今となっては、其の景色ばかりを、思い出して居る。


糸のような雨が、白く世界を濁し、足元で一輪の花が揺れる。
覆い茂るに任せた蔦。
欠けた白い大理石の石畳。
何処までも立ち並ぶ、白の列柱。

妖精の指先が、水面に触れる時にだけ、揺れる池の水面。
薄もやが水の上を滑り、巨大な蓮の葉の奥へと誘った。
景色の総てが、霧に包まれて居る世界、<マナの聖域>。
記憶の中で、俺は、雨に打たれ続けて居る。


『デュランよ。
我々の負けだ。
敵は、我らの本拠地、ドラゴンズホールに乗り込み、我らの主、竜帝様を暗殺した。
もはや、戦う理由も無くなった・・・』


マナの聖域に振る、雨の狭間から、深いテノールのような声がする。
一瞬、雨の止んだ時、朝もやのような霧が晴れて、声の主が姿を現した。
声の主は『黒曜の騎士』と言った。

騎士の身体は、もう霞のようだ。
早朝の雨に溶けて消える、冷たい空気のように、儚く散ってゆく。
漆黒の鎧が透けて、池の向こう岸に、東屋が見えた。
屋根の下には、マナの女神像が佇んで居る。
東屋の女神像だけは、他と違って、虹色に輝いて居た。
其れは<マナストーン>の女神像だ。

美しい女神だった。
俺が見てきた女神の中で、彼女は一番美しかった。

___其処には。
___鮮血が飛び散る。

顔半分に付着した血糊の向こうで、美しいマナの女神は、静かな微笑を浮かべ続けて居る。
其の頬に、ゆっくりと流れていく血は、涙で出来た宝石のように、煌めいて居た。
落ちる滴の元には、血の主が崩れて居る。
水晶のように、透明な瞳の瞳孔が、ゆっくりと、開いていく記憶。


『紅蓮の魔導師も、赤子の手をひねるように敗れ去った。
私も間も無く消滅する。
私は<一度死んだ人間>。
竜帝様の・・・ノ、チカラで・・・動いて・・・』


カランと、乾いた音が響いた。
俺の足元に、アンジェラの杖が、転がって行った。
アンジェラは、自分が杖を落とした事にさえ、気づいて居なかった。
其の身体は震え、青ざめた頬を、自由になった両手が、掴んで行った。

黒曜の騎士は、アンジェラを一瞥する。
乾いた声を、霞の奥へ響かせ、風に流れる白雲のように、儚く消えながら。


『・・・さらばだ、デュラン。
私は・・・お前の・・・』




□ Ordinary People




___こくっ。


そして、俺の顎が、音を立てるほど大きく落ちる。
瞳をゆっくりと開けば、目前には、身体を預け切った、白銀の剣が在った。
抜き身のままの大きな剣だ。
剣を両手で必死に掴みながら、膝をついて、いつの間にか眠っていたらしい。


「随分長い間、居眠りをして居たのだな・・・デュラン」


刃の表面に、白銀の甲冑が映る。
俺の鎧より、遥かに作り込まれたプレイトだ。
細やかな細工と艶めきが、剣の奥で、静かに光輝いて居る。

俺が膝をついたブーツには、同じ白銀のプレイトが輝いて居た。
けれども、同じ素材だとしても、剣に映るプレイトほどには、作り込まれて居ない。
俺が身に着けて居るのは、下士官用の鎧だからだ。
重厚な装飾を纏う、上官の言葉が、頭上から落ちて来る。


「だが、其れも致し方の無い事だな!
先の戦で、多くの者が死に、白銀騎士団は、いつも人手不足。
デュラン、君も暫く寝て居ないだろう。
今夜は、私が代わりを務めよう」

「!
いえ、とんでもありませんっ。
・・・団長!」


俺は、剣に預けて居ただけの身体を、すぐ様立て直した。
そして、膝まずき、頭を垂れる。
すると、長くて固いだけの、俺の髪がズリ落ちて、だらしない影を作った。

此処は、フォルセナ城の城壁。
フォルセナ軍・白銀騎士団が、警備を担う場所だ。

城の正面を守る城壁からは、モールベア高原も、大地の裂け目も、よく見えた。
其の山際を、眩しい朝日が照らして居る。
敵の攻撃から、城を守るための城壁、其の至る所に、フォルセナ王家の紋が刻まれてる。
背後に聳える、王城の頂点にも、象徴である紺碧の旗が、高原からの風に吹かれて居た。


「言っておくが、いくら剣術大会の優勝常連でも、お前も人間だ、デュラン。
責任者にだって、休みは要るぞ?
未来の娘婿に、過労は似合わわんからな!
組織にとっても、残業代は余計な経費。
休むべき時には、休みなさい」

「・・・!」


団長は、豪快に笑った。
すると、赤面する俺の背後で、妙な笑い声が聞こえる。
白銀騎士団の穴埋めで回された、他団の傭兵達の声だ。
其の嘲笑が、俺の背中を刺した。


『フン、黄金の騎士の息子はいいな!
居眠りしてても特別扱いか』

『いくら<聖剣の勇者>の仲間だからって、19歳で隊長職かよ。
英雄王もどうかしてるゼ』

『あんなフツーの顔で、資産も無い孤児の癖に、逆玉だとう?
出来過ぎてて、マジでムカつく。
・・・死ねッ!』


俺は、奴らに向かって、グリンッ!と振り向いた。
そして、口パクで、般若のような顔で、言ってやるのだ。


(・・・うっせえ!
バーカバーカ!
お前等なんか・・・。
心がラビ以下だあッ!!)


すると、傭兵達は、舌を出して去った。
そんな俺達の様子を、微笑ましそうに見つめながら、団長が続ける。


「デュラン。
君は、2年前に世界を救った、ウェンデルも認める<女神の騎士>。
もっと胸を張りなさい」


けれども俺は、顔で笑って、心で泣いて、内なる舌を出しちまう。


(何だよ、アイツ等は!
いっつも陰口ばっかり叩きやがってえっ!)


しかし、こんな時ほど、リチャのおっちゃんの顔が、俺の脳裏を過る。
二人だけの時は、王様ではなくて、単なる中年オヤジのおっちゃん。
そんなおっちゃんが、記憶の中で、優しく俺を諭した。


『下の者には、この人の為なら!と思わせるんだぞ、デュラン。
シモーヌとの婚約も決まった事だ。
もう、後ろ盾も在る。
もっと、堂々として居なさい。
それだけでも人は付いて来るんだから、簡単に心を乱してはいかんぞ?』


なので、仕方無く、本当に舌を出すのは止めた。
其の代わりに、昇進してからは、敬語ばかりの日々に、馴染む努力をする。


「しかし、団長・・・。
私には、其の、婚約の話は、まだ早いと想うのですが・・・。
私は、隊長職についてから、日も浅い若造。
シモーヌ様と釣り合うとは・・・その、とても?」

「間違い無く、シモーヌには君だ」

(グッ!!)


俺は、後頭部を軽く殴られたような、そんな気持ちになった。
死んだ俺の母親と、同じ名前の婚約者だから、尚更だ。
噂によると、本当に、若い頃の母とそっくりらしい。
俺は本人と逢った事は無いが、城内(主にメイド組・ウェンディの言葉)に依るとだ。
シモーヌは。


① 控えめな美人(ゴハンで例えると、肉じゃなくて、サラダ系ね!)

② 内助の功に長けている(家事全般のスキルで、最高値を叩き出すんだそうよ!)

③ 武家の子女(夫が死んだら、自分も死ねって、花嫁学校で教わっているらしいわ!)

④ 嫁の極み(恐ろしい子___)


おそらく、清楚に暮らし、一家を守り、自分の事は全く省みず、夫と子供に尽くすタイプだろう。
下手をすると、そのせいで、自分の病気も隠しそうなほど、熱心に尽くすように育てられて居る。
つまり、シモーヌは。
何処かの雪国の、足グセの悪い、口も悪い、ド派手な誰かとは、真反対と言う訳で。


「私のシモーヌでは駄目かな?」

「・・・!!」


俺は、下腹に、強烈な蹴りを喰らったような気がした。
其の瞬間、旅の間に観た、アイツの顔や仕草が、後頭部の奥で、弾けて消えた___。







街で一番、大きな武具屋の屋敷、其の一部が俺の自宅だ。
結局、あれから丸二日、徹夜バリだった仕事が明けて、ようやく俺は、帰宅を果たして居た。
俺の家は、余り知られていないが、国の持ち物だ。
戦争で、父親を亡くした遺族に、提供される借家だった。

生前の稼ぎがどうあれ、資産が無ければ、大国柱を失った遺族は、路頭に迷う。
だから、俺の家は、国が、殉死をした兵士の遺族を保護する為に在るのだ。
ロキは、語り継がれるほどの英雄だが、資産家じゃない。
剣の腕前と人望で、ずっと王家に仕えて、最後は団長にまでなったとしても。
其れは、一代限りの出来事だった。

俺の家には、家族の一生を賄えるほどの、財産は無い。


「・・・。
ただいま」

「あっ、お兄ちゃん!
おかえりなさい!
ねえねえ、砂漠からホークアイさんが来てるよっ」

「・・・ゲエッ、またかよ?
こっちは徹夜明けなんだぞ、構ってられっか。
俺は寝るぞ、ウェンディ。
・・・。
何だよ、何故、俺を睨む」

「だって、素晴らしい眼の保養に、そんな事を言っちゃあ駄目よっ!
艶やかな美青年は、私達メイドの、共有財産なんだからね!
ホークアイさんが、フォルセナ城に商談に来てくれるから、お兄ちゃんの株も上がったの。
其処を忘れた訳じゃ無いでしょ?
ホラホラッ。
美しい立役者には、挨拶をしてから、ゆっくり寝てよね、お兄ちゃんっ!」


見ると、確かに、ホークアイが居た。
ダイニングルームの椅子に、よく慣れたカンジで座り、俺に目を留めると、ヒラヒラッと手を振る。
19歳になったホークアイは、2年前より、少し細見になったと思う。
背丈は当時と変わらないが、本人は『一センチ伸びたゼ!』と言い張る。
下手をすると、アンジェラより綺麗な、長い髪の毛先が、クリンと揺れた。


「格安で、フォルセナに、ナバールの新商品をだなあ!
こうして毎度、律儀に大量提供してる俺に『またか』は無いだろう、『またか』は」

「・・・。
ホークアイ、お前んトコの、砂漠でとれる薬にゃ、ま、感謝はしてるぜ。
個人的に、名前も好きだよ。
『サボテン君の、いたいの、いたいの、飛んでゆけ』。
ダケド、なんでイチイチ、お前が動くんだ。
お前が、フォルセナまで運ぶ必要は無いだろ。
移動時間に意味が無い。
多大なる経費の無駄だ」

「フォルセナに遊びに来いって言ったのは、お前じゃないか!
つれないデュラン君。
今夜こそ、ブラックマーケットへと、共に繰り出そうではないか。
そして、一夜のセクシーダンスを・・・漢のロマンと共に!」

「断る」


俺は、前方3メートル先で、やれ『冷たい』だの『それでも漢か』だの、喚くバカは捨て置いた。
俺は忙しい。
眠い。
もう疲れた。
人生の諸課題で精一杯、漢の一生にセクシーは要らない。
よって、自室に逃げるべく、階段へと足を掛ける!


「ナア、其処は接待だと思って付き合えよ、お得意サンっ。
フォルセナの騎士様、白銀騎士団様、今後とも、ナバール盗賊団改め、ナバール商会をご贔屓に~!
盗賊家業から足を洗い、額に汗して働いた成果を、是非とも君に・・・!」

「確かに口は聞いた。
でも、俺には、決定権が無いんだぞ。
もっと売りたいなら、他を当たれよ。
これからは、俺より上と話をつけろ!」

「ちょいとお待ち、デュラン。
なんだい、ホークアイさんに向かって、其の言い草は。
丸二日、お風呂にも入らないで、ボサボサして。
ワザワザ来てくれた友達に、そんな態度じゃあ、叔母さんは関心しないよ。
ホークアイさんに失礼だろう!」


そんなホークアイの前には、しっかり『俺の』皿が在った。
ステラ叔母さんが、俺の皿を、ホークアイの為に使うからだ。
俺専用の、俺の一番お気に入りの、青い色をした、デカイ皿。
そして、最大の好物たる、モールベアのソテー。
其れが、ステラ叔母さんの手で、ジュウジュウ肉汁を迸らせながら、ホークアイの前に『のみ』盛られてゆく。
手際良く盛りながら、ステラ叔母さんは、俺に見せた顔とは真逆の、輝く菩薩顔を、ホークアイへと向けた。


「許しておくれね~、ホークアイさん~!
これでも、しっかりした方なんだよ、私の甥っ子は!
まだ頼り無い所もあるけれど、今は、一家の支え手だしね・・・。
最近は、徹夜続きで・・・。
まあ、ちょいとバカなのさ!」

「滅相もない、マダム。
俺は、貴女のサーヴィス精神に賭けて、奴の無作法など、全く気にしません」

「おや。
もう一枚、ソテーをつけちゃおうかな。
ほら、デュラン!
何してるんだい!
今夜は、シモーヌさんと、初めての顔合わせなんだろう?
寝る前に、せめてお風呂には入って置くんだよ・・・!」

「というか、お兄ちゃん、髪伸び過ぎ。
其れは見合いに行く男の、髪型じゃないよ・・・」


マダムと、妹と、美青年は、徹夜明け(見合い前)の俺を責め続けた。







階下で繰り広げられる3人の、やかましい会話を耳にしながら、俺は、ようやく自室へと上がる。
俺の部屋は狭い。
けれども、一応は個室の体裁だ。
シングルベットと、書き物が出来る程度の、机と椅子。
後は、棚が一つ在るだけの、質素な部屋だった。

棚には、剣術や兵法の書、そして騎士道の本が、数冊だけ並んで居る。
隣には、俺と親父が集めた、剣術大会のトロフィーが、何本も並んで居た。
(ちなみに、内装が花柄とキルトばかりなのは、おばさんの趣味であって、俺では無い)

机上には、普段、特に書き物をしないから、物が無いのが常だ。
ごく稀の『返事』の為だけに、ペンが一本、立つのみの机上。
けれども、今日に限って、ペンを使う用事が出来てしまった。
机の上に、ギフトが在るからだ。

其れは、惜しげも無く、高価な木材が使われた、ギフトボックスだった。
職人が、端正を込めて堀った細工が、さりげなく随所にあしらわれて居る。
かけられたリボンは、伝統工芸品の、7色の糸を使った組み紐だ。
赤は、サラマンダー。
碧は、ドリア-ド。
そんな風に、組紐には、ほんの僅かだが、精霊力が込められて居た。

組み紐の間には、真っ白のカードが、一枚だけ挟まれて居る。
どうせ、送り主は、いつものように、署名をしないのだろう。
俺には、見ただけで解るからだ。
誰が贈って寄越したのかは。


「・・・もう、春なんだな・・・」


いつの間にか、季節に追い越されて居る。
其の事に気づいてしまう。
贈り物は、俺の処へ、季節ごとに届くと決まって居た。
礼状の体裁を取ったカードと共に、薔薇の花が、ドライフラワーにされて飾られて居る。
其れで署名のつもりなんだろう。
贈り主と、同じ名前の品種が選ばれて居る。

カードには、流れるような筆記体で、いつものように、一文だけが添えられて居た。
此の季節も、同じように、俺だけに刻み付けるつもりで、滑らせる言葉が在るんだ。


『デュラン。
アナタは元気かしら・・・?』










其の言葉を、胸に抱いたまま、眠りに落ちた、俺の夢は・・・。
同じ事の繰り返しだった。
出逢い、旅、そして別れ。
何人もの仲間と、何度も出逢い、冒険をしては、別れて行く夢を、幾度も観る。
旅で起こる出来事は、誰と出逢うかで、其の中身も、終わりも、違って居た。

<在る時間>で、俺はシャルロットに出逢う。
<別の時間>は、ホークアイだ。

そんな風に、3人でパーティを組んでは、何度も冒険をする夢を、繰り返し観て居る。
夢の中での俺の役割は、いつも<女神の騎士>だ。
誰と出逢おうが、どんな場所に向かおうが、俺の務めは変わらなかった。
いつも、聖都に期待をされ続けて居る。


『聖剣の勇者を護る<女神の騎士>よ。
どうか、マナの女神様を御救い下さい』


___其れは、不思議な夢だ。


俺が旅をしたのは、一回だけのハズだった。
それなのに、夢の中では、同じ事を繰り返して居る。
俺は<聖剣の勇者>と出逢い、仲間になって<女神を救う>。
いつも、何度でも、同じ救いを繰り返して居た。

其れは、女神を救う夢の重なりだ。
幾重にも連なる夢の檻、其の終わりは、いつも優しかった。
世界に希望の光が溢れる___。

<彼女>にさえ出逢わなければ。
夢の中で<彼女>に出逢うと。
旅は、いつも、残酷になった。


「・・・また、冒険の夢・・・」


___俺は。
雨の音で目を覚ます。

気が付くと、雨粒の音が、部屋中に木霊して居た。
分厚い硝子の向こう側に、鈍色の空から、糸のような雨が流れ落ちる、景色が在る。
いつの間にか、俺は、服を着るのも忘れて、倒れ込んで居たらしい。
肌を晒したまま、ベットに放り出した身体が、シーツの波間で冷たくなって居た。

霧がかったように、頭が重い。
素肌が冷気さらされて、寒い。
吐く息も白く濁る。

此処は、冷たい、一人寝の部屋だ。
それなのに、吐く息は熱かった。


「・・・うお~い!
デュラン。
まだ寝てるのかあ~?
茶ア持ってきたぞ~!」

「!」


其の時、イキナリ、間延びをした声が、俺の部屋に響いた。
ホークアイの声だ。
仲間の声が、鍵の掛かった、粗末な木の扉の、向こう側から降って来る。
俺は、手探りでシャツを探し、申し訳程度に羽織ると___。
身体の熱が冷めるのを待ってから、掛け金を開いた。


「何だ、起きてたんなら、早く開けろよ。
せっかくの茶が冷めるだろ」


其の途端、バタンと乱暴に扉が開いて、紅茶をトレイに乗せた、ホークアイが現れた。
マグカップに並々と継がれた紅茶も、冬の彼女のギフトだ。
俺は、二つ並んだカップに一瞥をくれながら、ホークアイを部屋に入れた。

もう何度も、俺の部屋に来た事があるホークアイは、勝手知ったる様子だ。
まるで、自分の部屋の如く、ごく普通に入って来る。
『お邪魔します』も言わん。
イキナリ入る。


「で、ダージリンか、アッサム。
デュランはどっちがイイのカナー?
・・・おおっと。
スマン、デュランが、洒落た茶葉の名前なんぞを、知る訳が無かったな!
何も入ってない奴かミルク入り、どっちが好きなんだ、お前は」

「・・・。
相変わらず、失礼な奴だ。
俺が貰ったモンなんだ、葉っぱの名前ぐらいは知ってらあ。
俺は・・・ダージリン・・・だ」

「ほー。
こんな洒落たモンをくれる当てが、お前にゃあるのか。
寝起きのボサボサデュランの癖に、生意気だな。
しかも、お前サ、また背が伸びただろう?
十代も後半に突入してから、此の俺を差し置いて、180超えとは、一体何だッ!」


だんっ!と、乱暴にカップが、机上に置かれた。
粗末ながらも、一応イスが在るのに、ホークアイは、俺のベットを奪う。
遂さっきまで、俺が死に体だったシーツの上で、ゴロゴロし始めた。


「あ~。
人肌って、ヌクヌクして、超気持ちいいよな!
例えソレが、元・無作法野郎で、無駄に身長の高い、汗臭いオトコのシーツでもナ。
・・・と、アレ。
んんっ?
臭くない・・・?
ぬあにイ、デュランの癖に、フローラルの香りだとおっ?」

「当たり前だろ。
寝る前に、風呂に入ったからな。
人として」

「デュランの癖に清潔とは、世紀末現象だ。
きっと、世界の終わりが近いんだ。
そりゃもしかすると、これから見合いだからカナ?
俺より婚期が早いのも、人類滅亡の時が近い証だな、こりゃ!」


燻る湯気の向こうで、意味深な流し目し、言いたい放題のホークアイ。
アホを、ジト目で、暫く見つめてから___。
俺は、雨に視線を戻した。

音を立てて落ちる、白糸の雨は、聖域での雨に、よく似て居る。
雨の帳の向こうで、一瞬、滴が流れ落ちる、白くて細い腕が、記憶の底から蘇った。
___俺は、瞳を閉じる。


「・・・。
俺には、果たすべき役割が在る。
バカにするなよ、ホークアイ、俺だって、いつまでも子供じゃない。
多少の身だしなみぐらいは、考えるようになったさ。
其れも、必要な事だ。
___守る為には」

「・・・。
へえ、守る、ね。
さて、一体、何をだい?」

「・・・。
俺の家族を、だ」


刹那。
ホークアイの瞳が、深みを帯びて煌いていく。
其れは、本当に、瞬間の出来事だ。
真近で何度も、顔を突き合わせて居るから解る、僅かな変化だった。
ホークアイが、何かを深く考えた時の、本人さえ気づいて居ない、独特の眼差し。
けれども、其の眼差しは、すぐに、いつもの調子づいた物に戻った。


「おおっと。
これまた随分、デュランらしくない回答が来たモンだ。
遂この間まで、アホな犬だった癖にサ。
色々背負って生きて居るなんて、まるで、デュランじゃ無いみたいだな」


ホークアイは、がばっと、何かを思いついたように、ベッドから身体を起こした。
そして、自分の懐を、あんまり見たくはない物を、渋々見ている目で、じっと見つめて居る。
随分と長い間、無言の時間が続いた。
ホークアイの癖に、余りに静かで、不気味に想った俺は、窓辺から視線を戻した。
ホークアイと、俺の眼が、逢う。


「・・・実は。
お前の髪を、切ってくれないかとな。
さっき、ウェンディちゃんに頼まれて、上がって来たんだが。
其れでは何だか、気が乗らん。
切っちまったら、デュランが、もっと変わっちまいそうでナ」

「・・・ホークアイ」

「悪い事は言わん。
・・・したくもない見合いなんか。
この際、キッパリと、止めちまう事だな」


気が乗らないと言う割には、ジャキジャキと、髪切り鋏を楽し気に光らせるホークアイ。
けれども、其の目は、優しく俺を諫めるようだ。
俺は、言葉を濁したが、ホークアイにはバレて居る。
完璧に、俺の胸の内は。


「考えてもみりゃあだなあ。
2年前に、6人も、年頃の男女が集まってサ。
一つの世界を救ったんだぜ?
リースと、アンジェラと、それに、シャルロットや、ケヴィン。
・・・俺は楽しかったよ。
中々得難い仲間達だった」


ホークアイは、そっと、俺の傍に寄った。
俺の背中に回って、長くて固いばかりの髪を、器用に指ですいて行く。
名残惜しそうな指先が、時折、そっと、ブラウンの髪に絡んだ。
ろくにクシも通さない俺の髪を、ホークアイは、指だけで解いてゆく。
昔を思い出しながら___だ。


「・・・。
今の俺は、こんな身の上だからな。
デュラン以上に、冒険が終わった後も、<色々な世界>を<沢山観て回った>んだゼ。
ハッキリ言えば、皆無だった。
6人も、国も身分も違う人間が、強い絆で結ばれる世界なんてな。
大抵は、数が揃わない。
心の通じ合う仲間の数が。
たまたま利害が一致して、ワラワラ群れるだけなら、本当によく在る事だ。
でも、背負う背景の違う人間同士ってのは、一対一でも、反発するモンだ。
だが、俺達は」

「・・・」

「背負う背景の違う人間が、6人居ても大丈夫だった。
俺は、正直、初めて観たよ。
だから・・・。
<此の世界のデュラン>と仲間になれて、<あの時の俺>は、嬉しかった」

「・・・。
ホークアイ?」


今。
___ザンッ!と、横嬲りの雨が、激しく硝子窓を叩き、雨粒が、分厚い硝子窓を鈍く揺らす。


ホークアイは、手際良く、俺の髪へとブラシを入れ始めた。
指だけでも解けた俺の髪は、ブラシを入れられると、一層マトモな髪になった。
表面を撫でられる度に、艶が出て、柔らかくなってゆく。
そんな俺の様子を、嬉しそうに眺めながら、ホークアイは語り続けた。


「国は違うし、考え方も、全く違う。
ダケド、今の俺は、お前の事が、凄く好きなんだ、デュラン。
世間じゃ争いばかりだが・・・。
俺とお前は<違う在り方を選べた>。
これは、凄い事さ」


其の時、何を想ったのか。
ホークアイは、懐から、片方だけのピアスを取り出した。
・・・なんだこりゃ?

其れは、大量のマナが込められたピアスだった。
どうも、防具の類のようだ。
どう見ても『女物』だが。

マナが極端に少ない今の時代に、マナのエネルギーを豊富に含んだ、石の防具。
ピアスの石は、キラキラと、7色に煌めいて居た。
其の虹色が、余りに綺麗で、俺は、ぼうっと魅入ってしまう。
貴重な物だ、貰えるなら在り難い。
けれども、何故、ホークアイは、俺には似合うハズの無い、女物のピアスを___?


「へえ!
デュランでも、まだ、ピアスなんか出来るんだな!
冒険の時の跡が、耳に残ってて良かった。
じゃあ、此のピアスは、デュランにあげよう。
偶然、旅先で手に入ったんだ。
凄くいい品だろ?
なんと、最新のアルテナ式防具より、マナが入ってるんだゼ!
今の時代にゃ、カネでは手に入らない、価値の在る防具だよ。
片耳だけだが、十分に、此の先のお前を護るだろう。
タダでくれてやる俺に、感謝をしたまえ」

「オイ、ホークアイ。
お前、こんなの、一体何処で手に入れて・・・?」

「そりゃヒ・ミ・ツ、だなっ★」


なっ★で、妙に声が可愛いい。
しかも、親指なんか立てやがる。
俺は、ホークアイが見せた、余りの可愛さに、恐怖を感じて青ざめた。
コイツは、いつか投げキスを決めるとか、ハートをぶっ飛ばすとか、やりかねないほどだ。

俺の恐怖はさて置き、ホークアイは、楽し気なまま『さて、何処で髪をチョン切ろうかナ』だった。
鋏の先を、髪の周りでウロチョロさせては、品定めをして居た。
そして・・・楽し気なまま・・・俺を見透かす。


「・・・なあ、デュラン。
どうせ、イメチェンするならば、もっとお前らしくしようじゃないか。
したくもない結婚は、未来のお前には、似合わんよ」

「・・・はあ?
・・・未来の俺?」

「そ。
<未来の俺達>だ。
俺も、お前も、着々と年を取るんだぞ。
悔いの無い毎日を生きたいとは思わんか?
年をくった後の俺達の為にも、パートナー選びは、とても大事だとは思わないのかい」

「・・・」

「例えばだ。
もう一度、聖剣を巡る冒険が始まったとしよう。
其の時、お前が隣に居て欲しいのは、一体誰なんだ?
シモーヌちゃん?
それとも・・・俺?」

「!
なんで、其処で選択肢が、お前かシモーヌなんだ。
それに、冒険と、結婚は違うだろう。
俺が、ずっと、一緒に居たかったのはなあ・・・っ」


___長い、紫の、髪の___。


「・・・・・・図星だな」



其の時。

ばさあっ!

そう、滅茶苦茶いい音を立てながら、俺の長かった髪が、木っ端微塵に飛び立った。
其の硬い髪が落ちる様は、羽が舞うようだとか、そんな綺麗なモンでは無かった。
正に、毛が落ちて居る。
舞い落ちる毛の嵐。


「うわっ、デュランッ、お前ッ。
あんなに梳いたのに、まだダマに?
最後にクシ入れたのは、一体いつだ?
何が『もう子供じゃない』だッ。
漢の断髪式じゃなく、此れではトリミングではないか~っ!」

「・・・だ、だから、失礼な奴だな!
半年にいっぺんは、髪ぐらい切ってるよ!
えー、クシは・・・。
あー、くし?
最後は、誕生日・・・?」

「た、誕生日・・・。
ぬあんじゃいそりゃあ・・・」


______そうして。


ホークアイが、笑う。
だから、俺も、笑う。
穏やかな日常が、今日も続いて行く。


記憶の底で。
白く濁る景色の水底で。
同じ物語を、何度も繰り返しながら。


糸のような雨、白に染まる視界、一輪の花。
濡れた素肌、張り付いた髪、翡翠の瞳。
其の総てが、瞼の奥に、きつく封じ込められたまま、水面の奥底で、何度も繰り返されてゆく。
出逢いと、別れを、何度でも。