リン・・・。
光が弾ける度に、木霊す音。
コツッ。
ヒールが床に落ちる音。
音達が女の声と共鳴し、鳴り響く。
まるで、夏の夜に鳴く、蟲の音色のように。


「また会えて嬉しいよ、ホークアイ。
捕まりに戻ってくれたのだね。
掟破りの、仲間殺しさん?」

「・・・イザベラ・・・」


イザベラは、俺の姿を観ると、さも可笑し気に唇を歪めた。
ゆっくりと、俺達の傍までやってくる間も、終始微笑みを崩さない。
例え、リースが槍を構え、何時でも突きに入る態勢を取っても、余裕の態度は消え無い。
其の時、イザベラの腹に、リースの槍の切先が触れる。
それでも変わらぬ微笑に、リースの表情がこわばる。


「ローラントのお嬢ちゃんも、無駄な事はおよしなさいな」


そして、イザベラが、再び笑ったと思った、次の瞬間。
ヒュッと空を切る音がした。
『音がした』と認知した其の時には、もう槍は消えて居た。
同時に、遠くで、カランと乾いた音が響いてゆく。
音がした方へ振り返ると、リースの槍が、風のシステム本体より、ずっと遠くに転がって居た。


「フフフ・・・!
私は<古代呪法>を使う者。
槍など、子供の玩具にも劣る。
フン、しかしお前も、随分と物忘れが激しいようだね、ホークアイ!
お嬢ちゃんが、私を殺そうとしてもいいのかい?」

「クッ、ジェシカの<死の首輪>かッ・・・!」

「フフン、そうさ!
大切なジェシカの命、私が死ねば、どうなるんだっけ?」


イザベラは、いよいよ晴れやかに、破顔をした。
愉快と愉悦が極まったような笑顔だ。
妖艶な美女が、腕に絡みつく蛇の腕輪に、指を滑らせてゆく。
そして、ゼブラの模様をした、上質なケープの肌触りを楽しむように、纏い直した。
血のように紅いルージュを引いた、形のいい唇が、ニッコリと、張り付いた微笑を浮かべる。


「ふふ、でもね、ボウヤ達。
お前達が考え直すなら、私は首輪を外しても、一向に構わないんだよ?
___私の真名は『美獣』。
黒の貴公子様にお仕えして居る。
お前達には、貴公子様からの言伝が在るのさ。
よく聞くがいい、人間ども。

『聖剣を抜く者達よ。
悔い改めるなら、今の内だぞ。
聖剣と共に、我が軍門に下るがよい』

我が主は・・・そう仰せだ」


美獣の言葉を聞いた瞬間、リースの目の色が変わる。
其の手が、槍を持たないまま、それでも、美獣の胸倉を掴もうとした。
けれども、あっけないほど、美獣はヒラリと躱す。
そして、再び、ニコッと笑った。
それでも、リースの瞳は変わらない。
___其処には憤怒が宿って居た。


「美獣!
お前は、お父様の敵!
貴女は、ナバールを利用して、ローラントをこんなにしたのです。
なんて人なの。
誰が、貴方達の軍門などに!
国の内側から戦争を引き起こすなんて・・・。
貴女はそれでも人間なの!?」


美獣は、リースの言葉など、全く聞こえて居ないようだ。
ヒラリと躱したまま、次は指先だけを、クイと上にあげた。
すると、其れだけで、リースの動きが止まる。
どれだけ身体の力を全力で出しても、美獣の指には叶わないのか。
リースの身体は震え、顔は青みを帯び、其の額からは、汗が滲んだ。
少女の様子を見下しながら、美獣は、勝ち誇ったように笑う。


「アッハッハ!
元より、我らは、人間では無い。
・・・我らは<魔界の住人>!」


美獣は、上方へあげた指を、左へ向けた。
途端に、リースの身体も、左へ吹き飛ばされそうになる。
俺は、すぐに手を伸ばし、リースの身体を抱き留めた。
美獣の力を受けた衝撃で、俺達は、システム本体へ続く階段を、共に転がり落ちて行く。
床に叩きつけられると同時に、体中に痛みが走った。

勢いで、俺とリースは、お互いの身体が離れる。
すると、まだ倒れたままの俺の傍へ、フワリと美獣が舞い降りた。
美獣は歩いていなかった。
___宙を舞って居た。

美獣は、俺の傍らにしゃがみ込んで、愛おしそうに、俺の顎へと指を掛ける。
そして、頬を優しく撫で、甘く囁いた。


「・・・ようくお聴き、ナバールのぼうや。
19年前の戦争の時代から、いや、其れよりも、遥かに昔から・・・。
私達の魔界と<ペダン>、そして、ナバールの縁は、とても深いのだ。
お前のイーグルは、其の繋がりを、早くに知り過ぎた。
史実の書かれた書物によって、ね。
真実と言うものは、知れば、時には、命さえ奪うものさ。
・・・だが、ホークアイ。
お前は死なずともいい。
ナバールも、再び、此処まで堕ちた事だ。
そして、黒の貴公子様も、お前の活躍を望んでおられる。
・・・さあ、ぼうや。
私の元へいらっしゃい」


美獣は、俺の髪を、ゆっくりと撫でた。
まるで、自分自身の髪をとくように、指ですくって、何度もハラリと落とす。
其の度に、俺の視界には、美獣のネイルが映った。
磨き上げられた長い爪先は、唇と同じ、深い赤だ。
魔性の唇が、俺の髪を弄びながら、楽し気に語る・・・。


「お前のイーグルの命を奪ったのは、私では無いよ。
ジョスター王を、殺害したのもね。
真に殺した者。
其れは<マナの女神>なのだ。
覚えておきなさい、可愛いぼうや。
幻の古代王国・ペダンの名を。
女神に仇名し、時と次元を超え、生死さえも超える、新たな神の国の名を。
我らの魔界と、お前のナバールは、ペダンと共に在るのだから」









『さて。
どうやら、風のマナストーンは、エネルギーの解放が終わったようだ。
ならば、こんな城に、もう用は無い!
欲しければくれてやる。
ぼうや、お嬢ちゃん。
黒の貴公子様の提案を、ようく考えて置くんだね・・・』


そう言い残して、あっさりと、あっけないほど、美獣は去った。
唯『マナストーンの力を解放する』為だけに襲われた王国、ローラント。
ナバールは、ローラントを奪うためだけに、魔界に利用された一族だと、宣言をしたのだ。
そして<ペダン>。
全く知りもしない国の名を語り、美獣は消えた。

現在のローラント城は、アマゾネス軍によって、奪還が完了して居る。
俺のすぐ足元には、幾人ものアマゾネスが負傷をし、座り込んで居た。
けれども、其の数以上に、ナバール兵の死体の数が、圧倒的に多い。
沢山の兵士達が、ある者は重症を負い、ある者は息絶えて、床に転がって居た。


『残党が、まだ塔に!』

『追え!
逃がすなッ!』

『ナバール兵は、大人しく捕まればよし。
だが、抵抗を示すのなら・・・。
殺せ!』


俺の隣を、アマゾネス軍の一個小隊が、足早に通り過ぎていく。
俺は、戦火の元で『誰も知らないのか』と思う。
美獣と直接話をした、リースと俺以外は、誰も<ペダンと魔界>を知らない___。

真実を想うと、俺の足がすくんで、僅かに身体が震えた。
戦争が、唯<魔界>なんかに、踊らされて居るだけなのだと、真実を知った。
けれども、其れを、アマゾネス達に説明した所で、絶対に『夢物語』なんだ。

此の先の事を、まともに考える事も出来ないまま、今の俺は、リースの姿を探して居る。
美獣が去った後、ナバール兵が撤退を始めてから、リースは、アルマ達と合流をしたはずだ。
ライザは、ナバールが去り、城の奪還に成功した今、俺に用は無いらしい。
俺を冷たく一瞥して、俺の傍からは、去って行った。


(・・・リース。
リースは、此の旅を、一体どうするのだろう?)


同じ制御室に居ても、遠くから見ていただけのライザと、リースは違う。
リースは、直に、美獣の話を聞いたのだ。
ライザとは違う視点で、次を決めるはずだった。
聖剣を求める旅を、これから、一体、どうするのかを。


「うおーい、リース?
今、何処に居る~?
チョット、俺と話をしようぜ。
これからの事!」


俺は、リースの姿を探して、もう小一時間は、城の中を歩きっぱなしだ。
城が広い上に、まだ周囲では、小競り合いが続いて居た。
一方では、負傷者を集めて、手当をするアマゾネス部隊も現れて居る。
今は、奪還が済んだとは言え、後処理が山積みのタイミングでもある。
混乱の中から、リースを見つけ出した所で、リースには、俺と話す余裕は無いかもしれない。

それでも、少しでいい。
俺は、話がしたかった。
理解がし合える人と___。


「・・・リース!」


其の時、俺は、ようやく、リースの姿を見つけた。
今のリースが立つ場所は、玉座の間だ。
ロイヤルブルーで統一された、一段高い場所だった。
空席の座が、中央に据えられて居る。
椅子の傍に、リースとアルマが立って居る。


「よし、やった!
ようやく見つけたぜ。
取り込み中悪い。
でも、10分でいいんだ、俺に時間をくれないか、リース。
・・・?」


だが、二人の様子がおかしい。
周囲には、沢山の、アマゾネスのネーちゃん達が居る。
だと言うのに、あのリースが、なりふり構わずに、感情を顕にして居たのだ。


「アルマッ!
ならば、貴女は、19年前のペダン王国を知って居て・・・。
其れでも尚、ナバールを恨むと言うのですかッ」


ナバール、そして<ペダン>。
二つの組織名が、リースの口から出た瞬間、俺は、咄嗟に、窓辺のカーテンへと身を隠した。
分厚い布地越しから、リースの声が伝わって来る。
・・・とても低いアルマの声も。


「・・・リース様。
リース様は、19年前の戦いを知らぬのです。
アマゾネス軍の中には、当時のナバールとの戦で、肉親を失った者も居るのですよ。
どうか、ご理解下さい。
確かに、ペダンと言う王国は、存在をしておりました。
そして、当時のナバールが、ペダンに利用されて居たに過ぎぬ事。
私は其れも存じております。
ですが、ナバールは、唯利用されて居た訳ではありません。
ナバール自体の判断で、ペダンに与しておりました。
そして、我が同胞を、殺して来たのです。
リース様も、見たでしょう。
此の玉座の間で、お父上が殺害された所を・・・」

「・・・もう止めて。
止めて下さい、アルマ・・・」


リースの、悲鳴にも似た声が、広間に響いた瞬間。
俺が隠れていたカーテンが、誰かの手で、乱暴に暴かれた。
広間に立って居た、アマゾネスの一人が、俺を見つけたのだ。
アマゾネスは、俺を見つけた瞬間、俺を縛り上げようとする。


「其の茶褐色の肌、まだ残党が!
この、ナバールの子鼠めッ!」

「!
ち、違う、俺は・・・!」


______協力者だ!


俺は、言い返そうとした。
でも、出来なかった。
あんな風に、目の前で、俺の仲間達が、リースのお父さんを殺しただなんて。
たった今、知ってしまったら。
もう『協力者』とは言えない・・・。

俺は、俺を捕まえようとする、アマゾネスの腕を振り払った。
パアンッ、と乾いた音が、玉座の間に響いてゆく。
其の音で、俺の存在に気が付いたリースが、振り向いた。


「!
ホークアイ!
・・・駄目っ。
皆、追わないで、彼は違うの・・・。
お願い、待って、ホークアイ!」

「・・・・・・いけません、リース様ッ」


遠くに響く、リースとアルマの声を聴きながら___。
俺は、がむしゃらに走り出して居た。







そうして、一体、どれぐらい走り続けて居ただろう。
周囲には、誰も居なくなったと気づいて、ようやく俺は立ち止まれた。
俺の目前には、長い釣り橋が在り、高い山の上からは、遥か遠くまで、海と空が見渡せた。

其れは、抜けるような、青の世界だ。
澄み切った、透明な空と海原が、果てしなく続いて居る。
波音は聞こえないけれど、潮風が巻き上げて、肌に触れると心地いい。

柔らかな風を纏う、気高い、ローラント城。
白亜の城が、俺の頭上に聳えて居る。
頂点ではためく、ローラントの国旗を見上げて、俺は想った。

もう・・・。
リースと一緒に居ては、いけないのかもしれない。


「・・・。
・・・リース」


彼女の名を呟いてみると。
・・・何故だろう。
とても懐かしいような、思わず、また、あの手を取りたくなるような、そんな気持ちになった。
リースは、こんな俺でも、出逢った時から、信じてくれた子だ。
お父さんを、ナバールに殺されても、俺の身を案じてくれた。
美獣の存在を知って、一緒に、魔界とペダンの存在も、垣間見た。
今の俺の、たった一人の理解者だ。
けれども、だからと言って・・・。


「こんな俺が、これからも、リースと一緒に居たいだなんてサ。
そんなのは、きっと・・・。
俺の我儘、なんだよな・・・」


___きっと、そうだと想う。


何故ならば、俺の頭上には、ローラント城が聳えて居る。
海原から目を向ければ、漁港パロの街並みと、豊かな森が見渡せた。
其れは、今まで、ナバールに不当に奪われて居た街と、豊富な資源だ。
城は、国一つの象徴。
そして、リースは、ローラント王国の王女様だった。
リースは、緑が溢れ、海の香りがする、綺麗な王国の、お姫様なんだ。

でも、俺は・・・。
王国を奪って傷つけた、砂漠の貧しい一族の出。
しかも、孤児だった。
そんな俺が、リースと一緒に居る。
唯それだけで、あんなにも、リースを追い詰めてしまう。

だから、やっぱり。
敵討ちも、呪いを解くのも。
『自分独りでやればいい』。

其の結論は、ごく自然に、俺の内側から導き出せてしまった。
俺は、そっと、ローラント城を後にしようと、踵を返す。
重い足を上げて下山し、独りでパロを目指そうと思った・・・。
・・・其の時だ。


「・・・ピっ☆」


___ひよこ。


何故か、ヒヨコが、釣り橋の上を列をなして、足元で行進して行く。
同時に、山の梺の方から、沢山の女子供が、ワッと、押し寄せるように現れた。
漁港パロの町人達だ。
皆、誰かと争ったばかりのように、ボロボロの恰好をして居る。
あちこち擦り切れて、血を流している人も居た。
けれども、彼らは楽し気に肩を組み、歌さえ歌いながら、ローラント城を目指して居た。


「アマゾネス軍、万歳!」

「オレ達も、ローラント城の再建の為に、頑張らなきゃな!」

「フガフガ、ローラントばんじゃい!」


そんな風に、喜び合いながら、白亜のお城を目指して居た。
行列の後尾に居た、幼い女の子が、俺の事を見上げて居る。
女の子は、俺の事をじっと見つめた後、足元のヒヨコを一匹拾い、おずおずと差し出した。


「・・・お兄ちゃんも、お一つどうぞ。
この子はね、一週間前に、パロで生まれんだよ。
すごく縁起がいいでしょ?
だから、オジサン達が、今から皆、城に連れて行けって言うんだ。
だから、お兄ちゃんも、お祝いに、一匹どうぞ」

「・・・ぴよ☆」


俺の手の平に乗ってしまうほど小さい、生まれたばかりの、小さなヒヨコが乗せられた。
柔らかい、もふもふの毛並みと、生き物の温もりが、手の平から伝わる。
ヒヨコは、つぶらな瞳をクリッとさせて、また、ピッと鳴いた。

女の子は、ヒヨコを見届けると、嬉しそうに『じゃあね』と手を振り、去って行く。
そして、入れ替わりに、町人の行列の合間を縫うように・・・。
人ゴミをかき分けながら・・・。
___彼女が現れた。


「・・・リース」

「・・・ホークアイ!」


そうして、リースは、俺に駆け寄り、俺の手を取る。
数時間前、裏門で俺の手を取ったように、心から安心した顔を見せて居た。
俺を見つめて、また、涙さえ、流しそうになりながら___。


「行かないで下さい。
傍に居て下さい。
私は、貴方の事が、心配なんです・・・。
ホークアイ・・・」


本当に、一粒だけ、涙を流しながら。
蒼い世界に輝く、透明な滴を、白い頬の上に流しながら___。
リースが囁く。


「・・・。
私も、どうしていいのか、解りません。
でも、だからこそ・・・これからも、ホークアイと一緒に居たいの。
そして、ちゃんと考えたい。
どうして行くのかを。
そして、此れだけは確実なんです。
私が、エリオットを助けなくてはならない事は。
ホークアイ、貴方が、ジェシカさんの呪いを、解かなくではならないように。
私も旅を続けなくてはなりません。
だから・・・」


リースは、グチャグチャになった、長い髪を直すように、碧のリボンを解いた。
ふわっと、潮風に、綺麗なブロンドが舞ってゆく。
キラキラ輝く海の深い青と、淡い青が入り乱れた空。
紺碧の中に、リースの髪が流れて行く。

俺も、どうしていいか、解らなくなる。
こんなに綺麗な世界で、リース自身に懇願をされたのなら。
これからの俺は、一体、どうすればいいのだろう。
それでも、目の前で、他ならない、リース自身が、俺を望んでくれて居る。
・・・だから。
俺は、リースの手を取った。
そして、ちょっと力を抜くように、リースの頭にヒヨコを乗せて、尋ねて見たんだ。
『こんな俺でも、本当にいいのかな?』と。


「・・・リース。
俺は、君に、もっと自分を大事にして欲しい。
だって、君は、王女様なんだろう?
自分を頼ってくれる人達が居るのなら・・・。
其の人達の目の前で、信頼を裏切るようなマネをしちゃあ、いけないんじゃないかな。
___俺は、ナバールの人間だよ」

「・・・ホークアイ」

「・・・だけどね。
俺自身は、凄く嬉しかった。
リースが俺を信じてくれた事がね。
・・・だから。
・・・有難う。
もう、キスしちゃう___」


こんな戦いのさ中でも、こんなに信じあえる人と、出逢えた今が、幸せだ。
___だから。


「もう少し、後少しだけでいいんだ。
もし、君が、まだ旅を続けるのなら。
リース・・・俺も、君と、旅がしたい」


二人だけなら、大丈夫なのかもしれない。
こんなに優しい世界を、守れるのかもしれない。
此の旅が、続く間だけならば。
___其処には、城も、国も、無いのだから。