再び、高らかに音楽が鳴った。
降り注ぐ音が、硝子の雪間に響き渡る。
竜達は、其の羽を高く広げ、真紅の翼が幕を上げる。
弧を描いて見下す竜達は、観客席から喝采する。
其れはシュプレヒコールのように響き渡る咆哮だ。

コロセ、コロセ、殺セ!!
ウバエ、ウバエ、奪ワレル前ニ!!

真紅なる竜帝から、吐かれるブレスの灼熱が、焔の中へと身体を呑む。
ブレスの中で、毒素に痺れ、其れでも俺は、剣を翳す。
竜帝が、巨大な掻き爪を振り下ろした瞬間に、ピタリと爪の動きが止まる。
爪の力に対抗する、虹色の輝きが、俺の頭上で弾けて居た。
竜を動かすまいとする【巨大な善の意思の力】___女神の力がホウルを包む。


「・・・コレハ!
・・・聖域ノ【マナノ女神】!
オノレ、マダ過チヲ繰リ返スノカ!」

「竜帝様は、一足先にお向かい下さい!
私はこいつらを始末してすぐに参ります」

「必ズ、追イツケ、紅蓮ノ魔導師。
今コソ世界ヲ我ラノ手ニ」


同時に鋭い音がして、ロキが【マナの剣】を構えて居た。
フォルセナ騎士の所作は美しいまま、姿は刃のようだった。
かつての『黄金の騎士』は冷たい慈愛を込めて言う。


「さあ、始めようか、デュラン。
最愛の妻の子よ。
今こそ竜の国へと共に行こう」

「・・・クッ!
やっぱり親父は死んだんだ!
お前は強くて優しかった『黄金の騎士・ロキ』じゃない。
【闇の力】に心を奪われた、哀れな男の成れの果てだ」

「・・・哀れなのはどちらだろう?
マナの女神を妄信し、叡智を忘れた人類か。
それとも【不死の力】を得んとする、我々闇の陣営か?
私はお前も【闇の力】を得る為に、其の魂を抜き出して【転生の秘法】を施すだけなのだ。
さあデュラン、お前も共に・・・。
___来い!」


翻された【聖剣】から、暗黒の粒子が唸りを上げ、回転しながら俺に迫る。
黒の波動を、騎士の剣で弾きながら、俺は構えを直して居た。
たった今の一撃でも、腕に、脚に、熱い衝撃が走ってゆき、柄の握りが甘くなる。
俺は、とっさに力を込め、親父の技を真似て居た。

・・・けれども親父は嗤って居た。
此れまでの、父が浮かべる笑みとは全然違う、醜悪な微笑みだ。
僅かに歪んだ口元が、徐々に憤怒を帯びてゆく。


「・・・『黄金の騎士』など!!」


ホウルの端まで飛ばされて、ダンッ!と背中が、目には見え無い、壁へと叩きつけられる。
不可視の壁は柔らかく、波紋を広げて身体を受けた。
けれども痛みは凄まじい。
脊髄の、奥まで震える、衝撃だ・・・。


「・・・下らない。
闇の中、死の間際、苦しみ悶える身体の中で、名誉が何になったのだ。
私が生を終える時、最期に求めて居たのはシモーヌだ。
___名誉などでは無かったのだ!」


繰り出される衝撃破。
輝きは、天を突く、竜の如くに朱を帯びる。
俺は身体をひねって寸でで光を躱して居た。
けれども風の衝撃で、再び壁へと衝突し、身体は無様に転がった。
輝く管がビッシリ詰まる、光る硝子の床の上、ザリザリ皮膚を削られて、頬に、痛みと、血が走る。


「デュランよ、子供のお前に、此の後悔が解るのか。
死して初めて己に気づいた哀しみが・・・」

「クッ、父、さん・・・」

「・・・私は国と共に生き、国と共に死んだのだ。
私には、竜の叡智に命を救い取られずに、死んで行った我が妻の、冥府での嘆きが聴こえるよ。
治らぬ病に苦しみながら、私を求めて居た声が、鼓膜の奥まで響くのだよ」


再びうねりを上げる黒の波動。
躱す度に、互いの剣が、弾けてゆく。
立ち上がる隙などは、一瞬たりとも与え無い、黒く輝く【マナの剣】。
唯、防御に回るしか在り得ない。
其れほど【聖なる剣】は凄まじい。
【神の剣】と『ヒトの剣』では格が違う。
___それでも、俺は、諦めない。


「父さん、俺は、父さん達をこんなにした、竜帝達を許さねえ。
父さんを【闇の力】で変えてしまう【古代呪法】は認めない。
紅蓮の魔導師も竜帝も、俺が必ず倒してやる。
二人共【闇の力】から救い出す!
なあ父さん、母さんは、父さんを褒めながら逝ったんだよ。
『あの人は、最期まで黄金の騎士だった、きっと本望だったんだ』って」

「其れがあれの本心なら、病で死にはしなかった。
不治の病に犯され死んだのは、私の為に、無理を重ねたせいなのだ。
・・・全ては私の為だった。
痛む身体を隠し続けて虚しく死んで行ったのは、私が『騎士』故だったのだ!」


【聖剣】が、身体を叩き潰さんとして、風を孕んで迫り来る。
対する俺は、刃を翳し、ギリギリ【闇】を止めて居た。
視界の全てが父さんと【聖剣】だけになってゆく___。


「【人間界】に蘇り、もう一度『妻に逢いたい』と願わない日は無いのだよ。
妻を蘇らせられるのなら、息子を贄にしたとしても、構わないとまで想えるのだ。
デュランよ、お前も【死を超える】竜と闇の眷属に、共になってしまえば良い。
大丈夫、苦しみは感じない。
寂さも、全く無い」

「嘘だ、父さん【闇の力】が苦しくない訳が無い!
・・・今の俺には解るんだ。
【闇の力】は苦しいだけなのだと。
父さんだって、おかしくなってるだけなんだ。
だからもう、目を覚ましてくれ、父さんっ!」

「残念だよ、デュラン___」


そうして親父の蒼い眼が、スッと細くなってゆく。
まるで何かをキッパリ見切ったようになる。
力の限りに拮抗する、俺の剣が払われた。
カランと乾いた音を響かせて、ヒトの剣は、脈打ち光る、硝子の床を滑りゆく。
再び剣を掴もうと、手を伸ばした瞬間に、指が、足で、詰られる。


「グアアッ・・・!!」

「・・・ならばお前は死ぬが良い。
竜へ捧げる生贄は『大切な者』なら誰でもいい。
私には、後一人、血を分けた者が在る。
・・・ウェンディ」


そうして父は愛を込め、ウェンディを呼んで居た。
細められた瞳の奥に、熱を帯びた狂気が在る。
ギリギリギリギリ踏みにじられ、骨の髄まで軋み出し、俺は「カハッ!」と吐いて居る。
そんな俺を見下して、ロキは吐き出すように呟いた。


「デュランよ、何故お前には解らない?
竜帝様の【闇の力】は絶大だ。
深い呪い快楽ほど、激しく身を焦がせる悦びは、此の地上に他は無い。
愚かな女神の支配を覆す、熱くて深い法悦を、竜より賜る事が出来るのは、竜に下った者のみだ。
私に妻を取り戻させてくれるのは、竜族の【禁じられた古代呪法】のみだ・・・」


父さんは、臓器の真上に、黒の篭手を添えてゆく。
甲冑越しにも指の熱が伝わった。
俺は、臓器を鷲掴みにされながら、深い【闇】を感じて居た。
命と心の在り方を、支配しようと迫り来る、ロキの指が蠢いてる。


「さあデュラン。
同じ過ちばかりを繰り返す、ヒトの歴史を終わらせよう。
お前は気づくべきなのだ、正しいのは竜なのだと。
どうしてお前は闇の支配が悪だと決めつける?
【闇がなければ光も存在し得ぬ】のに」

「・・・っ!」

「・・・【闇の力】は素晴らしい。
此の力でシモーヌも、私と同じく蘇れる。
これでもう、下らない、名誉に踊らされる事はない。
妻と私は再び巡り逢えるだろう。
此れが悪なら光こそが傲慢だ。
デュランよ、お前に、最期のチャンスを与えてやる。
私と共に竜に下ると誓うのだ」


ロキの指が心臓を、掴み切って離さない。
脈打つ臓器を握られて、痛みの無い衝撃が、肉の間を迸る。
痛みは全く無い癖に、締め付けられる感覚が、俺の身体を締め上げる。
衝撃に、唯、耐え続けるしか無い俺は、瞼を閉じるのみだった。

そうして、もはや、命は果てたと悟った時___。
其処に【聖なる剣】が在る。

其れは血塗られ黒く染まった剣だった。
【闇に堕ちたマナの剣】が、脈打ち続けて其処に在る。
鷲掴まれた心臓が、ドクンドクン、五月蠅い鼓動を跳ね上げる。
父の指が魂を、奪い取ろうとしてゆくのが、薄れてゆく、意識の端でもよく解る。

其の時、記憶の彼方、魂の奥深くで、彼女の瞳が煌めいた。

闇の中でも、深い碧が、澄んだ光を帯びて居る。
碧眼が、フォルセナ王と重なった。
女神のようなアンジェラが、闇の中でもぴょんと飛ぶ。
光輝く剣を持ち、微笑み掛けて、跳ねて居る。

聖なる剣を翳しながら、碧の瞳で射抜きながら。
あの日の彼女は身体を預けてくれて居た。


『有難う。
デュランが後ろで支えてくれたから、私には解ったよ。
人も世界も支え合って居ると思う。
___皆が幸せにならなくちゃ』

『もう一度「有難う」って言わせてね。
私を助けてくれて、ホントに嬉しい。
デュラン、だーい好きっ!』


其の瞬間、俺は【聖なる剣】を掴んで居た。
例え繰り返す歴史でも。
母さんが、蘇らない世界でも。
俺は、彼女の意思を、選びたい。

そうして指が触れた瞬間に【神の剣】が輝いた。
鈍い音を立てながら、膨れて脈打つ熱い被膜、其れがブチブチブチブチ崩れてゆく。
鮮血が飛び散って、頬を、紅く、染め上げた。
腐臭が鼻孔を突いてゆき、ぬめりが絡んだとしても、俺は【神の剣】を取る。
剣を掴んだ指先から、取り込まれた神獣の、荒ぶる声が聴こえて来る。
厄災の化身は猛り狂い、咆哮で、世界の大気を揺さぶった。

俺は、女神の意思を持ち、神獣達をねじ伏せる。
【聖なる剣】を振るってゆく。
そして、闇に染まった愛しい者を【光の剣】で貫いた。

断末魔の悲鳴。
亡霊の、深い木霊が、広いホウルに響き渡る。
光の中、消し炭のように消え去る、闇に染まったロキの心。
闇に沈んだ眼(まなこ)が今、聖なる剣で清められ、一瞬だけ細まった。

狂気を帯びた眼差しが、瞼と共に閉じられる。
再び見開かれた其の時には、昔の瞳に戻って居る。
ロキの姿が、光の中へと掻き消えながら、諸手を大きく広げてゆく。
父の両手が「おいで」と広がってる。


「デュラン、強くなったな。
闇に染まった魂を、解放してくれて有難う」


ロキが俺を抱きしめる。
けれども同時に消えてゆく。
子供の頃から追い掛けて来た父さんの、フォルセナ騎士の、でかい胸。
其れが光る白へと溶けて消える。