「君を全く知らないのに」
ファルコンの長い髪が、ペダンの風に揺れて居る。
湿気を含んだ熱い風だ。
風は、ファルコンの前髪を、ゆらりと掻き上げた。
俺に似た顔立ちと、茶褐色の肌。
ナバールの上忍が好んで使うダガー。
其れも俺と同じだった。
鞘には、二本の短剣が炎の内で重なる、ナバールの紋が刻まれて居た。
「よく知らない女性を、イキナリ呼びつけるだなんて、関心しないぞ?
少年。
でも、君は、ちょっと旦那様に似て居るな。
だから、特別に許してあげようか。
私に何の用だい?」
彼女は、あははっと、陽気に笑いながら、俺に語り掛けた。
そんなファルコンの仕草に、俺は背筋が寒くなる。
彼女、一見、とても綺麗で陽気だけど、そう『見せて』居るだけだ。
実際には、俺の存在をとても警戒して居る。
其れはすぐに解る。
・・・何故なら、ファルコンは、ナバールの上忍。
ナバールの忍にとっちゃあ、自分の感情を簡単に見せないのは、当然の心得なのだから。
「・・・やあ、ファルコンさん。
奇遇だね。
俺の名前も『ホークアイ』って言うんだよ。
貴女の息子と同じ」
俺は、上忍の心得を見抜いた上で、慎重に、次の言葉を選んで居た。
今のナバールは、盗賊団だ。
だが、盗みの技術の基礎は、首領のフレイムカーンを筆頭に置く、頭の一族が作って来た。
盗みの技術も、護衛の為の戦法も、頭の一族が、代々受け継いでいる、隠密の秘術に在る。
其の事を、俺は、幼い頃から、イーグルの隣で、フレイムカーンから教わって居た。
___フレイムカーンの直伝でだ。
「・・・。
ねえ、ファルコンさん。
実は、俺も、ナバールの出身なんだよ。
訳あって、ずっと留守にして居るが、故郷なんだ。
ホラ、此れが証拠のダガーだ。
それに、俺の肌を見たら、砂漠から来たのは解るだろう?
其処で、申し訳無いが・・・。
もしも、俺の言葉を信じてくれるなら、今のナバールの事を、少し教えてくれないかな。
ずっと離れてる故郷が、俺は、忘れられないんだ。
懐かしいから、今のナバールが知りたい。
貴女が話せる範囲でいいよ。
それから、貴女の事も、ゆっくり知りたいな・・・。
・・・駄目かい?」
俺は、女性に向ける用のスマイルを、ニコッ!と作って見せた。
内心ではドギマギして居る。
其れ相手に悟らせないのは、もう、単なる技術を超えて、俺の人格だった。
女性には優しくするのもだ。
ちなみに、対女性仕様の俺は、ナバールの心得では、一切無い。
俺の信念である。
俺は、エスコートをするように、ファルコンに向かって手を伸ばし・・・。
隣のベンチへと、優しく誘導をしようとして・・・。
「駄目。
50点」
にべもなく却下を喰らった。
ファルコンの却下は、もう、コッチがびっくりするほどの、スッパリ爽やかな、一刀両断だ。
そして、ファルコンも、ニコッ!と笑う。
其の笑顔一つで、一国一城の主すら、惑わせそうだ。
ファルコンの方が、俺などより、圧倒的な色気を見せつけながら、俺の手を取り、ベンチへと促す。
___そして。
「いいかい?
ナバールの少年。
異性を誘う時は、優しいだけでは駄目だよ。
私の夫、サンドアローは、ああ見えて、時に力強く・・・時に、激しいぞ」
・・・。
今、俺の首筋に細い針が光って居る。
ピタッと一寸の狂いも無く、針はツボに宛がわれて居た。
一突きされたら、俺は気絶間違いなしの、ドンピシャスポットだ。
更に、通行人から見たら、今の俺達は仲良く並んで、ベンチに座った男女にしか見えないだろう。
けれども、俺の利き手は、背中で、容赦なくネジ上げられて居る。
今の俺が、首のツボを一突きされて、気絶をしても___。
きっと、周囲からは、甘いシーンにしか見えない。
そんな年の差カップルを演じながら、ファルコンは、俺の耳元で囁いた。
「息子の名を語り、此の私を誘うなんて、10年早いね。
何故、私に近づいた。
やはり、オウルビーグスの差し金か」
「・・・オウル?
誰だ?
それは」
「しらばくれるなよ。
今のナバールは、ペダンの家畜同然だ。
私は、反戦派以外のナバール人間を、信用して居ない。
私と、夫の元に集まった有志以外は、総て、オウルビーグス体制に組していると考えるんだ。
___甘かったね、少年」
ファルコンは、笑顔のまま、左手で、器用に小型のハコを出した。
スイッチを押すと、左耳にハコを宛がい、さも楽し気に、銀色のハコに向かって語り始める。
「ハーイ!
もしもし、ジョスターっ?
今どこ?
ふーん、飛空艇?
了解した。
今から、私と旦那様と、後は『ホークアイ』が、ソッチに行くけど・・・。
実は、今しがた、旧友にも逢ってね。
でも、彼、ケガしちゃって動けないのよ。
悪いんだけど、迎えにきてくれない?
場所解る?
ウン、そうそう・・・探知出来た?」
そして、ファルコンは、銀色のハコのスイッチを、鼻歌交じりに切る。
クルンッと振り向いた瞬間、ベシャッ!と、ポニーテールが、俺の頬をぶった。
・・・。
かなり痛い・・・。
ネジ上げられた腕と共に、ファルコンは、容赦無く、俺を痛めつける。
ものすごーく楽し気に笑いながら・・・。
俺を値踏みした。
「・・・ふ!
・・・フフフ!
やー、君、実にいい拾い物だねえ。
私はホントに知りたかったのよ。
お爺様とお父様の内情を」
「・・・お爺様とお父様?」
「・・・?
しつこいね、君も。
もう、演技は無しにしなさい。
どうせ捕まったんだから。
お前の行いは、私を、反戦派の旗頭、ファルコンと知っての狼藉だろう。
祖父と父と言えども、今のナバールを戦争に導く参戦派を、私は許しては居ない。
イーグルも、まだ3歳・・・。
私のホークアイだって生まれたんだ・・・。
もう、ナバールに、戦争をさせるものか。
オウルビーグスとフレイムカーンは___私の敵だ」
ファルコンは、笑顔のまま、そう息巻いた。
次は、よりギリッと、俺の腕をネジ上げる。
甘いマスクは、一切崩さないまま、まるで、年下の恋人に語り掛けるように。
ファルコンは問い続ける。
高機能都市・ペダンの中で。
此の<古の都>の中で。
___囁き続ける。
「では、選んで貰おうか、『ホークアイ』。
気絶して、後から情報を吐くか。
それとも、今、内情を語るか。
含み針は結構痛いよ?」
■ Raven
ザッと、正面に在った、噴水の音が響いた。
通りを行きかう人々の、さざ波のような騒めきも、徐々に大きくなる。
今は、其れだけが、音の全てだ。
俺とファルコンは、人込みの中で、まだ恋人同士のように、見つめ合って居る。
湿気を含んだ、亜熱帯地方の風。
其の風が、ファルコンの前髪を揺らす度に、彼女の瞳が、悪戯っぽく輝いた。
まるで、ファルコンは、楽しんで居るかのようだ。
状況の全てを。
だが、俺には、訳が解らない。
フレイムカーン。
オウルビーグス。
今のナバールが、戦争をするのは、二人がペダンの家畜だから?
そして、ファルコンは、ナバールの、反戦派の旗頭?
「・・・ハア?」
本当に、意味が解らない。
ジャングルの中から、イキナリこんな場所に飛ばされて、其処が<古の都・ペダン>で。
しかも<死んだはずのファルコン>に出逢い。
かつ、俺の全く知らないナバールが、此処では展開されている。
更に、ファルコンは、俺と同じ名前の息子を持つ、カーン様の娘だと言う。
そして。
___オレガ、アノトキ、ウシナッタハズノ___
イーグルが、まだ3歳・・・だと?
再び、ザ!と、噴水の音がした。
小さかった噴水の水が、高く吹き上げて踊る。
柔らかな音楽と共に、水が七色に光り、空高く舞い上がった。
やがて、水飛沫の向こうから、一人の男が駆けて来るのが観えた。
男は、白い肌に、長いウェーブ状の銀髪をして居る。
蒼い目が美しい、男盛りだ。
紅い竜を象った甲冑と、槍を身に着けて居た。
「・・・おーい、ファルコン!
ふう、やっと見つけたよ。
随分遅いから、ミネルヴァと心配してたんだ。
なにせ、此処は、ペダンだからね・・・。
ローラントとは勝手が違うからなあ」
男盛りは、困り果てたように語る。
すると、ファルコンは、俺の右手を再びネジ上げ、立ち上がるように促した。
そして、銀髪の男に向かって、親しげに喋る。
まるで、心からの同志に、語り掛けるように。
「・・・ジョスター!
出迎えを感謝する。
実は、ナバールの子ネズミ君を、一匹捕まえたんだ。
おそらくは、フレイムカーンの手先だろう。
君の王国を・・・不当に奪った・・・父の」
「・・・そう自分を責めるなよ、ファルコン。
国王だと言うのに、あっさりと国を奪われた、私にも責任はある。
だから、今は、共に、戦いを止める事だけを考えよう」
(・・・!)
___銀髪の男。
男が、ローラント王・ジョスター、だって?
だが、ジョスターは<死んだはず>だ。
ナバールが、ローラントに侵攻をした時に、命を奪われた、盲目の王。
彼が、美獣イザベラの命令で殺された、リースのお父さんだと言うのか・・・?
そんなバカな。
目の前の出来事全てが、俺には、信じられない事ばかりだった。
何故ならば、俺の知っている世界では・・・。
ファルコンも、イーグルも、ジョスター王も・・・。
もう<亡き人>だ。
全員還らぬ人だった。
だが、此の超美人の女は、間違いなく、ナバールのファルコンだ。
持ち物、井出達、しなやかな体術と戦法、それらは全て、ナバールのものだった。
彼女が、フレイムカーンの名を語る仕草も、酷く自然だ。
其の時、俺の脳裏に、ふとフェアリーの言葉が蘇る___。
『ねえ、気を付けて!
みんな。
ペダンの周りは時空が捻じれて居るよ。
巻き込まれたら、<時空の狭間>に、落っこちちゃうかも』
___もしも。
フェアリーの言葉が本当なら。
俺は<時空の狭間>に落ちたのだろうか。
ココは、狭間の先にある世界なのか。
死んだはずの人間が、まだ若くて、生きて居る世界。
じゃあ、此処は・・・。
現代では無くて。
___過去の世界___。
「大国と、ナバールの戦いは、今、熾烈を極めている。
此の状況下で、ナバール出の私が、君より責め苦を感じるのは、当然の事だよ、ジョスター。
私の故郷が、自ら進んで、平和を壊して居るのだから」
「・・・ファルコン」
俺を縛り上げたまま、ファルコンは、心から悔いるように呟いた。
俺に瓜二つの顔が、申し訳なさで歪んでいく。
右目には、うっすらと、涙さえ在った。
けれども、其の自覚は無いのだろう。
ファルコンは、気丈な声のまま続けた。
「だが、私は信じている。
いつの日にか、ナバールは、決して人殺しをしない一族になると。
私は、其の為の捨石だ。
仲間殺しの汚名を被っても、構わない。
だけど・・・」
「・・・」
「イーグルとホークアイの時代には・・・。
きっと、平和な世界がやって来る!
私は、平和な世界を、創る・・・」
ファルコンは、左手でポケットを探り、中から小さな鏡を出した。
ファルコンが呪文を唱えると、鏡の上に、光の精霊・ウィスプが躍り、表面から反射される光が、屈折を始める。
やがて、集められた光が変化を終える。
其処には、フレイムカーンの腕に抱かれた、金髪の子供が現れた。
子供の隣には・・・。
ファルコンに抱っこをされた、紫の髪の赤ん坊が、掌に乗るほどの小ささで、立体的に浮かび上がった。
「ホークアイ、イーグル・・・!
私は、きっと、戦いの無い、平和なナバールを手に入れてみせるからね。
だから・・・ホークアイ。
お前も、頑張って、其のおねしょグセを直しなさいね」
「・・・そ。
其処でおねしょかい。
いやあ、ファルコンは、もうすっかりママだな。
子供が出来たら、女性は皆そうなのかい?」
「・・・まあ、そんなもんだな。
何、お前のミネルヴァも、今にそうなるよ。
ミネルヴァは、女の子を生むような気がする。
そんな気がするだけで、根拠は無いけどね」
俺の目は___。
紫の髪の赤ん坊に、釘づけになった。
赤ん坊を抱えているファルコン、隣の金髪の子供、若き日のフレイムカーン。
もしかすると、本当に、ファルコンの抱く赤ん坊は・・・俺なのか?
ならば、此のファルコンが。
俺の母親なのか___?
其の時、上空にプロペラ音を響かせながら、小型の舟が現れた。
更に、飛空艇上空には、なんと、フラミーが舞っている。
背後にフラミーをしょった小型船が、突然、乱暴な低空飛行を始めたせいで、周囲の木々が揺れ、草花が散った。
公園で憩っていた人々が、悲鳴をあげながら、方々へと散って行く。
「・・・あれは、ナイトソウルズ!
何故此処に?
暫く森に隠す計画では?」
「どうやら敵さんに、色々バレたみたいだな・・・。
お前に鼠もついた事だ。
偵察は此処までにして、一旦、空に引こう、ファルコン」
「チイッ。
サイ計画などという、下らない野望をほざく割に、頭は回る奴らだな・・・。
行くぞ、少年!」
「・・・えっ。
エッ!?」
今、ナイトソウルズ、と呼ばれた舟から、バラッと梯子が降りて来た。
ファルコンは、俺の手を引いて、落ちて来た梯子を上ろうとする。
俺は、両足を踏ん張って、舟に乗せられちまう事に、抵抗を示した。
抵抗する俺のせいで、梯子が登れないファルコンは、かなりイラだつ。
やがて、余りに時間が押したからなのか。
舟の入り口から___。
なんと、リースが。
もう、何処から見ても、リースにしか見えない女性が、降りて来る。
けれども、そんなハズは無い。
何故なら、此処は過去の世界で。
まだ、俺は生まれたばかりで。
そんなら、リースも、生まれては居ないはずだ。
だが、碧の竜を象った甲冑に身を包んだ、リースそっくりの女性は___。
防具以外はどう見てもリースじゃないか。
そんな、リースに劇似の女性へ向かって、ファルコンが呼びかける。
「また、派手な出迎えだな、ミネルヴァ!
サンドアローとホークアイは拾ったかッ?」
「大丈夫、お二人ともご無事です!
さあ、早く昇って下さいっ。
ジョスター、ファルコン!
・・・時間がありませんっ」
いよいよ、俺の抵抗が、限界に近づく。
ファルコンの力は、何故か、俺よりずっと強い。
ぱっと見には細いくせに、男の俺より、遥かに剛力だった。
だが、俺も、負けては居ない。
最大限の力を発揮して、何とか地面に踏み留まって居る。
けれども、次の瞬間、俺はひょいと、梯子に乗せられていた。
やってくれたのはジョスター王だ。
「此処まで来て抵抗するのは、男らしくないぞ、ナバールのこネズミ君」
「うっ。
だ、ダメだ。
俺は、そっちに行く訳には行かない。
だって、俺は・・・」
「随分聞き分けのない、フレイムカーンの手先だな。
私のホークアイの名前まで名乗って、近づいたくせに」
「!
ファルコン。
違う、俺は、俺は本当に・・・ッ!」
___未来から来た、アンタの息子かもしれないんだ___!
次の瞬間、梯子が地面から離れる。
俺達を垂直にぶら下げたまま、ナイトソウルズは、フラミーを目指して、上昇して行った。
舟が上るほど、どんどん、ペダンの都が小さくなっていく。
<古の都>が、樹海の中に埋もれて居ても、広大な事が解るほど、舟の高度が上がって行った。
空の風に髪をさらして、満足げな微笑を浮かべる、ファルコンの横顔。
ファルコンの顔が・・・俺の・・・すぐ傍に在る。
『私は信じている。
いつの日にか、ナバールは、決して人殺しなどしない一族になると・・・』
夢を語る、凛とした横顔が、其処に在る。
だけど、此処は、過去の世界だ。
俺は、唯、偶然捻じれに落ちて、時空を超えてしまっただけの存在だった。
だから、俺の考えが正しいなら、この時代の、本物のホークアイは、鏡が映し出した、赤ん坊の方なんだ。
でも。
それでも。
___母さん。
アンタに、今、本当に逢えたのだとしたら。
たった一度でいいから、俺は、呼んでみたかった。
「ファルコン・・・・・・母さんっ!!」
俺は、たじろぐファルコンに、抱き付こうとした。
其の時だ。
グニャリ。
視界も感触も、何もかもが、再び闇に溶けたのは。
グニャリ グニャリ グニャリ、グニャリ
視界が歪み、吐き気がするほどの回転感が、もう一度、俺の身体を襲った。
割れるような頭痛がして、俺の足元が崩れてゆく。
浮遊感と、血が逆流するような、戦慄。
焦燥が俺の身体中を走る。
突如、俺の視界は黒に染まり、鈍い音と共に、空間が割れた。
風のようなウネリと共に、景色が、今度は、先送りを始める。
歪んで黒ずんだ、視界の向こうには、狐に抓まれたような顔の、ファルコンが居る。
『・・・?
今、私は、誰かと話をしていたかい・・・?』
『どうした、ファルコン。
はやく昇れ』
『ジョスター・・・私は夢でも見ていたのかな?
見知らぬ少年に、今、かあさんと』
『?
お前のホークアイは、まだ一歳だろう。
喋れる訳が無いじゃないか』
彼らは、まるで俺の存在など、最初から無かったかように、梯子を上って行く。
舟の中へ、ファルコンとジョスター、そして、ミネルヴァは消えた。
今、パタンと、船の入り口が閉じられる。
俺には乗れない舟が、フラミーへ向かって上昇を続け、小さくなり続ける。
やがて、ザッと流れた、黒のノイズ。
深い深い、闇の奥へと。
飛空艇・ナイトソウルズは、溶けて消えた。

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