けるかい」


これから、丸2日も、水が呑めないかもしれない。
其れを想うと、乾き始めていた私の喉が、反射的に、ゴクリと鳴る。
視線を僅かにずらせば、ティカップには、まだお茶が在る。
ですが、憎き犯罪者に乞うてまで、呑まねばならぬ物は・・・有りません。
頑なに首を横に振る私に、ビルは、更に顔を顰めました。


「・・・チッ!
俺は、食い物の有難味を知らない、お前のような女は好かん。
___だが、コイツは命令だ。
メシが要らないのなら、もう、俺に付いて来い」


フンと鼻で嗤った後、顎で私を誘導する。
・・・一体、何処へ付いて来いと言うのでしょう。
私は、重い槍を引きずったまま、彼の後に続きます。

部屋を出た後の、私達の前に続いたのは、再び、白い壁の連続でした。
地上の、<光の神殿>と同じ壁と床が、ずっと奥まで___続いて居る。
相変わらず、外は観えません。
其の時、頭上で音がして、天井の裏で、風の通る気配がしました。

・・・妙な風です。
風なのに、規則正し過ぎる___。

やがて、私達の前に、木製の扉が現れます。
此れも、地上と同じ内装で、取り立てて特別な特徴は、見受けられませんでした。
それなのに、私は、何かがおかしいと感じる。

違和感を感じた瞬間、ビルが、扉の脇に在った、レンガを押しました。
其の時、違和感の正体が掴めます。
扉には、何処にもノブが無いのです。

ビルが壁を押した事で、窪んだレンガの一部が、摩擦を起こしながら、ゆっくりと平面に戻る。
3分は経ったのに、取っ手も無い、開かずの扉の前で、ビルは、突っ立ったまま動きません。
口笛を拭き、ポケットに手を突っみ・・・焦る気配さえ有りません。

私は、<紅き槍>を、もう一度、ビルに向けようとする。
劣勢を強いられても、今の私は、もう、丸腰ではない。
このまま、ビルを倒し、逃亡を企てる事も、可能なはず___。

ジリジリと後退しながら、周囲に人気が無い事を確かめ、今『行ける』と踏んだ。
其の時、ビルの口笛が止まる。


「・・・止めて置くんだな、王女様。
其の獲物で、俺を倒すのは、<今のアンタ>じゃ無理だから」

「・・・!
何故、そんな事が、お前に解ると言うのですか」

「___其れは、<恩寵>の代物だから、サ」


___ポォン___。


ビルの言葉と共に、透明な音が、神殿の廊下中に、響いて行きました。
同時に、音も無く、滑る様に、目前の扉が開いて行く。
ノブの無い扉が、壁に向かって、吸い込まれるように・・・消えた。


「・・・!」

「ちなみに、コイツも、<恩寵>の一つ。
昔の言葉で、<えれべーたー>と言うそうだ。
<えれべーたー>を使えば、もっと下まで、一気に下れる。
アマゾネス軍が捕って居るのは、コイツで行きつく階よりも、更に下だが___。
それでもアンタは、今此処で、俺と戦いたいのカナ」


・・・<紅き槍>は、ビルの言う通り、まるで動かない。
むしろ、嘲笑うかのように、重いままです。

果たして、此処まで重量の在る代物を、『武器』と呼べるでしょうか。
槍の名手で在るライザでも、いいえ、例え屈強な男手でも、振るう事は、とても難しいでしょう。
・・・其れほどに重い。

普通の人間に、扱う事は___不可能。

棒術の経験が、そう判断を下した瞬間、再び、扉が滑るように締まり、規則的な風が、一気に下り始めます。
部屋全体を、妙な<風の力>が、動かして居る。
其れだけは、風使いの一族として、<えれべーたー>と言う乗り物に、理解が及びます。
けれども、其れ以外の出来事に、内心で、今の私は付いてゆけません。

何故、鏡から過去に跳べたの?
何故、部屋全体が、音も無く下降して行くの___!

次の瞬間、壁一面が、レンガから、一面の岩に変わりました。
いいえ、正確には違います。
レンガや、岩だと想っていたのは、実は、部屋の外側だったのです。

ビルと私が入った部屋は、最初から、床以外の総てが、硝子で覆われ居た。
ヒースさんが見せてくれた、クリスタル硝子の部屋・・・。
此れが___<えれべーたー>___。


(・・・なんて、凄い技術なの・・・)


風の音だけを轟かせ、硝子の部屋が走る。
透明な列柱の合間を、落ちるように滑る。
落ちる速度が早過ぎる。
ローラント城より、遥かに高い高度を、地下の空洞に向かい、もう、落下して居るとしか、言いようが無い。
なのに、部屋の中では、風一つ動かない。
すぐ隣で、同じ<えれべーたー>が、凄まじいスピードで、上昇をして行きます・・・!


「・・・此の技術が、俺達への<恩寵>で無くて、一体何だろう」

「・・・。
ビルさん。
・・・<恩寵>とは、何ですか。
貴方は、此のえれべーたーが、誰かからの贈り物だと言うのですか」

「・・・さてね。
案外、此処から、王女と傭兵が、同じ景色を拝める事が、ギフトなのかもしれないな」


其の時、ビルが、煙管へと石を滑らせる。
・・・<えれべーたー>の中を、煙草の煙が舞う。
其の瞬間、眼下に、広大な景色が拡がります。
・・・広く、青い、地底湖。
アストリア湖の地下に眠る、巨大な鍾乳洞。
其の周囲を、岩牢の窓で見た景色と同じで、今も、軍隊が闊歩して居る。
其の数は___一万を超えて居る!

・・・私は、ビルに向かって、尚、動かない、<紅き槍>を構える。


「・・・おのれ、憎き反逆者どもめ。
お前と、『同じ景色を観る』とは、この事ですかッ!」

「ソイツも要件の一つでは在る・・・が、俺達の本題では無いな。
今の俺に、要りようなのは・・・」


______『ソイツだ』。


其の時、ビルが、ゆっくりと、煙管の先を、私へ向けます。
煙管の先が、煙を棚引かせながら、示していたのは___。
___ローラント王家の宝石でした。