屋敷の書庫で地図を漁ると、軍が遠征用で使う、ポケットタイプの物が在る。
其の地図を地域別に拝借する。
アルテナ国周辺の地図、特に零下の雪原の地図と、隣国フォルセナの内、黄金街道付近を選んで居た。

次は船の航路と時刻を調べる。
エルランドからは『ジャド行き』と『マイア行き』の二便が一日2本づつ出て居る状態だ。
航路がマイア行きの方が短く早く着く。
気持ち的にも父が用意した聖都に近い街よりも、新天地の街マイアに心が惹かれて居た。

ルク集めには工夫が必要だと考えた。
俺にはごく少量の小遣いが在るだけだ。
けれども意外な事に、此れは『聖都行きの旅費をくれ』と監視役に伝える事で解決をして行った。
怪しまれないように、父の決定には従う素振りをした事が、功を奏したようだった。
そんな風に俺は一週間を準備に費やした。
___そして、マナの祝日。


「やはり、来ない、か・・・」


周囲では溢れる人込みの中、フォルセナ市が立ち並び、名産品が売られて居る。
広場の中央に在る、マナの女神像を模した時計台の元、俺は独りで彼女を待って居た。
時計の針は約束の時をとうに超えて居る。
だから俺は溜息を噛み殺す。
アンジェラは、もう『来ない』と踏んだのだ。


『其の気になったら来い。
祝日、広場に12時だ』


俺は王女を誘って居た。
だが強制する気は全く無い。
例え独りだとしても、俺は旅立つ事を決めて居た。
アンジェラ王女が居なくても、計画には支障が無い。
それなのに『王女が来ない』と言うだけで、こんなにも堪えてる。
たった一人で此れからは、何でもこなしてゆかねばならないのだ。
思った以上に孤独が心に圧し掛かる・・・。


「フン。
新成人が聴いて呆れるな」


あれだけアンジェラに偉そうに喝破をしたクセに。
俺の足は震えて居た。
これまでは父の支援が在ったから、無事に生きて来れたのだ。
其れ以外には何も無い。
青二才の力不足が街の中ではよく解る。
誰もかれもが『知らない他者』、助け合うなど出来はしない。
利害のみが蔓延る大人の街が俺の前には横たわる。

だが、引き返す事は不可能だ。
俺は逃げ帰った所で聖都に追放されるだけだった。
たった1人、誰にも顧みられる事はない、唯の家の恥として。
それならば、俺は『新しい世界』を選びたい。
もう独りだとしても、女神の広場を去ろうと決めた、其の時だ。


「ねえ、ママ。
チチ此のお姉ちゃんと遊びに行く!」

「駄目よ、迷惑かけちゃ。
チチはママが遊んであげるわよ!」

(・・・)


人込みの中からとても仲が良さそうな、母と娘が飛び出した。
親の方は手に巨大なラビを抱えており、其れを子供に手渡してる。
ラビからは、潰れた餡子がハミ出ており、ハッキリ言って気色の悪い菓子だった。
無駄にデカくて思わず倒したくなって来る。
だが、チチと呼ばれた女の子は、ラビ饅頭を欲しがった。
少女は潰れたラビに手を伸ばす。


「きゃっきゃっ!
ねえ、ママ、チチ、ラビのお饅頭、お姉ちゃんと半分こ。
ふぉるせなめいかを半分こ~!」

「御免なさいね、お姉さん。
ウチには子供が一人しか居ないから、どうしても過保護になっちゃうの。
いけないとは思いつつ、つい甘やかしちゃうんだ。
こんなに大きなお饅頭を頂いてもいいかしら」

「一人では勿体ないほど大きいもの。
さあ、どうぞ、チチちゃん。
ふわふわのラビちゃんよ!」

「わあい、どうも有難う!
・・・・・・アンジェラのお姉ちゃん!」

(!)


群衆に流されつつ、礼のお辞儀をペコリとして、母子は市場に消えてゆく。
そして、母子に笑って手を振り見送るアンジェラが、俺の前には現れた。
アンジェラは止まって居る俺を一瞥し、ニコッと笑って見せて居る。
そして、ピンクのジャケットを羽織りつつ、荷物の中身をチラ見せした。
旅行用の鞄には毛皮のコートが入って居る。
俺と同じで遠出用の冬物だ。
アンジェラは、女王の結界を超える気だ。
もこもこした毛並みを見つめながら彼女は言う。


「ずっと、アンタのコト見てた・・・。
私の事を30分も待つなんて・・・。
意外だった」


俺は、ゆっくりと、時を刻む女神の像を見上げてゆく。
『アンジェラはもう来ないだろう』
『俺は独りで旅立つのだ』
すでに見切りを付けて居たのに裏切られた。
だから、俺は、彼女に低い声で尋ねて居る。


「何故、今更出て来るんだ?
王女様___」







ザク。
歩を進めると、規則正しく、鈍い雪の音がする。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。

降り積もったばかりの雪は音が良く響く。
膝下まで真っ白の、生クリームのような雪原に、俺と彼女の足が埋まってゆく。
雪原に広がる森の樹木には、煌めくマナの結晶が、ばら撒かれた金平糖のように散らばってる。
斜陽が海に溶けながら、蒼くて深い氷の森を黄金色に染め上げる。
ウィンテッド大陸を囲む海は流氷だ。
北の海は総てが凍てついて『ガラスの砂漠』が横たわる。
最も『ガラスの砂漠』は竜族の巣と恐れられ、ヒトは全く近寄らない、断崖絶壁の島だった。
竜の巣が見渡せる、海沿いの街道を、俺達は『エルランド』を目指して歩いて居た。


「ブライアン!
寒いよ、辛いよ、疲れたよ~っ!
ねえ、此の道ホントに最短距離?」

「対岸に明かりが見えるだろう。
あれが『エルランド』のはずだ。
夜明け前には辿り着くから我慢しろ」

「よ、夜明け前?
だ、ダメ。
私、もう、ダ・・・ッ!」


アンジェラは雪の中へとドジばるように倒れ込む。
肩が激しく上下して、頬は寒さで赤らんで、吐く息はとても白い。
毛皮も雪にまみれて居て、ブーツのリボンも凍ってる。


「まさか夜通し歩くつもりなの?
そのマサカをやらかすの?
玉のお肌が凍っちゃう!」

「氷点下の中で立ち止まるのは命取りなんだ。
死にたくなければ歩くんだ。
何の為に苦労をして、監視を巻いたと思ってる?」

「アンタ鬼軍曹か何かなの?
せっかくこんなに柔らかい雪が一杯在るのにさ。
別の考え方をしましょうよ。
監視はもう居ないんでしょ?
ならいっそのコトこうしましょ!」


彼女は丘の雪を集め出す。
最初は『雪だるまでも作る気か?』と思うほど、ひたすら雪を丸めてた。
しかし、暫く見て居ると、ダルマどころか自分以上の大きさまで丸め出す。
そして、手は止めないまま、トンデモ発言まで吐いて居る。


「ねえ、昔はこんな風に、よく一緒にカマクラを作ったネ。
アレは温かいカマクラだったよね。
私のコートは毛皮だし、中でピタッとひっつけば、雪の中でも死にはしないと思うケド!」

「中で、ピタ?
お前は何を言っている・・・。
信じられん・・・」

「信じられん発想はどっちなの?
私はお城育ちなの、夜通し歩く事は出来ないの!
連れ出すなら、きちんとエスコートをして頂戴」


アンジェラは、テキパキサッサとカマクラ作りに励んで居た。
伊達に子供の頃から城より脱出を繰り返し、雪遊びを繰り返した訳では無いらしい。
気が付くと、俺も当時を思い出し、無我夢中になって来た。


「ウフフッ♪
カマクラ作りは楽しいネ!
蒼くてまあるい形にしましょ」

「雪が重い、やたら寒い・・・。
楽しいのに苦しいな・・・」

「雪ってとっても綺麗よね。
氷で出来た宝石みたいで、ス・テ・キ!」


久々に作り上げたカマクラは、丸どころか珍妙な形をしてた。
だが子供が二人で身を寄せられるモノにはなって居る。
小さなカマクラは、潜り込み、身を寄せ合ってさえいれば、寒さを凌げる造りをしてる。
カマクラを見つめて王女は言う。


「ザッとこんなトコかしら?
さ、入りましょ!
そんな所で突っ立ってないで、速く隣に来なさいよ。
中は温かいと思うわよ」


即席のカマクラにモゾモゾ入り込んだアンジェラは、雪の上に毛皮を敷く。
だが其れだけでは身体の上部が晒されて、隙間も多く、吹き曝しだ。
必然的に、俺の身体と防寒具が必要になって来る。
俺は、コメカミ辺りをヒクヒクさせながらも、それでも彼女に従わざるを得なくなる。
平常心がグラついて、抵抗感が迫り来た。
だが氷点下の夜を超えるのなら、此れは一番良いやり方だ。
俺は心を殺し、意を決する。

中に入り込んだ後、コートを脱いで、互いに乗せた。
マフラーも二人の首に巻きつける。
二人が肌を寄せて居るだけで、カマクラの中は暖かい。
だが同時に彼女の髪から花の匂いが香り立ち、一瞬震えが来てしまう。
俺だけマズイ展開だ・・・。


「さ、ゴハンごはんっ!」


俺の汗には気づかない、殺人クラスのアンジェラは、水筒と包に飛びついてる。
それらはアルテナ産の<魔法器>だ。
サラマンダーの加護が在り、沸騰させたり保温をしたりする、他の国には無い道具。
魔法の器に茶葉を淹れると紅茶の香りがふんわり舞う。
包みも同じく<魔法器>で、焼き立てパンがゴロンと出る。
イースト菌の甘い匂い、生地に練られた『ぱっくんチョコ』、更に例のラビ饅頭。
スイーツづくしの空間が、カマクラの中には出現した。
パンを紅茶を平らげて、最後のラビを美味しそうに頬張って居る王女の顔。
魔法の国の姫君が、俺の、すぐ、隣に在る。

___ズクン。

俺の痛みを知らないアンジェラは。
隣でハムはむパンを食べ、優雅に紅茶を飲んで見せ、ラビスイーツを満喫した。
けれども俺は、ハミ出た餡子かじっても、熱い紅茶をすすっても、全く楽しむどころじゃない。
胸の鼓動が高鳴り続けてしまうから。

もう、段々断念せざるを得なくなって来る。
それなら朝まで貝で居よう。
俺は、そう『魚介類』。
鋭い目付きの貝と化せ・・・!

そのまま彼女が身体を寄せて来る。
俺は本音を吐いてしまい、貝作戦は3秒にて敗戦した。


「駄目だ。
もうここまでだ。
恥ずかしいから止めてくれ!」

「子供の頃と同じじゃない。
今更恥ずかしがるコト無いってば」

「『他人』は此処まで近づかん。
普通は離れるもんなんだ」

「アンタは『双子の兄』ってカンジなの!
安心出来る家族だもの。
ヘイキだから来なさいよ」

(クッ・・・!
もう、勘、弁、しろ!)


俺は熱い息を吐くのを堪えてる。
此のカンジョウをどう打ち明けたらいいのだろう?
アンジェラにはどう伝えたら気付くだろう。
俺にはもう耐えられない。
た、だ、た、だ、も、う。

耐エラレ無イ___

音の無い雪の音まで聴こえて来る。
俺の心臓だけが跳ね上がる。
気が付くと、目前に、彼女の顔が迫って居た。

機械仕掛みたいに壁に王女を押し付けてる自分が居る。
桜色の唇が迫り来て、碧の瞳が見開かれる。
彼女のうなじにキスを落としてる、俺はおかしくなってしまう。
息を呑む音が鼓膜を突き、汗ばむ額にキスをした。
二人だけの空間が、上がる温度に満ちてゆく。
だが唇だけは奪わない。
___彼女の意思が無い限り。

それでも王女の存在まで、1ミリさえも離れて無い。
五月蠅い鼓動を押し付けて、溶け合う事を堪えてる。


「・・・俺達が『家族』なら、こんな事はしないだろう!!」


ドンッと無理矢理突き放す。
王女の髪が触れてゆく。
ショックを受けたアンジェラの、碧の瞳が揺れて居た。
王女の瞳の中に在る、俺もゆらゆら揺れて居る。


「・・・俺達は『赤の他人』で在るべきだ」


暖かく身体を寄せ合って居るハズなのに、心は遠く離れてゆく。
それなのにアンジェラは、まだ服の端を握ってる。
学生用のジャケットに、顔を埋めたままで居て、布越しのくぐもった声で囁いてる。
暖かい息が素肌に届いてしまうから。
___決意が溶けて消えそうだ。


「それでもアンタは家族だもの。
もうどうしようもないじゃない・・・?」


そして、そのまま、スうっと・・・。
赤子が眠りに落ちるみたいにして、まどろみの奥深くへ、14歳の少女は落ちてゆく。
そして小さなカマクラには、風の音しか無くなった。
こんな事が起きたのに、まだ安心しきった王女が居る。
持て余して動けなくなる俺が在る。

俺は彼女の存在を、生まれて初めてこんなに近くで見つめる事が出来て居る。
長い睫毛も、白い肌も、遠い過去から知って居た。
なのに『初めて見た』と想うほど、其の存在が傍に在る。
近過ぎるアンジェラが、深い眠りに落ちたから、初めて言葉に出来る心が在る___。


(俺は、お前が、好きなんだ)


魔法が使えない者同士、こうして肩を寄せあえる、唯一人の存在だ。
そしてもしも魔法が使えて居たのなら、妻になって居たのだろう。
俺の<最も大切な者>。

けれども俺達を育てたアルテナは、二人が幸せになる事は許さない。
捻じれて歪んだ魔法文化が確実に、二人を追い詰めてゆくのだろう。
俺は、魔法が、ヒトより勝る此の国から。

このままお前を奪ってしまいたい。
お前を魔法の国から救い出せるのなら。
神に逆らう事さえ厭わない。
<女神の力>に抗っても、王女としての運命から、解き放ちたいと希(こいねが)う。

俺に付いて来てくれないか?
俺ならお前を自由にする。
『魔法が使えない者』も、幸せになれる場所へと共にゆこう___。





明朝
エルランド『旅立ちの波戸場』


「王女は毛皮のコートにリボンのブーツを履いて居る!
連れているのは金髪の少年だ!
見つかり次第、報告せよ!」

「最初に見つけた者には理の女王陛下より、10万ルクが賜られる!
王女の方は捕獲をし、すぐに城へと連れ帰れ!
少年はジャド行きの船に詰めるのだ。
予定通りの追放処分とされて居る!」


物陰に隠れた二人のすぐ傍を、アルテナ兵と魔兵器達が駆け抜けた。
積み上げられたタルの隙間から兵の影が遠ざかる。
俺は、王女へ『タルに隠れるように』と言い渡し、陰から周囲を見守った。
・・・よし。
今なら誰も居ない。


「渡るぞ、アンジェラ!」


無人を確認してから腕を引いて路を渡る。
細い路地を選んで駆け抜けた。
何としても、俺達は、マイア行きの船まで辿り着く。


「チイッ、やはり夜も歩くべきだった。
アイツら、もう此処まで・・・」

「ねえ、ブライアン、『予定通りの追放』って何のコト?」

「其れは後で話す!
今は船まで走れ!」


裏路地の、雪かきもされて無い道を、息を切らせて二人で走る。
やがて壁と壁の合間には、流氷では無い青い海が横たわる。
路地の出口は見えて居た。
けれども出口を魔兵器達が駆け抜ける。
俺は、とっさに身を屈めた。
此処で見つかる訳にはいかないのだ。
それなのに、アンジェラは、まだ俺の腕を掴んでる。
首をふるふる左右に振りながら、俺の事を諫めて来る。


「もう、止めましょう、ブライアン。
何があったかは知らないケド、今ならまだ大丈夫。
私と一緒にもう出よう?
皆に一緒に謝ろう!」

「・・・まだ、お前は、そんな事を!」

「だってこんなの良くないわよ。
このまま逃げられたとしても、アンタがアルテナに帰れなくなってしまう。
そうしたら、お父様やお母様にも一生逢えないよ。
アンタはそれでもいいっての?!」


アンジェラは、グッと俺のと腕を掴み、路地裏に俺を留まらせようとする。
だが俺も負けはせん。
アンジェラの力に逆らい腕を振り回す。
互いの力が拮抗し、俺もアンジェラも顔が真っ赤になり、ゼエッと息を吐いて居た。
それでも王女は引かずに居る。


「ブライアン、アンタはもう二度と、家族と逢えなくなってもいいっての!?
ネ、私と一緒に帰ろうよ。
今なら許して貰えるから!」


何も知らない分際で、そんな事を言われると・・・。
俺もいよいよ形振りを構え無い。
俺も構わず叫んでた。
俺の事が『許される』?
そんな事はあり得ない。


「ハッ。
何も知らないお姫様。
そろそろお前も気が付けよ。
お前だって、俺と同じで、とっくの昔に見捨てられて居るという事を!!」

「・・・!!」


刹那、彼女の瞳から、涙が零れ落ちてゆく。
だが俺は容赦をしなかった。
ここまで来たらのなら本当の事に直面しなければ、もう先なんて在り得ない。
真実をごまかしても___。
誰独り、救われない。


「此の国で魔法が使えななかった子供の末路くらい、お前も知って居るハズだ。
王女だから例外だと思うのか?
むしろそれこそ在り得ない、王女だからこそ許されない。
『魔法が使えない』為に、親に殺されてもおかしくはないくらい、この国は狂ってる。
今逃げなくていつ逃げる?
お前は、俺と来るべきだ。
身を護る為には逃げる事も必要だ!」

「逃げるなんて、出来ないわ!
『魔法が使えない』からこそ、お母様はホセをつけてくれたのよ。
いつか立派な魔法使いになれるよう、祈ってくれて居るからよ。
私はお母様を支えられるようになりたいの!
これから先も修行をしなくちゃならないの!
離してよ!」

「その考え方で上手く行ったのか?
何もいっちゃいないだろう!
だからお前は城の片隅に、いつまでも閉じ込められたままなんだ。
実の親には見放され、幽閉も同然で、縊り殺されるその時まで、地獄を生きるしかなくなるぞッ」

「もうやめてッ!
此れ以上、アルテナ国とお母様を悪く言わないでッ!!」


其の時、アンジェラが、渾身の力を振るってゆく。
其の勢いで俺は路地から叩き出されて行ってしまう。
海沿いの街道に突き出された瞬間に、眩しい日の光と潮の香りが広がった。
アンジェラは、屋根から落ちて来る、雪の向こうに立って居る。
涙を流したままで俺の事を睨みつけて居る。
そして、周囲などはお構いなしの大声で、俺を詰る。


「アンタなんか、大っ嫌い!
お母様は其処まで酷い人じゃない・・・。
厳しいのは、皆の事を考えて居るからよ。
冷たいのは、女王の勤めが在るからだよ。
私達はアルテナ国を背負って居るのに逃げるなんて出来ないよ!」

「・・・居たぞーッ!
王女の声だッ・・・」

「!!」


其の時、アンジェラの声で、俺に気付いたアルテナ兵達が、一斉に周囲を取り囲んだ。
大の男三人に腕を掴まれて、頭を押し付けられてゆく。
無様に取り押さえられ、視界の総てが、雪の白に染まってゆく。
白銀の大地に汗が落ちて蒼の染みが楕円になる___。


「王女の方も捕らえました!」

「よし、手荒に扱うなよ、アンジェラ様の手足を縛れ」

「・・・い、いやっ!」


離れた場所で、アンジェラと、アルテナ兵が押し合う気配がした。
俺は身体ごと雪に埋もれて居て、肩と腕を抑えられて居る為に、彼女の姿はもう見れない。
ウルフの嘶きとソリが滑る音がして、視界に足が四本映る。


「縛らなくても帰るわよっ、ブライアンも、一緒によっ!
お願い、彼に、これ以上は乱暴を働かないで・・・。
ブライアンは何も悪いコトをして無いよ、唯私と遊びたかっただけなのよ」

「王女様、大変申し訳ございません。
命令ですので実行させて頂きます。
またブライアン様の処遇ですが、今後は最短で3年間、アルテナ国への帰国は許されておりません。
こちらは陛下が下された決定です。
いくら王女様のいいつけでも、従う訳には参りません」

「そ、そんな・・・。
一体どうしてなの?」


地べたに王女の靴が見える。
無理やりソリへと乗せられそうになる、それに必死になって踏ん張って、抵抗を示して居た。
俺自身も、同じように抵抗して、精一杯、身体を動かそうとモガいて居た。
けれども俺を押さえつけるアルテナ兵達には、行動の総てが封じられて行ってしまう。
今、雑兵が、耳元で、囁いた。


「ハハハ、弱い奴・・・『魔法が使えない』ゴミめ。
お前のような存在は死んでしまえばいい、この、役立たずが!!」


パアン___ッ。
飼われたウルフへ鞭を落とす音が蒼い空へと木霊した。
アンジェラの靴が、俺の視界からは消えてしまう。
ソリが転回して雪を蹴る。
すると、冷たく肌を刺すような、硝子のような鋭利な雪が、頬をなぶって裂くようだ。
王女を乗せたソリの気配が遠ざかる、歩兵の蹴りが腹に来る。


「グ、アッ・・・!!」

「あはは、見ろよコイツ、ホントにゴミみたいだぜえ!
ズタズタで身動きが取れない出来損ない・・・!」

「うっわ、かわいそー。
14にもなってさあ、下位魔法の一つ出来ないって噂だゼえ。
なのに名家のお坊ちゃん?
生きてる価値が無い奴だな」

「コイツ、誘拐犯の分際で、ウェンデルに留学をするらしい。
お坊ちゃんはお咎め無しだとさ。
生きてる価値も無い癖に、カネとコネが在る奴は、将来が在るんだよ。
俺達なんかと違ってなあ・・・。
クソッ、クソッ、お前なんか、死んじまえ!
無価値な奴は消えちまえ!!」


腹に、足に、腕に、固い兵隊の靴底が、強くキツく食い込んだ。
乾いた悪意の笑いが潮騒みたいに広がってる。
ザンッ!と波止場に波が打ち付ける度に、ヒャッハ!と狂った声が弾けてゆく。
口内に、血の味が、滲んで行って、止まらない。
そうして俺はいつまで暴行を受け続けて居たのだろう。
最後には、プッと唾液をかけられ、道端転がされ、ブツリと意識を失った______。



だから、俺は、いとも簡単に答えを出して居た。
『そうか、俺は、死ねばいいんだな』



俺は『魔法が使え無い出来損ない』。
だから、父には見放され、アンジェラには否定される。
俺の事をよく知りもしない、唯、悪意に任せただけの者。
奴らにさえ無様に敗けたのだ。
そんな男が此れ以上、此の世界で生き延びて、一体何になると言うのだろう?
ファ・ディールは、自ら死を選ぶに値するほど醜い世界、そう想った。
<マナの女神>は誰一人救わない神なのだ。
だから、俺の足は船ではなく、凍り付いた海原へと向かって居た。
やがて竜の巣へと辿り着く其の時まで。


『イト小サキ者、人間ヨ。
我ト命ノ取引ヲ。
我ハ汝ヲ<人を超エル存在>ニ導コウ。
汝ニ<闇ノ力>ヲ授ケヨウ。
<最モ大事な者>ヲ我ヘノ贄トセヨ。
サスレバ汝ノ<闇>ハ完成セン。
ソシテ、我ト<神ヲ超エル>世界ヲ創ルノダ』


(俺は、此の地で、死んだ黄金の騎士と竜帝の死体を見つけたのだ。
やがて竜帝様より<闇の力>を授かって<禁断の古代呪法>を使えるまでに至ったのだ。
俺は生き延びただけでは無い。
<闇の力>を手にした<ヒトを超える存在>だ。
アンジェラ、『お前を贄にする事』で、俺はファ・ディール最強の魔術師となれるだろう。
竜帝の庇護の元<闇の力>で魔法帝国を築く男になれるのだ。
___其の時には)


俺は、お前を、肉の檻から解き放つ。
<闇に染まった世界>へと共に旅立ってゆく為に、<禁断の古代呪法>を使うのだ。
愚かで弱い<人間界>はもう要らない。
俺は竜の世界でヒトを統べる王になり、お前は俺の妃になる。
アンジェラには、人間よりも美しい身体を用意しよう。
否、<マナの女神>よりも美しい、魂の器を創るのだ。

其の時、聖獣フラミーの嘶きが木霊した。
硝子が降り注ぐ夜の空、幾星霜の時を超え、伝説の白竜が鳴いて居る___。


「・・・フン、デュランか。
俺に殺される為に戻ったか!」


深紅のカーテンをそっと開け、オペラグラスを窓に向ける。
双眼鏡の向こうには、かつての乱暴者の姿が在る。
フォルセナ一の剣の使い手にして、黄金の騎士の息子であり、やがては白銀騎士団を担う者。
今の奴は、俺とは<真逆の力>を纏って居た。
___<光の力>、女神の加護で溢れて居る。


「不思議な縁(えにし)だな・・・。
お前など、一捻りだと思って居た。
此処まで来るとは見上げたモノだと褒めておこう」


初めて瞳を見た時から。
『まっすぐな少年だ』と感じて居た。
手に負えないほど乱暴で、危険人物で在りながら、光を放つ者だった。
そして今は成長した男となり、俺の闇に挑む為、飛び立つ力を得た者だ。


「だが、俺も負けはせん。
お前が<光の力>を手に入れても、竜と闇が在る限り、俺が世界の王者になる。
貴様は此処で朽ち果てろ。
<聖剣>は、俺が得る」