ズ、と深い音が、聖域の中を木霊す。
大樹を中心にして、上空には赤黒い積乱雲が、集まり続けている。
その雲は、上空の星空も、オーロラも、覆い隠していく。
時折、雷鳴が走り、その雷は、まるで竜のような形をとった。
___走る一瞬の閃光。
煌めきの集まりは、竜の大群だ。
同時に、積乱雲が唸った。
雷が鳴ったのではない。
雷鳴に似たそれは、人の声だった。
赤ん坊のそれが、まるで100万人ほど集まって、唸り上げるように。
泣きじゃくり金切り声を上げている。
やがて声は。
雷鳴に姿を変え、激しく大木の根元へ向かう。
アンジェラの、マナの剣をめがけて、悪意を轟かせた。
ひとつひとつのそれは、単なる音波か、一瞬の光に過ぎない。
けれども確実に、人の魂を深く傷つけ抉る___力。
チカラは吠える。
______コロセ、コロセ、コロセ!
閃光が走る。
______ウバエ、ウバエ、ウバワレルマエニ!
赤黒い積乱雲から、放たれる閃光の一つ一つに、生き物の憎悪が宿る。
それがやがて、降り注ぐ矢のように、大樹の根本へとめがけて、集約されていく。
ひとつ閃光が地面を抉ると、血糊のように、べったりと跡が張り付く。
閃光の雨___その合間を縫って。
___紅い、魔導師___。
・・・あの男が、再び現れる。
その姿を認めた時、アンジェラの口から、鈍く言葉が漏れた。
「・・・紅蓮」
Ⅸ
「貴様、何故ここに・・・!」
「・・・フフフ。
お前達から、マナの剣を奪うためだ。
我々の計画通り、聖剣を抜いてくれたのだな。
___礼を言おう」
そして・・・「ありがとう」。
紅蓮が、どこか甘く囁いた瞬間に、一際大樹の陰が、濃くなる。
重いプロペラが、幾重にも回る音。
それらが風を巻き起こす音。
唸るようなエンジン音と、一つの街さえ入りそうなほどの___巨体。
その時、巨大な空中戦艦が、大樹の上空についた。
「・・・あれは・・・空中要塞ギガンテス!」
「アンジェラ王女。
もう私にとって、戦争の意味は無い。
貴女がその剣を___抜いて下さいましたから」
紅蓮は、ギガンテスに向かって、右手を上げた。
同時に、羽虫のような形をした小型機が、何機も本体から降下し始める。
ファアンと、昆虫の群れ独特の乾いた音が響き、8体の小型機が大樹の前に群がった。
うち一つから、風を孕みながら、どこかで見た人物が・・・ゆっくりと優雅に・・・大樹へと歩み寄る。
「少し遅かったな、黒曜」
黒い甲冑の男。
男に向かって紅蓮は、微笑を浮かべながら、声をかける。
<黒曜>。
確か、その姿を、俺は知っている。
これまでで、もう2回は会っている。
確かあれは、風のマナストーンの近くだ・・・。
その前は___フォルセナ城の、夜___。
「・・・黒曜、そして紅蓮。
・・・なぜ聖剣を狙う?
剣が抜けたなら___もう戦争に、意味がないだと?
ならお前たちは、聖剣の為だけに、あの夜、フォルセナを襲ったのか?」
「随分威勢がいいな。
元気そうで、何よりだ。
___デュラン」
「・・・!」
大樹の傍まで、歩み寄った黒曜が・・・今、俺の名を呼んだ。
兜の下から、深く響く、テノールのような声がする。
風が、漆黒の騎士が纏うローブに孕むたび、懐かしい香りがした。
刹那、俺の記憶、その奥深くで、俺は確かに、この男を『知っている』と思った。
___その声も、香りも・・・。
・・・もう、ずっと前から・・・。
その時、覚えは無いのに、確かに知っている声が、俺に語り掛ける。
「剣術大会、優勝おめでとう。
そして今は・・・聖都より旅立った、評判の<女神の騎士>か。
大きくなったな、デュラン。
・・・会いたかったよ」
___だから___俺の構えていた剣___その切先が、地面を向いた。
目前の、この男が、何を言っているのか、解らないからだ。
にも拘わらず、俺の鼓動が高まり、手からは汗が滲んだ。
そんな俺を、黒曜は、ずっと兜越しに見つめていた。
兜に、両手が添えられる。
ゆっくりと、抜き取られていく兜___。
・・・その下からは。
「まだ解らんのか、デュランよ・・・。
私は・・・お前の父・・・ロキだ!」
そう______。
嘘をつく、男が現れた。
固いブラウンの髪は、肩で斬り揃えられている。
深い青の目、確かに、それは俺と同じ青だ。
幼い頃に、何度も嗅いだ、白銀騎士団・紺碧のローブの香。
大好きで、何度も聴かせてくれとねだった、武勇伝を語る、あの声。
その全てが、俺の知る父親___ロキと全く、同じだったとしても。
これは、嘘だ。
「へ、へへっ、何言ってんだよ。
・・・そんな訳あるか。
俺のオヤジは、竜帝と差し違えて・・・」
なのに、俺の声は震える。
余りにも、男の笑顔。
それが優しすぎて、懐かしすぎて。
だが父は。
・・・俺のオヤジは。
深い谷底に堕ちて、死んだはずだった。
___なのに。
「デュラン。
だが私は、こうして蘇った。
竜帝様より、<闇の力>を頂いて・・・な」
あの笑顔が、あの笑顔のまま。
俺の理解を超えた、言葉の羅列を語った。
ニコ、とまるで、無垢な少年みたいな、微笑を浮かべて。
けれども深い声は、壮年のそれで。
意味の解らない事ばかりを、言う。
「・・・さて、デュラン。
私もお前と、ゆっくり再会を楽しみたい。
だが生憎、今日は仕事なんだ。
マナの剣は渡してもらおう。
・・・フェアリーの命と引き換えだ」
そして男は、高くフェアリーを、積乱雲が立ち込める、赤い空へと掲げた。
薄い羽を毟るように、ギュっと縛り上げる。
だからフェアリーの顔が、苦痛で歪む。
キュウ、と声にならない叫びが、離れたこの場所まで、聞こえた。
「・・・クッ!
・・・・黒曜、どこまでも汚い手を・・・。
フェアリーを離せッ」
「確かに、汚いやり方だ。
だけどこれが、世界の在り方だよ、デュラン。
・・・弱い生き物を、強者が捕食する事ほど、普通の事は無い。
縄張り争いをして・・・殺しあいながらね。
そして、<一度死んだものは、二度と戻らない>。
これは、マナの女神が、未熟さ故に___。
我々に強いたルールだ。
<我ら>は、そのルールに従うしかない。
ルールを覆す・・・その時までは。
・・・紅蓮」
紅蓮が、黒曜の陰から歩み出る。
その佇まいは、どこか、前に会った時とは違っている。
燃えるような闘気や、張り詰めた緊張感が、今はもう無い。
代わりに紅蓮が放つのは、静かな決意のそれだった。
そして、紅蓮も嗤う。
やはり、俺を見下すように。
そして___誘う様に___語った。
「・・・さあ、アンジェラと剣を渡してもらおうか・・・デュラン。
王女様。
貴女もお帰りなさい。
・・・愛する、アルテナの元へ」
「ブライアン・・・」
(・・・!?)
その時、アンジェラが、紅蓮の事を、『ブライアン』と呼んだ。
それは、俺が旅の間、何度もアンジェラの口から、聴いた名前だった。
けれどもそれが、紅蓮の事だと、俺は一度も、聞かされていなかった。
アンジェラは、ずっと紅蓮、ブライアンと___見つめあっている。
それは、確実に敵対するもの同士の、視線のぶつかり合いだ。
なのに、同時に、同じ故郷を知る者同士の、それでもあった。
<アルテナ>という言葉。
それが、紅蓮の口から出た瞬間。
アンジェラの、目の色が変わる。
「・・・アンタのやってる事が。
この、マナの剣を奪い合う戦争が、アルテナにとって何だというのッ。
・・・ブライアン!」
アンジェラは、輝く聖剣を、ブライアンに突きつけた。
その瞬間、ゴ、と音がして、聖剣の周囲を、虹色の光が舞う。
それは、どんなに大樹の周囲が、赤黒い積乱雲で覆われても、輝きを失わなかった。
むしろ、黒く沈んだ聖域の中で___美しいチカラを放っていた。
だが、光を突きつけられても、ブライアンは嗤うばかりだ。
クッと、さも可笑しそうに、横顔が歪んだ。
そして___甘く囁く。
「・・・王女様。
貴女が本当に、アルテナを想うなら___。
その剣は、女神には、相応しく無いのです。
・・・貴女にも、女神の従者は似合わない。
だから・・・俺の元へ、戻っておいで。
・・・アンジェラ・・・」
「______やめろッ!」
その時、紅蓮が風を放った。
俺は、風を盾で受け止める。
それは圧だけで、アンジェラを吹き飛ばそうとする。
だが、今の俺は、魔術の心得も、いくばくかはある。
だから、魔力を帯びた風圧も、盾で防ぐことができた。
間髪入れずに踏み込み、紅蓮を剣で払う事もだ。
___だが、空を切る音がするだけで、もうそこに、紅蓮は居ない。
「のろいぞ、小僧・・・」
目の前には。
確かに、速い、紅い魔導師。
紅蓮は、残像を描きながら、後退していく。
恐ろしく速いスピードのせいで、肉眼では、残像としか映らない。
だから、何度剣を振るっても、像を掠るだけだ。
剣が虚しく空を切る音ばかりが、聖域に響く。
フと、視界のすべてが、紅蓮になる。
青紫の瞳が視界一杯に広がり、深い花の香りが、した。
「ッア!」
次の瞬間、横腹に蹴りを食らう。
そのまま崩れ落ちる先で、氷の礫が矢のように降り注いだ。
喰らい終わる前に、炎が燃え上がって、鎧と髪を焼いた。
「遅い遅い、遅いな!」
ザ、と地面を滑りながら、再び目前に紅蓮が立つ。
腕が伸びて、拳に風を孕みながら、大地へ俺を落とした。
鋭い風が、肌を切る___。
「・・・デュラン・・・お前は弱い」
紅蓮は、転がった俺の身体に足を置いて、ギリッと踏みにじった。
次の瞬間、顎に指を絡め、自分の顔の傍まで、俺の顔を引き上げた。
歪んだ微笑、それが再び、俺の視界に広がる。
むせ返るような、花の香りと美貌が___俺をなじる。
「・・・国?
・・・国王陛下?
___その次は、女神か。
・・・フン!
お前はいつも、誰かに使われるだけの・・・腰抜けだな。
・・・お前などに・・・聖剣は不要」
俺の頭は、地面へ落とされる。
砂利が口内に入り、血が滲む。
鈍い、亜鉛のような味が、俺の中に広がった。
「アッハッハ!
そうだ、デュラン・・・。
お前はせいぜい、フォルセナの犬であればいい。
唯、アルテナを憎み・・・。
戦いの因果の中で、短い一生を、終えればいい。
___黒曜」
「・・・!
イヤッ。
・・・離してっ」
すぐ頭上で、アンジェラの声がした。
動かない、俺の身体の傍で、無理に首だけを動せば、目前にアンジェラのブーツが見えた。
両足が、必死に抵抗をしている。
地面に食らいつくように、大地を踏みしめている。
だが、それも空しく、引きずられるように、連れ去られようとしていた。
「・・・や、やめろ」
だから俺は、手を伸ばし、アンジェラの足を掴んだ。
その瞬間、アンジェラがしゃがみこむ。
俺の傍まで顔を近づけ、俺の腕にしがみついて、絶対に離れまいとする。
もう、その手に___聖剣は無い。
それでもアンジェラは、俺の身体に食らいつくようだった。
「誰がアンタ達なんかに、ついていくもんですか・・・。
どんな理由があれ、アルテナとフォルセナを、こんなにしたアンタ達に!」
アンジェラは、俺を見る。
また、涙で濡れそうな、淡い緑の瞳が、俺を映して揺れた。
それが乞う様に、俺を見つめる。
『お願い、もう一度助けて』と。
だがアンジェラには、冷たい紅蓮の声が、容赦なく振りかかる。
「・・・アンジェラ。
この負け犬を、生かしておきたいか?
それならば、俺と共に来い。
・・・お前が来るなら、殺さずにおこう」
「・・・卑怯者!
ブライアン・・・私は・・・貴方が、何を考えてるのか、解らない。
何故こうまでして、マナの剣を、手に入れなければならないの?」
___紅蓮は、笑った。
それは、今まで見せていたような、高慢な笑みじゃない。
___柔らかい微笑だ。
ずっと寄せられていた眉間が___ふわりと開いた。
アンジェラは、そんな紅蓮を睨みつけたままだ。
だが・・・次の瞬間・・・アンジェラの瞳も・・・揺れる。
「・・・。
それは、アンジェラ。
______お前の為に」
___今___アンジェラの手が___俺から、離れる。
フアン!と小型戦闘機の羽が、蛾のように、一斉に鳴いた。
遠くで「アンジェラ、デュラン、シャルロット!」と、フェアリーが俺達を呼ぶ声が聞こえた。
それも、羽虫の音で掻き消された。
俺の周りから、人の気配が、引き潮のように消えた。
その瞬間に、紅蓮の足も、俺の背から消える。
俺は、動けない。
身体が引き裂かれたように、痛みに負けていた。
肌は火傷で爛れ、骨は一部折れているのだろう。
横腹の違和感が、軋みをあげる。
凍傷と打撲が、同時に鈍く疼き、発熱さえ始めた。
それでも俺は、顔をあげた。
痛みで霞む視界の向こうに、長い___紫の髪が・・・舞う。
「デュラン・・・ッ!」
そして、あの声が。
___俺を、求めた。
ようやく俺は、歪む視界の彼方に、アンジェラの姿を捕らえた。
その瞬間に、アンジェラはフェアリーと共に、小型戦闘機に乗せられて、飛び立っていく。
巨大な___空中戦艦の中へ。
だから、俺は地面を這う。
この手が届かないとしても、ずっと這っていく。
だって絶対に、渡してはいけないと思った。
あの時。
『私を、支えてて』
そう言った、アンジェラを。
絶対に、俺の傍から離してはいけないと、今更だ。
ようやく今、心からそう想えたのに。
なのに、この手が届かない。
祈りが、叶わない。
『もう、誰も戦わないでいい世界に』
『皆が幸せにならなくっちゃ』
___かけがえのない祈りが、俺の目の前で、奪われていく。
後には、高くそびえ立つ<マナの樹>___。
唯それだけが、残された。

SEIKEN3 2.0 (終)