『天国のお父様、お母様。
仇は取りました。
私は、エリオットと一緒に、ローラントを昔のような、平和な王国に戻して見せます。
そして、仲間達と共に、マナが失われてしまった、此の世界も・・・』


風にはためく、リースのブロンドが、蒼い空に広がって行く。
リースの隣では、幼いエリオット王子が、リースの手を、きゅっと握りしめていた。
微笑み合う二人は、白亜の城を見上げ、頂点に立つ国旗を誇らしげに眺めて居る。
其処には、翼あるものの父を象ったローラントの象徴が、風の中を泳いで居た。


『エリオット、怪我は無い?』

『うん、僕、平気だよ!』

『ごめんね、エリオット、私・・・』

『・・・僕ね、夢を見たんだ。
夢の中で、お父様とお母様、とても幸せそうだったよ。
そして、僕にこう言ったんだ。
ローラントを元の王国に戻す為に、お姉様を手助けしなさいって。
いつまでも、お姉様に甘えてばかりじゃ、いけないんだよね。
僕、頑張る!』

『・・・エリオット!』


エリオット王子の手を引いて、天掛ける道を、ゆっくりと下って行く、リース。
二人の周囲を、ローラントの近衛兵達が取り囲んで居た。
俺は、デュランの傍で、リースの事を、少し離れた場所から見つめて居た。

魔物の居なくなった天掛ける道は、とても美しかった。
リースの周囲を、ずっと優しい風が舞っている。
道端に咲く野の花からは、香しい、春の香りがする。
眼下に広がる海原は、何処までも青く澄み、空を映して波打って居た。
今___キュイ___とフラミーの声が響いて___リースが微笑む。


「無事に戻れて良かったな、ホークアイ。
一時は、どうなる事かと想ったぜ!」


其の時、ようやく『荷が下りた』ように、デュランはブロンズソードを肩から下した。
俺がリースを見ていた間、デュランは、ずっと剣の素振りをして居たのだ。
武者修行が旅の目的だったデュランにとって『強くなる事』は、今でも大事な事らしい。
隙あらば、素振りばかりをやって居る。


「・・・おー。
無事に戻れて何よりだよナア・・・」

「・・・。
なんだ其の、気の無い返事は。
お前は、今夜も城で馳走に預かるんだろう、ホークアイ!
生きて肉を食える有難味を噛みしめろ」

「フッ。
いいよな、修行バカは・・・。
必要以上に悩まなくていいから。
繊細な俺は、監視付きでメシ食って、味を感じたりなどは出来ん!
それに『俺だけ』リースに近づけないんだぞ?
何が有難味だ、此の野郎!」

「ライザさんの判断は、善意の在る方だと想うがな。
・・・俺は」

「・・・。
ソイツはモチロン、解ってるサ」


やれやれと肩をすくめて見せる俺に、あきれ顔のデュラン。
マナの女神様を救った功績で、晴れて勇者の仲間となった俺を、責めるローラント人は、もう居ない。
けれども、其れがタテマエなのは、誰にだって解る事だ。

リースを連れて、聖域から戻った俺達を、ローラントの人々は、快く迎えてくれた。
それでも、ナバール人である俺の、行動の自由までは、与えちゃあくれない。
おかげで俺には、監視のネーチャンが、いつも一人は付く有様だった。
此の数日と言うもの、メシの時でさえ、俺だけがリースに近づけない。
ええい、デュランはリースに近づき放題だと言うのに!
なんつう不平等な結末なのか?
チッ、やってられん!


「・・・ふうん。
じゃあ、どうする?
ホークアイ。
さっき、ライザさんから、バイゼル行きの切符を貰ったぞ。
俺は2時間後の便で立つが」


ライザさんから貰った船の切符。
2枚ある内の、1枚をヒラヒラさせながら、デュランが笑った。
そして、口パクで続ける。


(でもよ。
流石に、リースと、挨拶もせずには帰らんよなあ?)


チラッと流し目で、背後のネーチャンを見てから、デュランは続けて、言葉の一部を口パクした。


「それとも、もう諦めて、俺の家に来るか?
(ローラントよりは、ナバールに好意的だからな、フォルセナは。
精神的には楽が出来るぞ?)」

「・・・。
それは、そうかもしれんが」

「だろう?
もう故郷には、俺より強い傭兵が居なくてさ!
同い年じゃあ、お前ぐらいなんだよ、俺と対等にやれるのは。
どうだ、ホークアイ。
最後にフォルセナで手合わせをしてから、ナバールへ帰るってのは。
俺んち、ベッドが一個余ってるんだ。
おばさんもウェンディも、お前なら、きっと歓迎するぜ!」

「・・・ナア、そういう誘いは、もっとスマートにやろうぜ!
デュラン。
俺は、お前にゃ、勿体ないほどの美人なんだからナ・・・」

「・・・。
・・・それは、どう言う意味で・・・」

「・・・。
そのままサ・・・」


俺は『ニヤッ』と笑って、ついでに、ばちーん☆とウィンクをしてやる。
俺的には、甘いハートをぶっ飛ばして、相手に精神的なダメージを与える趣向だった。
俺から放たれた架空のハートを、青ざめつつ、デュランがバッ!と避ける。

___俺は、笑った。
___デュランも、笑った。

ザンッと波打つ音がして、気が付けば、深い蒼だった海が、黄金色に染まって居る。
水平線の向こう側に、紅い夕日が、ゆっくりと沈んでゆく。
今日も、一日が終わりつつある。
そして、仲間との時間も、終わりが近づいて居た。

デュランの目が、いつもより、優しく見えた。
デュランは、何かとプライドが高くて、気の短い所も在る男だったが・・・。
冒険を終えたデュランは、出会った頃より、ずっといい男になったと想う。


「旅の間、世話になったな。
有難う、デュラン。
今のお前は、男前だぜ・・・。
イーグルの次にな」

「・・・ん?
イーグル?
誰だ、それは」

「昔、俺に食い物をくれて、命を救ってくれた、男の名前だよ。
お前のゲテモノ料理よりは、遥かに旨いメシをくれた、大恩人さ。
そして、俺の相棒『だった』」


俺の腹違いの兄弟だった。
本当の兄弟だった、イーグル。
冒険を経て知ってしまった、俺自身の秘密の数々___。

其れ等を胸に秘めたまま、俺は微笑む。
ソイツは、本当に『知らない方が良かった』事かもしれない。
・・・けれども、知る前には、戻れない・・・。


「・・・じゃあな。
きっと、また会おうぜ、デュラン」


___友との別れを、選んだ瞬間。


其れ以上、何も言わなくても、デュランには何かが伝わる。
無言のまま差し出された手が、握りしめた互いの両手が、静かに別離を受け止めて行った。







ローラント城の、宛がわれた客間で、独り、最後のメシを食う。
デュランも居ない、リースにも近づけない大広間で、晩餐を食ったって、しょうがなかった。

ロイヤル・ブルーで統一され、金細工が至る所に施された、広い客室。
ナバールでは考えらえないような、ふかふかの大きなベッド。
バルコニーの下では、豊かな森と、美しい海が、何処までも続いて居る。

俺は、磨き上げられたシルバーで、残りの一切れになった、コカバードのソテーを串刺しにした。
女神サンが勝利を収めたファ・ディールには、もう<闇>の気配が無い。
それでも、コカバードは居る。
見た所、ドラゴンやデーモンのような、ヒトの脅威となる魔物は、消えて居るようだった。
食用にも出来る、比較的無害な魔物は、家畜みたいなモンだからか。
ずっと数は少なくなったが、生息はして居た。


「ごちそーさん!
凄く旨かったぜ、ローラント料理!」


俺は、ドアの向こう側に立つ、見張りのネーチャンに、空になった皿を渡した。
アマゾネスのネーチャンは、俺を一瞥した後、皿だけは受け取って、銅像のように動かなくなった。
俺は、笑顔のまま、扉を閉める。
___これでもう、完璧に一人になった。

俺は、部屋の片隅にあるクローゼットへ、ゆっくりと近づく。
中には、黒のガアブとクナイが、まだ存在をして居た。


「・・・そうか。
まだ在る・・・か」


もしかしたら、次にクローゼットを開けた時にゃ、跡形も無く消えて居るかも。
・・・内心では、其れを期待して居た。
けれども、無理だったようだ。
ガアブも、クナイも、俺の前から、消えてくれはしなかった。

俺は、アマゾネスに見せた、張り付いた笑顔のまま、ガアブを手に取る。
シルクのようにトロッとした素材の、漆黒の防具。
月と、星と、蝋燭の明かりだけが、辺りを照らす夜ならば___。
闇の中で、ガアブを纏えば、俺の姿も消えてゆく。
隠密行動が出来るようになり、もう、誰も、俺を認識出来ない。

<闇の力>を秘めたクナイ。
其れも、俺が望めば、幾らでも創る事が出来る。

___ヒュッ。

僅かなマナを含ませて、クナイを四方に投げる。
部屋の片隅で燃えていた蝋燭が、クナイが起こした風で、総て消えた。
後には、完全な闇と、静寂だけが残る。
・・・そろそろ頃合いだ。



俺は、旅立たねばならない。



ギイッと軋んだ音を立てて、バルコニーに続くドアが、俺の手で開かれる。
傍目には、風で自然に開き、そして、閉じたようにしか見えないだろう。
バルコニーの下で、裏庭を警備する為に、歩いて居るアマゾネス達にも、俺の姿は見えない。
俺は、客間に隣接していた崖に手を伸ばし、岩場へと足を掛けた。
ローラント城は、絶壁を利用して作られた城だ。
山の崖に沿う様に、白亜の壁が、山頂近くまで続いて居る。
軍隊にとっちゃ、やっかいな守りだろう。
だが、俺は独りだ。
姿さえ、誰にも見られないなら___<昇る事が出来る>。

<闇の力>を得た俺は、不思議な事だが、疲れなくなった。
場の高低差も無視出来るからだ。
今の俺は、物理的な障害に、行く手を阻まれる事が、極端に少ない。
絶壁さえも苦も無く昇れる。
所によっては、空を飛ぶように、障害を超えられた。

俺は、ふと、岩場から目を離す。
遠くに満月が観えた。
夜の帳が揺らめくと、夜空に浮かぶ満月も揺れる。
闇の力を使えば、月明かりの向こう側に、イーグルとファルコンの姿が観える。
其れは、確かに<観えて>居たんだ。


「・・・そうか。
<アッチの世界>では、まだ<生きて居てくれる>んだな」


俺が、ゆっくりと被りを振ると、二人の姿も溶けて消えた。
どうやら、俺の側に『観る気が在るか否か』・・・。
其れが決め手のようだ。
<アチラ側>に跳べるかどうかは。

イチかバチか、俺は、岩場から、とんっと手を離す。
空気よりも軽くなった俺の身体は、闇に溶けたまま、宙を浮いた。
闇の力を使うと、ふわっと、無重力を、漂うに飛べるんだ。
かつての美獣のように___。

見上げると、まだ焼け爛れた跡の残る、ローラント城の最上階が、其処に在る。


(・・・。
リース・・・)


闇夜に溶けたまま城に近づくと、ネグリジェ姿のリースが、窓の向こうに見えた。
湯あみから上がったばかりなのか、ほかほかと気持ちの良い湯気が、リースの周囲を覆って居る。
リースは、まっ白なドレッサーの前で、長いブロンドにブラシを掛けて居た。
其の背後には、天蓋の付いたベッドが在る。

俺は、パロの道具屋で買った『ぱっくんチョコ・イチゴ味』を、ガアブの中から取り出した。
何故イチゴ味を買ったのかと言えば、リースの好物だからだ。
別れの時が来る前に。
それぞれの道へ戻る前に・・・。
俺が、リースに渡したかった、ささやかな餞別だった。


(・・・せめて、窓辺に置いて行くよ、リース・・・)


俺が、君に逢う事を。
ローラントの人々は、誰も望んじゃ居ないだろう。
だから、せめてもの気持ちだけは、此処に・・・。
そうして俺が、チョコを置いて去ろう決めた、其の時だった。

___ヒュウッ

今、一際強い風が吹いて、窓辺のカーテンが開いてしまう。
満月の光が、闇を纏った、俺のガアブを、突き抜けてしまった。


「・・・!」


振り向いたリースと、チョコを差し出す俺が______出逢う。


「・・・っ。
ああ・・・っ、・・・ホーク、アイ!」


俺の姿を見つけたリースは、一目散に、俺の傍に走って来る。
そして、か細い両腕で、俺を抱きしめた。
リースの・・・柔らかな髪から・・・石鹸の匂いがする・・・。


「・・・ホークアイ、ホークアイ、ホークアイ!」


お互いに『ずっと逢いたかった』なんて言葉は、無い。
でも、解るよ。


君が、ずっと、俺を待って居たのを___。


一頻り名前を呼び、涙さえ流し続けたリースが、ようやく我に返る。
そして、ぱっと赤面をした後、ゴシゴシと涙を拭いた。
普段は、何でもハンカチを使うリースが、狼狽の余り、掌で涙を拭いて居る。


「ごめん・・・なさい・・・。
ごめんなさい、ホークアイ。
今でも、私は、貴方に何も出来ないままですね。
ライザや、皆を、止める事が出来ませんでした・・・」

「・・・リース」

「其れどころか、旅の始まりで、私は貴方の仲間を傷つけて!
ああ、総て、私が悪かったのです。
風の城壁の守りに、甘え過ぎて居ました。
アレが、どんな技術かも解らないまま。
もっと知る努力をして居れば、美獣などに、敗れたりはしなかったでしょう。
お父様も、死なずに済んだのです。
本当に悪かったのは、魔族と、簡単に付け入られた、私なのです・・・。
だから、ホークアイ。
貴方は何も悪くない」


「・・・。
いや、其れは違うよ・・・。
リース・・・」

「・・・ホークアイ?」


______今の俺には、解るから。


「リースには、信じられないかもしれない。
でも、どうか、聴いてほしい。
此のファ・ディールには<無限の世界>が在るんだよ。
今の俺には、其れが観えるから、観えない君よりも、沢山の事が解るんだ」

「・・・無限の、セカイ・・・?」

「そうだよ、リース。
<無限に広がる時間と空間>。
君の部屋の窓に映る、夜空の向こう側が、確かに在るんだ。
俺達が生きている<ファ・ディール>は、宇宙を漂う、世界の一つに過ぎ無い。
此の世界は<在りえた可能性の一つ>なんだ。
そして、今の俺には、遠くで<他の時間を生きる君>が<観える>。
其処では<他の時間を生きる君>が、精一杯、出来る事をして居るよ。
<今此処を生きる君>と同じようにね」


観ようとすれば、解る。


黒の濁流の中に拡がる<ファ・ディール>の<世界>。
古代呪法の奥で、終わらない戦争を、何度も繰り返す<多次元>。
世界が、無限に、増殖を続けて居るのが観える。
まるで、海で生まれた単細胞生物が、増殖と進化を繰り返すように。
そして___。

<マナの女神と聖剣>は、此の争いの絶えない世界で、生まれ続ける哀しみに、応えない事も・・・。
俺には解る。


「・・・だから、リース。
君だけが、過去の自分を責めるのは、間違いなのサ。
過去の君は、過去の時間に、君に出来る精一杯の事をした。
・・・それだけなのだから」

「・・・ホークアイ。
貴方は、一体、何を言って居るの・・・?」

「おっと!
そんな顔はしないでくれ給え!
スマン。
実は、此れ以上は、俺にも上手く言えないんだ・・・。
世界の成り立ちなんて、こむずかしー事はネ。
だけど、どうか、信じて欲しい。
<観える>し<行く事も出来る><他のファ・ディール>は、確かに在る。
そして『観える者にしか出来ない事』が、此の先の<無限の世界>に在る事も」


___俺は。


とんっと、窓辺を蹴った。
其れだけで、俺の身体は、風のように舞い上がる。
闇夜の中に踊り出した俺の身体に、もう質量は無い。
物理の法則を超越した<闇の力>。
そして<古代呪法>。
其の力が、俺の中に在る限り、俺には<行く事が出来る>。


「!
待って下さい、ホークアイ・・・!
貴方は、何処へ行くと言うのですか?
行かないで・・・」


時折、黒雲の合間から挿し込む月光が、俺のガアブを照らし出して居る。


「私を置いて、何処か遠くへなんて、行かないで下さい。
私は・・・。
貴方の事を・・・っ!」


リースの声と、満月の光だけが、今の俺を繋ぎ止めて居た。
それでも。
今の俺じゃあ、君の傍に居る事は、出来無いから。


「リース。
今の俺には、生きる事が出来るハズだった、君のお父さんが、遠くに観えるんだ。
それだけじゃない。
俺の母親も、兄弟も、無限に観える。
俺は<他の世界>へ行って見ようと想う。
俺達の生きる世界から・・・争いを失くす方法を探す為に」


______今、跳ぼうと決めた。


其の時、俺の右腕に、闇の精霊・シェイドが顕現する。
同時に、パリン!と音がして、空間自体が、裂けた。
今<古代呪法>が発動し、無限に広がり続ける<多次元宇宙>へ続く道が、開かれる。
総ての可能性がひしめく、呪いの海が、俺が来るのを待って居る。
質量の無い、揺らぎの世界。
音も無く飛び交う、無数の鏡の数だけ存在する<ファ・ディール>へ___今、跳ぼう。


「だから、今は、少しだけ・・・。
サヨナラにしような。
・・・リース」


もしも、生還が可能なら。
俺は、時を超えて、また君に出逢えるのだから。







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