あの日、大きな樹の下に、俺達は、忘れられない思い出を遺したままだった。
土を掘るための道具などは無かった。
俺達に在るのは、剣と杖だけだった。
広大なマナの聖域には、死体が満ちて居る。
其処は、互いに聖剣を奪い合い、血で血を洗う戦う、世界の果てだ。
築きあげられた、死体の山が、高く高く、聳えて居た。
アルテナ兵の残骸。
ビースト兵の躯。
ナバール兵の遺体。
漂う腐臭を、雨が拭う。
俺とアンジェラの顔は、土と、泥と、血で汚れた。
それでも、アンジェラは『あの子達』の為に、死んだ兵の弔いを止める事は無かった。
ホークアイは、ナバール兵。
ケヴィンは、獣人兵。
弔いの為に、各自が聖域に散って行く。
ホークアイにはリース、ケヴィンにはシャルロットが同行して居た。
そして、アンジェラには、ずっと俺が付いて居たんだ。
それでも、百を超える遺体を、これだけの人数で、埋め続ける事は___。
余りに気が遠くなる作業だった。
そう、俺が、弱音を漏らし掛けた時。
アンジェラが、俺にだけ『ワガママ』を言ったのだ。
『・・・あのね。
デュラン。
一つだけ、お願いがあるの。
聞いてくれる?』
其の声は、いつもと変わらない、甘い声だ。
けれども、俺が振り向いた時、出逢ったアンジェラの瞳は、痛いほど澄んで居た。
俺は『アンジェラのワガママ』を断れない。
いつの間にか、俺にとってのアンジェラは、そんな存在になって居た。
エメラルド・グリーンの目で乞われると、俺は、もう、何も、拒否が出来なくなって行く。
俺は、土を掘る手を止め、剣を地に投げ捨てた。
剣が地に落ちるのを待ってから、アンジェラも、杖を、そっと地面に置いた。
マナの聖域では、ずっと雨が降り続いて居る。
そのまま、互いの視線が絡み合い___。
どのくらいの時間が経っただろう。
フイに、アンジェラが目を閉じた。
其れは、合図だ。
『・・・ついてきて?』
短く促され、俺は、雨の聖域を、アンジェラの背中を追って、歩いて居た。
抗しがたい魅力を感じる背中を、ひたすらに、俺は、追い続けた。
其処までの魅力を、何故、アンジェラに感じているのかは、解らないままに。
だから、其の衝動は。
酷く、本能的で。
熱を帯びて居た。
やがて、辿り着いたのは、白の列柱が立ち並ぶ、聖域の中心部だ。
風雨に晒された、東屋の中には、まだ、紅蓮の魔導師の遺体が在る。
『ただいま、紅蓮。
お待たせ。
さっきは、取り乱しちゃってゴメンね?
私、ろくに何も出来ないままで・・・。
せめて、眼ぐらいは、閉じてから行けば、良かったね。
私、弱虫な<家族>でゴメン。
ほんとにゴメンね。
___ブライアン』
アンジェラは、紅蓮の魔導師の瞳に手を翳し、そっと、瞼を閉じた。
透明な水晶のような瞳は、ずっと、見開かれたままだった。
其れが、ようやく閉じられて行く。
初めて、静かに、安らかに、眠る事が出来たように。
アンジェラと同じように、端正な顔立ちをした、紅蓮の魔導師の遺骸。
もしも、紅蓮の魔導師と出逢えて居なかったら。
俺は、フォルセナ城の城壁から、旅立つ事も無かったのだろう。
紅蓮の魔導師の事を、心から大切そうに、アンジェラは『ブライアン』と言う。
其の頬を、何度も撫でながら、ブライアンの事を<家族>と呼んだ。
『ブライアン。
アンタは、もう二度と、私を名前では、呼んでくれないのね。
・・・私、イヤだな。
そんなのは、やっぱりイヤだよ。
だって、アンタぐらいだったのよ。
私を、ちゃんと、私と呼んでくれるのは。
だから、お願い。
私を独りにしないで。
此の世界で、たった一人の・・・。
家族を、私は、失いたくない』
アンジェラは、紅蓮の魔導師の躯に、ずっと、自分の名前を、生きて呼んで欲しかったと言った。
其の時、何故だろう。
後ろに立って居ただけの俺は。
激しい焦燥に駆られた。
肌の奥に宿った熱が、何を意味するのかも、解らないままに。
其の時、俺の事は、まるで観えていないようだったアンジェラが、フイに俺を見つけた。
翡翠の瞳が哀しく微笑んで、俺の名を呼んだ。
『デュランは・・・。
此の戦いが終わった後も、 私の事を、名前で呼んでくれる?』
今思えば、あの時のアンジェラは、何処か、熱に侵されたようだったと想う。
俺も、どうしようもなく、焦燥に突き動かされて居た。
言葉は一つも選べなかった。
あの夜は、余りにも、人の死に晒されたせいかもしれない。
途切れ途切れになる理性。
隙間を縫う様に訪れる、熱を帯びた疲労。
時折、鼻孔を突く血の香りに、聖域独特の、花の香りが混じり合うから。
俺達は、乱れて居た。
蒸せるような空気の中で、アンジェラは、淡々と、俺にだけ『ワガママ』を言う。
今は『紅蓮の魔導師の躯だけ』を『一番キレイに』葬りたいと。
俺は、頷いた。
其の瞳には、もう逆らえないから。
夜の間中、俺達は、紅蓮の魔導師の埋葬だけを、手厚く行った。
アンジェラは『あの子達と同じ場所』へ『同じように』紅蓮の魔導師を葬るのを嫌がった。
アンジェラにとっての、紅蓮の魔導師は、明らかに『あの子達以上の存在』だった。
___俺は、見せつけられて居た。
アンジェラにとっての、紅蓮の魔導師は、特別で、何よりも代え難かったのだと想う。
紅蓮の魔導師を失う事は、自らの身を切られるの事と、同じだったのだと想う。
其の存在を<家族>と呼んで。
アンジェラは、喪失の痛みに耐えて居た。
俺は、隣で、アンジェラを支えてやる事しか、出来ない男だった。
あの時の俺には、紅蓮の魔導師ほど、アンジェラの心を占める事は、出来なかったと想う。
何故ならば、俺は、アンジェラの<家族>では、無かったのだから。
『・・・終わったね』
最期に、紅蓮の魔導師の顔へ、土が乗った時。
ようやく、アンジェラは、崩れた。
___俺の腕の中へと。
もう還らない、死んだ家族を想い、自分を名前を呼んで欲しいと、泣きながら。
だから。
其れは、必然だった。
もう、理性は、無かった。
『アンジェラ。
お前は、家族が欲しいのか・・・?
だったら・・・俺が・・・』
乱れた心が口走る言の葉。
生まれを、立場を超えて、紡ぎたくなる、衝動。
俺の家は狭いけど。
お前独りぐらい、何とかなるだろ。
お前が、名前で呼んで欲しいのなら、此れからは、俺が呼ぶ。
俺じゃ、駄目か___。
其れは、熱に侵されたからだった。
疲れと、涙と、土と、血が、そうさせて居た。
もう、何が正しい事かも解らないまま、俺は、アンジェラと<家族>で居たいと、そう願って居た。
タガが外れた、心の何処かで、俺には叶わない願いだと、解っていながら。
魔法王国アルテナの、唯一人の王女。
其の行く末は、生き延びれば、女王しかない。
そんなものは。
俺には、家族と言えない。
そんなものは、俺の部屋には入らない。
『・・・デュラン、それ、本気なの?』
おずおずと差し出された、アンジェラの指先の。
か細くて、震えてるのが、俺だけに、ハッキリと見えてしまう。
俺達は、もう引き返せなくなって居ると___。
解ってしまう。
あの時の俺には、アンジェラを、これ以上悲しませたくない事が、全てだった。
家族を失ったのなら、少しでも、代わりになれたらいい。
其れだけを考えて居た。
正しくは無い。
熱と、本能だけが、全てだ。
___自然と重なった肌。
衝動を止める事が、俺には出来なかった。
アンジェラが、涙を流したままなのを、拭う事さえ出来なかった。
あの時の俺は、出来ない事だらけで、今も、出来ない事の方が、ずっと多い。
それでも。
いつか、親父のように『黄金の騎士』になれたのなら。
フォルセナという国の、王城からならば。
アンジェラを支える事が、俺にだって、出来る日が、きっと来るから。
だから、全てが終わったら。
お前を、名前で呼んでやるよ。
いつか、必ず、お前の事を。
陛下じゃない。
俺の、愛する<アンジェラ>と。

|