あの時。
微かに揺れる、木の葉の音がしていました。
温かな木漏れ日を浴びながら、マナの聖域で、女神様の剣は、私を待っていました。
古より伝わる力の象徴。
マナの剣。
それは、ソラ全体を覆うほどに広がる、木の葉の海の下で、安らかに眠っていました。


『リース、焦っちゃ駄目!
心を落ち着けて・・・剣と対話をするのよ』


あの時も、フェアリーは、痛みの走る度に、挫けそうになる私を、励ましていました。
巨大な樹の根に深く刺さり、主を待つ剣が、私に、深く問いかけたような気がしました。
リース、貴方は何故、私を必要とするのでしょうと。

問いは、自らの内から、深く響くようでもあり。
同時に、マナの女神に、尋ねられたようでもありました。

声に導かれるように、私の指が、もう一度、聖剣へと伸びていきました。
けれど、痛みに躊躇をして、私の手が止まる。
私は何度も、浅くなる呼吸を、深く吸い直しては、自分に問いかけていました。
何故、聖剣を抜くのでしょうと。

答を探すように、目を閉じて、其の先に広がったのは。
故国ローラントの記憶でした。

天の頂から見下ろす、紺碧の海原。
潮風が巻き上げる、白亜の城。
城が見守るのは、何処までも続く豊かな森と街並み、そして、人々の笑顔でした。


『マナの剣を手に入れれば、リースの望みは、全て叶うよ。
エリオットを見つけ、ローラントを再び、元の平和な王国に戻す事だって___』


光輝くローラントの憧憬に、フェアリーの言葉が重なります。
私は、妖精の言葉へ応えるように、聖剣へと手を翳していました。


『父を殺し、国を滅ぼした、憎きナバールの者共から、エリオットを助け出す為に、私は・・・。
聖剣を手に入れる。
マナの女神の加護を得れば、ローラントの再建も夢では無い___』


その時、ふと掠れる葉の音に混じりって、男のような声が、聞こえた気がしました。
其れは、声無きコエ。
耳を澄まさなくては、聴き取れないほどの、掠れた囁きでした。
梢の鳴る音のように、木の葉の騒めきと、重なり合っては消えていく。


<私は、女神を創ったモノ。
汝にマナの力を与えよう。
選ぶがよい、光か闇を>


(・・・誰?)


私は、もう一度耳を澄ませました。
けれど、其の声は、聞こえなくなりました。
代わりに心に響くのは、梢の鳴る音と、静かな女神の問いかけだけ___。


『リース。
貴方は何故、私を必要とするのでしょう?』


私は、巻き上がる風に、髪を絡ませながら、聖剣を掴み取る。
その時、輝く切先を天に向かって掲げながら、女神の問に応えていたのです。


『___理由は、唯一つです。
全ては、我がローラントの為______!』









あの時と同じように、女神像によく似たフェアリーが、優しく微笑みかけています。
妖精は、私の周りをクルリと回った後、労う様に肩へ止まりました。


「・・・リース、大丈夫?」

「ええ、フェアリー。
なんとか危機一髪でしたけど。
でも、まさか美獣が、私を捕らえに来るなんて・・・。
しかも、ホークアイが、邪悪な者達の手に堕ちただなんて。
とても信じられません・・・」

「・・・ホークアイなら、きっと大丈夫だよ。
・・・と言いたいけれど、こんな状況だものね・・・。
でも、ラッキーな一面もあるよ!
敵の本拠地が目前に在るのだもの!
ホークアイの事を、確かめる事ぐらいなら、出来るのではないかしら。
チャンスさえあれば、上手く助け出せるかもしれないよ!」

「・・・ええ。
そうですよね、フェアリー。
今すぐホークアイを、助け出しに行きましょう!」


私は、黒い池の底に溜まったヘドロから、槍を勢い良く抜きました。
ぐぽっと音がして、滴る黒い水が、槍先に絡んで行きます。
・・・足元の泥濘が重い。
___なのに、これが全部<幻>だなんて。

美獣が<ミラージュパレス>と呼んだ宮殿は、確かな存在感で、高く聳えて居ました。
黒い鏡面のような水面に立つ、宮殿の門。
水面から陽炎のように、宮殿が浮き上がっています。
其の景色は、幻のようで在りながら、現実の物でした。
一体何故、こんなモノが、ファ・ディールには在るのでしょう?
消えたナバール兵達・・・彼らも<幻>だったのでしょうか・・・。


「・・・ちょっと待ってください、フェアリー。
余り、考えたくは無いけれど・・・。
必ず生き延びて、ホークアイを助ける為にも___。
突っ込む前に、状況を一度、きちんと整理しましょう。
フェアリー。
貴女は、古代呪法によって、周囲の時空が捻じれて居ると言いましたね?
ならば、ペダンに着いた時から・・・。
いいえ、正確には、ジャングルに入った時から・・・。
私達は、敵の手の内に落ちていた事になりませんか」

「・・・。
残念だけど、そうなるみたい。
・・・ああっ、そんな顔をしないで、リース!
元気を出して!」

「ごめんなさい、フェアリー。
弱気になってる訳じゃないの。
もちろん探りは入れます。
・・・だけど。
こんなに大きな力を持つ敵と、私は、これからどう戦えば良いのでしょう?
独りで、こんなに遠くまで着てしまって・・・。
デュラン達とも、はぐれてしまって・・・」


私は<ミラージュ・パレス>を見上げました。
この先には美獣だけでなく、沢山の魔族達が___そして『黒の貴公子』と呼ばれる、悪しき輩が待つのです。
闇雲に戦っても勝ち目はありません。
敵は、全ての神獣の力を手に入れて居るのです。
そんな敵に、これからは、僅かの人数で挑まねばならない。
その時、俯いた私の前を、フェアリーが舞いました。
優しい微笑が、女神様のように囁きます___。


「きっと大丈夫だよ。
・・・リースは、聖剣を抜いたのだもの!」


そうしてフェアリーは、誘うように、宮殿の門前まで飛びました。
キラキラ光る金の粒子が、妖精を包んでいます。
そして、門の前まで辿り着くと、パッと弾けました。


「マナの剣は、全ての精霊を司る、古の力の象徴___。
世界も支配できる力が在るんだから!
・・・でもね。
聖剣自体には何もできない。
大事なのは、剣を抜いた時の心だったんだよ___。
___リース王女」


「・・・聖剣を抜いた時の、心・・・」


「聖剣の本質は、心の力を使う事に在るの。
ファ・ディールでは、心の力が一番強い。
聖剣は、持ち主の意思を世界に轟かせる、女神様の神具。
マナの女神様に選ばれたリースは、大きな力を手に出来たんだよ。
女神様とリースの心を、世界の、新たな秩序とする為に___。
・・・大丈夫。
私達を信じて。
聖剣は___禁断の古代呪法より、ずっと強いんだからネッ!」


拳を高く掲げ、ちょっとムキになるフェアリー。
妖精は、ガッツポーズを取りながら、『打倒!悪の勢力』を誓ったのでした。
それで私も、ほんの少し安心します。
聖剣さえ在れば___女神様が望みを叶えて下さる___。
私一人で、邪悪な者達を打ち倒す事も、夢ではありません。


「この先、私一人だけでも、何とかやれそうかしら。
フェアリー」

「モチロン。
リースは、聖剣の勇者だもの。
女神様の加護があるんだよ。
だから・・・さあ、行こう!」


そうして、フェアリーが舞った瞬間です。
ミラージュパレスの門が開いたのでした。
音もなく、滑る様に。
___水面に映る逆さ扉が、まるで、自ら招き入れるかのように___。







眩しい光の中から目を覚ますと、一転して、暗闇の中でした。
僅かばかりの光が、私の足元を照らして居ます。
光は、炎ではありません。
硝子のような球体が、光を放ちながら、壁と床に埋まっていました。
・・・これは<光魔法>なのでしょうか?
・・・見た事も無い技術でした。

けれども、壁一面に走る光のラインには、見覚えが在る気がします。
むしろ、良く知っている気がする。
ラインは、鈴のような音を響かせながら、点滅を繰り返していました。


「なんだか、ローラント城の、風の制御室みたい・・・」


___余りにも似ていると想う。
同時に、ホークアイが私に言った言葉が、脳裏をよぎりました。


『・・・すっげえな、リース・・・。
これは、ローラントの技術なのか?』


あの時の私は、知っている事を答えるだけで、精一杯でした。


『これが、風の城壁の本体なんです。
中央の宝石は、王族にしか反応しないんです。
宝石に、私達が鍵を差し込めば、城壁を失くせますよ。
・・・私達は、城壁を使う事は出来る。
でも、一から作れるかと言われたら、出来ません___』


今までの私は、世界の有り様を、当然のように想って生きてきました。
けれども、エリオットを奪われ、聖剣を求める旅に出てから___。
必ずしも、当然では無いと感じています。
私は・・・。
制御室を使いこなしながら、頼る一方で、成り立ちすら知らない。
ローラントでは、風を制御できる___唯一の一族なのに。


「・・・ふう。
フェアリー。
ファ・ディールには、解らない事が沢山在るのですね。
私は、王女でありながら、自国の城壁さえ、実はよく解りません。
それに、ペダンの高い技術・・・。
19年前に、私達は、こんなものと戦っていたなんて」

「うーん。
今は、其処の処を、リースが気にする必要は無いのじゃないかなあ・・・」

「え?
どうしてですか?
フェアリー」

「だって、聖剣と女神様さえ健在なら、ファ・ディールは大丈夫なんだから。
リースの役割は、女神様を守る事だもの。
その事は、無事に役目を果たしてから、改めて、ゆっくりと考えてみたらいいんじゃないカナ?
・・・ホラ。
今、余計な事を考えていると___アブナイよ?」

「・・・?
あっ、きゃあっ!」


次の瞬間に、私は着躓き、勢い良く転んでいました。
目前に扉が無かったら、そのまま地面へと、ダイブをしていたかもしれません。
それぐらい勢い良く転びました。
とっても恥ずかしいです。
___そして、ギョッとする。
オデコをぶつけたドア、其処だけイキナリ、何処かで見た作りだったから・・・。

突然現れた扉は、木製で、両開きの扉でした。
ノブには、美しい金細工が施されて居ます。
其処には___ウェンデルの紋が在る___。


「・・・!
此処は、まさか・・・光の神殿でしょうか・・・?」


ギイと鈍い音を立てて、扉は開きます。
古い木が放つ音は、まぎれもなく、長く使い込んだが為でした。
とても古くて美しい、制御室のような技術は無い、神殿の扉。
本当は、コチラの方が、私達の世界の、標準的な設備なのです。
なのに___一体何故でしょう?
時代錯誤な古めかしさを感じてしまう___。
___それは、多分___風の制御室の方が、軍事的には最先端だから___です。
けれども、フェアリーが言うように、今は気にしている場合ではありませんでした。


「・・・あれは・・・光の司祭様!
ああっ、大丈夫ですかっ?
どこかでオケガを・・・っ?」


祭壇の上で、光の司祭様が、倒れておられたからです。
でも、何故こんな所に、司祭様がおられるのでしょう?
しかし疑問を感じている間はありません。
目の前で司祭様が、もう亡くなってもおかしくないほど___血を流されていたのだから。

私は、司祭様を助け起こし、皺だらけの手を握りました。
すると、うっすらと目を開けた司祭様が___私を見据えて、お話をされたのです。


「・・・おお!
聖剣の勇者、リース殿・・・!
ご無事でしたか・・・良かった・・・」

「司祭様、何故こんな所におられるのですか。
他の神官達は、何をしているのですか・・・。
・・・早く手当てを!」

「いいえ、構わないのです、勇者殿。
・・・これで良いのです・・・。
私は病み___そして老いた。
最期に勇者へと、聖剣伝説の真実を語る事が出来るなら___それで本望なのです」


「・・・!?」


そして、光の司祭様は、私の手を、ギュッと強く握りました。
本当に、亡くなられる直前のような姿です。
私は、狼狽をしながらも、司祭様の言葉を聴く事しか出来ません・・・。
___その時です。
司祭様の顔が、醜く歪んだのは。

今、掴む手の強さが異常に強くなり、爪が私の手に食い込む。
見ると、爪が___ヒトにはあり得ない長さになって、まるで、悪魔の爪のようでした。


「・・・!
まさか、お前は魔族・・・。
クッ!
なんて汚いやり方を・・・離しなさい!
司祭様の姿を借りて、騙したのね!」

「聖剣の勇者よ。
お前は此処で死ぬがいい・・・。
我々を殺すばかりの、女神の聖剣に、もはや力は無いのだ。
例え、我らに勝利をしても、お前達ヒトは・・・。
血塗られた歴史を、飽く事無く繰り返すだけの、哀しい存在なのだ・・・」

「・・・たかが魔族一匹風情が、何を!
嘘で女神を愚弄する事は、この私が許しませんっ!」


______この司祭は、偽物。


其れを悟った瞬間、私は手を振り払い、槍を構えました。
そして、一突きで、確実に仕留めます___!
喉を狙い、血の一滴も流さず、魔物を刺し殺してみせる・・・!

その時、再び視界が、黒と白の光に飲まれました。
そして、陽炎のように歪む景色の向こうから___。
殺された魔物の声が木霊していきます___。


『罪人よ、何処へ行く?
自らの敵を、唯、殺し続けて___』


次の瞬間。
私は、よく見慣れた場所に立っていました。
ローラント城の制御室です。
其処に轟音が轟く。
それは、遠くで火柱の上がる音でした。
気が付くと私は、エリオットを探して、コントロール・ルームを、さ迷っていたのです。
・・・。
・・・けれども、これは・・・どう考えても、おかしい・・・。
何故なら、さっきまでの私は・・・光の神殿に居たハズです!


『・・・エリオット!
・・・何処に居るの?
お願い、返事をして!
おのれ、敵国のスパイめッ!』


私は、弟から目を離した自責の念に駆られながら、制御室を後にしていました。
父の安否を想う余り、先走っていたのです。
そのせいで、エリオットは、敵の手に落ちてしまった後でした。
私は、無我夢中で、制御室から地上に上がる、長い階段を駆け上がっていました。
階段を上がるほど、火柱の上がる音が近づいて来ます___。

___<其の景色>を。
もう一人の自分が、何処からか、冷静に見つめている。
そうして、気が付いている。
___これは<過去の記憶>だと___。


『私のせいで・・・エリオットが・・・。
エリオット・・・!
・・・何処に居るの!?』


弟を探しながら、階段を駆け上がった私は、炎に包まれたローラント城を、目の当たりにしました。
そして、炎上する城壁と、黒煙の向こう側から、響き渡る声を聴きます。
忘れもしない、甘く纏わりつくような___なのに、覇気を帯びた声を。


『アーハッハ・・・、燃えろ燃えろ・・・!
よーし。
敵はほぼ全滅した!
一旦ナバールに帰り、フレイムカーン様に報告。
再び軍を率いて、此処に戻るッ!
___退却!』


___ザ!


煙の向こう側で、ナバール軍が、声に従って退く音がする。
私は、立ち込める煙と悔しさの中で、歯を食いしばり___涙を流していました。
今は、黒煙の向こう側の声が___。
___憎くて仕方が無い___。


『リース様、申し訳ございません・・・。
風が止まり、敵が城内に・・・無念です。
早く国王の元へ・・・』


私の足元では、顔の無いアマゾネスが、懇願をしている。
記憶の中の私は、再び、玉座の間へ向かって、走り出していく。
道中で、何度もナバール兵に襲われます。

___その度に、私は、槍を突く。
___その度に、私は、返り血を浴びる。

敵を殺す度に、私の獲物は血で染まり、鉛のような匂いを帯びていく。
一方で、<過去を観る私>は、気が付いているのです。
リース。
お前が、今、記憶の中で、刺し殺しているのは___。


______ホークアイの仲間です______


「・・・!
いけません、私!
彼らを殺すのは、止めなさい・・・ッ!
・・・お願い・・・もう・・・。
殺すのを・・・止めて・・・!!」


だけど、声は、届かない。
何故なら、終わってしまった過去だから。
なのに、私の身体は、あの時と同じように、返り血に染まり切っている。
唯一、紅く染まらなかったのは、お母様の形見のリボンだけでした。

いくら駆けあがっても、這い上がっても、階段が終わない。
これは、まるで、覚める事を許されない、悪夢のようでした。
___だから。

階段の踊り場に、彼の姿を見つけた時___。
深い安堵から、縋りつくように、その名を呼んでいた。


「・・・ああっ、ホークアイ・・・!」


けれども、その姿は、本当にホークアイなのでしょうか?
漆黒の闇に包まれているようなガーブ。
深い夜色に染まり切った姿。
まるで、光とは無縁の存在に見える。

そんなホークアイが、踊り場から、私を見つめて居る。
微笑を浮かべて、私を見守っている。

なのに私は、いくら階段を上っても、彼の立つ場に辿り着かないのです。
それでも私は諦め切れず、血塗られた姿でも、叫んでいました。


「・・・ホークアイ!
今、其処に行きますから・・・っ」


その時、ホークアイが、より優しい微笑を浮かべました。
金色の瞳が、透明な輝きを秘めながら、揺れています。
彼は血まみれの私を見つめて囁くのです。


『・・・そんな体じゃ、みすみすやられに行くようなモンだ。
後はオレ達に任せて、此処でじっとしていなきゃ。
もっと自分を大事にしろよ。
リース、君は、女の子じゃないか・・・』


すると<記憶の中の私>と<過去を観る私>が、同時に言うのです。


『「・・・でも!
私は、この命にかえても、お父様の仇を・・・!」』


そんな私を見て、ホークアイは、まるで幼子をあやすように___。
チッチッチ!と、指を振りながら、諭すのでした。


『可愛い女の子は、大人しく、此処でイイ子にしててくれよ・・・。
・・・よし、行こうぜっ。
・・・デュラン!』


私が、声も上げず、涙を流した時___。





ふと気が付くと、私は、焼野原の中に立って居たのでした。
其処は焼け爛れた村です。
<湖畔の村・アストリア>。
村の入り口に立つ看板に、其の地名が刻まれている。

それは、既に、失われた後のよう。
建物が総て焼失している。
なのに村人は居るのです。
もう死んだはずなのに、まるで、生きて居た頃のように___。
___さ迷って居る。


「・・・ハッ。
此処は一体___今度は、アストリアの村___?
・・・。
・・・血が、全部、取れている・・・」


私の身体は、いつの間にか、元の通りの綺麗な姿に戻って居ました。
けれども甲冑が消えています。
槍もありません。
これでは、この先、戦えません。
私は、虚ろな目をした群衆の間を抜け、武具店を探し出しました。
全ての建物が焼失しているのに、遠くに見える武具店だけは、開店をしていたから。

<古の武具商・ペダンの店>

そう名が刻まれた看板に目を留めます。
私は、新しい武具を買い求めようと、恐る恐る扉を開く。
中には___長い銀髪の男が、カウンター上にゆったりと、尊大に座って居ました。

男の姿を、私は何処かで、見た事があります・・・。
そうです。
彼は、あの時、爛れた聖剣と、闇に染まったホークアイを・・・従えていた男!
なのに、今の私には、構える槍もありません。
すると、男は不敵に嗤って、私に言いました。


「・・・女、武器が欲しいのか?
小僧と、肩を並べていられるぐらいの力が・・・」


私は、返す言葉もありません。
すると男は更に続けました。


「ならば、今のお前に、最も相応しい武器はこれだな・・・。
___<巨人の槍>。
極上の獲物だろう?
この槍は、引き抜く時にも、相手の身体を抉る。
其の返り血を浴びるには、こちらの防具が相応しいだろう。
___<ウールフヘジン>。
生殺しの魔狼の毛皮で出来た鎧だ。
殺戮を楽しむような、狂戦士に相応しい女にしか纏えない。
・・・女。
お前になら譲ってやろう。
お前の生き様にぴったりだからな」

「・・・!
私には、そんな武具は・・・要りません・・・!
私は、殺しを楽しんでなんか・・・!」

「ならば、どんな武器が所望だ。
___これか?」

「・・・!」


その時、トンと。
カウンターの上に、ごく当たり前のように、置かれたのは___。
血塗られた聖剣でした。
隣に置かれた、魔狼の毛皮と同じように、脈打つ血流を持つ、ヒトの生血を求めるような剣。
堕ちた聖剣を認知した瞬間、私の手が伸びます。
ですが、銀髪の男は、聖剣を背中に隠してしまいました。
そして、嘲笑うように囁く___。


「・・・これは譲れんぞ。
俺の物だからな。
・・・ああ、止めておくがいい。
此処は、俺の<古代呪法>の中___。
発動しているうちは自由が無い。
記憶も行動も、時空転移さえ、お前の存在は、俺の意のままなのだ」


そう語る男の背後。
武具店の、素朴な壁に掛けられた鳩時計。
其れは時を刻んでいるはずが___。
長針と短針が、それぞれ真逆の方向へ、スピードを上げながら回っている・・・!


「ククク・・・!
女、もしもお前が、更なる力を望むなら・・・!
聖剣に代わる、古代の力を。
時間さえ操る、呪いの技を。
俺はお前に与えてやれるぞ。
___<闇の力>を___お前自身が望むのならば___な」

「そ、そんな力・・・!
私には要りません・・・!
お前は、一体何者です!?
女神の聖剣を貶め、<俺の物>などと・・・。
・・・おのれ、恥知らずな輩め。
・・・さあ、聖剣をこちらに渡しなさい!
聖剣は、お前に相応しい剣ではありません___!」


・・・。
勇ましく、言葉を発する事は出来る。
なのに、指一つ動かす事が出来ない。
どうやら、自由を奪われているのは、本当の事でした。
どんなに聖剣を取り返そうとしても、身体が動きません。
古代呪法には、逆らえば逆らうほど、心身の消耗が激しい。
全身から___汗が滴る。

そんな私を、憐れむように見つめて、男は笑います。
暗黒剣となった聖剣を、ヒュッと、軽く振っている。
・・・あの聖剣を、いともたやすく、です・・・。
そして、自らを名乗る。


「私の名は、黒の貴公子。
魔界を統べる不死の王である。
お前を、女神より奪い、従える者だ。
・・・聖剣の勇者よ!」