もう、此の国では生きて行けない。


そう判断したのはいつだっただろう。
確かな日付などは忘却の彼方だ。
だがそう決めた時も、丁度こんな風に、降り積もる雪の中だった事は覚えて居る。
頬をなぶる雪の嵐と、氷点下の風が赤切れた肌を裂いて居た。
自嘲の笑みはブリザードが掻き消して、あの時は、いとも簡単に答えを出して居た。

『そうか。
俺は、死ねばいいんだな』

生き永らえて居る事が居たたまれずに逃げるように旅立った。
対岸に見える王国『魔法王国アルテナ』から此の島へ。
今も降りしきるブリザードは、魔法王国の影を消して居る。
竜の住む此の島からは、王国の脆さと危うさがよく見える。
最北端の王国は、今も変わらず雪と氷に埋もれて居て、魔力の有無が総てを決めて居た。
此の龍の巣も、雪で覆われて居るには違いない。
けれども島では、雪の代わりに、透明な欠片が降り積もる。
硝子が降りし切る最北端の砂漠の事を、ヒトは『ドラゴンズホール』と呼んだ。
本当の雪のように、輝きながら肌を切り裂く、硝子の雪が降り積もる島。
オーロラの光に包まれた雪原を、生まれて初めて見た時に、此の場所は___『俺の死に場所に相応しい』。
訳も無くそう感じた。


「・・・紅蓮。
高台からは何が見えるの?」


俺が息の根を止めるはずだった島の高台。
断崖の窓から目を細めて、降りしきる硝子を睨むばかりの自分。
隣にはアンジェラが立って居る。
其れは、不思議な光景だ。
<マナストーン>の生贄になるハズだった王女が、隣で静かに佇む景色が在る。


「何故逃げようとしない?
アンジェラ。
・・・お前らしくもない」


<空中要塞ギガンテス>で<マナの聖域>から龍の巣まで連れ去った、勇者アンジェラ。
聖剣を抜いた王女自体には、もはや竜軍としての利用価値は全く無い。
復活した神獣達は、総て<マナの剣>に吸収するべく、竜を使って討伐したからだ。
勇者の役目はとうの昔に終わって居た。
___唯一、俺が必要として居るだけだ。

何故かアンジェラは逃げも抵抗もしない。
いつ殺されてもおかしく無いのに隣で佇んで居る。
俺は、彼女の質問には答えずに、窓辺から向き直った。
硝子の雪が吹き荒れて、ビッと王女の頬を裂いてゆく。
紅い血が頬をツウと流れてゆく。
アンジェラは朱に染まった頬を腕で拭い、強気な笑みを浮かべて見せた。


「逃げられるなら、とっくの昔にカナ?
残念ながら、竜軍相手に一人で逃げちゃえるホド、強くも無いのよネ、私。
それに、私はずっと、アンタともう一度お話がしたいと思ってた・・・。
いけない?」


アンジェラは、花のように笑う。
にも関わらず震えた指先で、怯えて居るのも一目で判る。
それなのに、強気な態度を変えない所は、変わらずだ。
俺の事が怖い癖に。


「隣に座るわね!」


怯えたままの微笑を浮かべ、それでもトン!と軽やかに、すぐ傍らへと舞い降りる。
『あー、痛いじゃない、開けっ放しにしてちゃ』などと言いながら、高台の窓を閉じてゆく。
硝子の雪は閉じられた窓に阻まれて、もう中へは入らない。
窓越しに見える海原を、二人だけで眺めて居ると、沈黙の時間が流れて行った。
やがて、意を決したアンジェラが俺を見る。
其の目は無理と解っては居ても、言わずには居られない眼差しだ。


「ねえ、ブライアン!
竜に仕えてアルテナを乗っ取るのはもう止めよう。
私には、まだアンタの考え方が解らない。
ダケド私は子供の頃からアンタを知ってるもの。
だから、アンタがどんな人間か、少しは解って居るつもり。
ホントは気づいてるんじゃない?
戦いは、唯苦しいだけだって・・・」


アンジェラは目を細め、海原の向こう岸を見た。
其処には幼い日を過ごした王国の影が、水平線に横たわる。
瞳を閉じ、記憶に触れれば、常春の花咲く庭も、魔法を学んだ教室も、まだ其処には在る。
少年少女達が集められ、魔法の授業を受けた日々が流れて居る。
実技演習が行われた日の丘も、決められた雨の日の図書館も、同じ姿のままだった。
俺と同じく瞳を閉じ、昔の時間を思い出して、彼女は語る。


「ほーんとね。
出来もしないクセに、よくやったよね、私達!」

「・・・。
そうだったな」

「私はね、魔法が使えないのがトコトン辛かった。
ダケド、凄く楽しかった。
ホセに怒られるのも、ヴィクターに追い回されるのも、今にして思えば平和で満ち足りた時間だった。
私はあの頃のアルテナが大好きよ。
ブライアンは?」

「アンジェラ。
俺は・・・」


もうこの国では生きて行けないと___。
追いつめられてゆくほどに___。
『居たたまれなかった』


語られない俺の言葉、それを彼女は待って居る。
怯えはもうすっかり消えて居て、隣に居るのはあの頃の少女のままだった。
悪戯はする、授業は抜け出す、ホセには怒られるが明るいままの、笑顔のアンジェラ王女様。
淡い紫の髪が揺れる度に、煌めきを帯びて光るアンジェラは、何処か人間めいて居ない。
___『天使みたいな少女だな』ボンヤリとそう想う。

窓の向こうには届かなかった過去が在り、傷痕が渦を巻く。
もしもアンジェラが天使なら、此の苦しみを吐き出しても叶わない?
尋ねるように見上げると、無垢な瞳に俺が映る。

今、高台の炎がユラリと揺れる。
言葉が途切れて嵐が唸る。
彼女はまだ楽し気で、頷く姿は柔らかく、ぬくもりに満ちて居た。
こんな風に、互いの空気が溶けあうから___。
俺は、こんなにも、苦しくなる。

わざと手を伸ばして指先を掴むと初めて彼女が強張った。
震える肩、滲む汗、互いの上がる温度が在る。
俺はまた『解って居ないフリを続けたお前が悪い』と言葉にならない想いを呑み込んだ。

彼女は上目遣いで俺を睨みつけて居る。
だが振り切ろうとする細い手を、今夜こそは逃がさない。
後ずさりは許さない、子供のフリはもうさせない。
強く腰を引き寄せると強張る身体がより硬まる。
それでも天使は柔らかい。
『俺達は大人になった』と諭して抱きたくなるほどに。

そして、昔のようにもう一度。
俺は、夢が観たかった。
大人に相応しい大きさで、未来へ羽ばたく夢が観たい___。







12年前 首都アルテナ 王城内
王立魔導師養成機関 学長室『雪の間』


「まあ、この子が<例の候補>?」

「はい、御屋形様の直系ですから、素養も十分かと存じます」

「魔法の習得はもう?」

「いえ、習わし通り7歳からとのご命令です。
来年からはこちらに伺う手筈にしております」

「そう、是非そうなさって下さいね。
陛下は今からとても期待なさって居ますから・・・。
ああっ、姫様!」


あの時。
唯黙って突っ立て居た俺の前を、幼い彼女が駆けて行った。
大きくてクリクリよく回る、透明な碧の瞳の持ち主で、俺と同じ緋色のドレスを着た少女。
いかにもジャジャ馬の姫君が、すぐ鼻先でダッシュを決めた。


「こらっ、アンジェラ様っ!
何てお行儀の悪いこと!
初めての顔合わせなのに、失礼な・・・」

「いえ、大変お元気な王女様で、また流石に陛下のご血筋、お美しい限りです。
お話が上手くまとまれば、ブライアン様は果報者です。
さ、ブライアン様、アンジェラ様にご挨拶を・・・」


俺は『アンジェラ王女様』とやらに向かい、背中を押し出される始末だった。
そして、あんなに息が詰まりそうな、小さな部屋が嫌いだった。
出かけ際に無理やり着せられた正装にも、心底辟易して居たのだ。
窮屈で、イライラした。
しかも、心へのダメージが、見事なクリティカルヒットをかました事に。


「ふーん、あなたが<みらいのおむこさま>?」

「・・・!!」


イキナリ未来の嫁が居た訳だ。
かつお気楽そうな笑顔はだ。
婿の意味を知らんから、出来て居たに違い無い。


「チイッ!
お前はちゃんと意味を解ってから、人の事を『婿』って言えッ。
俺が取って喰ってもいいんだなッ!?」


そして舌打ちと本音を吐いたが為にもれなく俺は。


「ああっ、ブライアン様、またですか!?
悪態が下品で鋭い目付きが痛々しい!
貴方は貴公子、今だけ王子ー!」


精神的な羽交い締めを受け、心の戦闘不能を味わった。
見ると、汗もしとどに眺めながら、アンジェラ付きもジャジャ馬姫を窘める。
やれ『貴女はもうすぐ7歳におなりです』だの『もうすぐ集団生活です』だの。
ギャンギャン説教を垂れて居る。
だが肝心のお姫様は『ふうん?』と何処吹く風だった。
従者のリボンに目を止めて、空気も読まず『コレ可愛いね!』とか抜かして居た。


「ふう。
しかし、当人達が幼い内から、もう話を進められるとは。
陛下は何を急いておられるのか」


そして、チラリと盗み見るように、俺の教育係が眺めたのは、応接室の隣に続く扉だ。
固く閉じた扉の向こうには、より広くて洗練された冷たい部屋が在る。
魔術師養成機関の学長室だ。
学長室にはアンジェラの母『理の女王』と父が居た。
父は、代々女王の夫を輩出する大貴族だ。
故に、息子である俺も、そう在る事を強いられて、あの日はあの場に居ただけだ。
彼女も同じ立場で其処に居た。


「魔法には才能が必要です。
しかし、血に依る所もまた大きい。
特にブライアン様の血筋は古くて力が在りますし、次の世代に優秀な魔術師を生み出す事が出来るのです。
陛下が期待をなさるのは当然です。
増して、今の時代はマナの変動が激しい。
・・・必要な事ですわ」

「もちろん我が国には必要な仕組みです。
唯、当人達が婚約など、意味も解らない内からとは」

「其れはいずれ解ればいいのです。
今の此の子達に最も必要なもの、それは、王家の子女に相応しい、高い教育なのですから!」


ビッ!!
其の時、アンジェラ付きの従者から、子供を躾けるムチがしなる。
其れは子供が失態をした時に諫める為のムチなのだ。
鞭は、苦しむ蛇のように、激しく床をのたうち回る。
魔法以外の授業である、文字の読み書き、食事のルール、体育数学。
そんな個人教授の数々が、俺にも王女にも、既に始まって居た頃だった。

俺も上手く覚えられずに、失敗を重ねた時、教官に手を差し出すのが常だった。
アルテナの王族や貴族の子は、厳しい教育過程と著しい成長を強いられる。
いつか『大人』になった時、王国を引き継ぐ為に。
やがて、魔力の高い者同士が婚姻を結び、より強い魔術師を生み出す事。
其れが、世界的にも高い魔法技術を誇る<魔法王国アルテナのシステム>だ。

その<種族保存の仕組み>により、晴れて家族となる事を、義務付けられたアンジェラは。
遂に堪忍袋の緒をブッタ切る。
そして、決まりに従い鞭に向かい、其の手の平を差し出した。
子供の柔らかな手の平に、激しく鞭が振り下ろされるのを、俺は静かに見届けて居た。







「お前はアホなのか?」


やがて、父親と女王の密談も終わり、歓談も兼ね、親戚一同と女王の立食会が始まった。
当然だが、俺達子供に出る幕なんて、何処にも無い。
渡された皿を持ち、ヤケにに豪奢な会場の片隅で、冷めた肉をツツくばかりの存在だ。
隣では、アンジェラ王女も同じように、盛り付けばりが綺麗な肉をツツいてた。

だがアンジェラ王女様は、ふて腐れた俺とは真逆の様子だ。
終始楽し気にフォークをぷすぷす刺して居る。
かと思えばいきなりプリンから食べて居る。
楽しそうに過ごして居る。
俺は彼女が気に入らず、よりイライラを募らせた。


「教育係には大人しく従って置けよ。
・・・痛いだけだ」


だが、感情を抑え、諭す俺にも構わない。
今度の王女はコップにジュースとお茶を混ぜ、スプーンでぐりぐり掻き回す。
恐ろしい事に、綺麗な色に仕上がった液体が、実に旨そうな実力ぶり。
得体の知れない汁を一口飲んだアンジェラは『ウッ』と青くなりつつも、親指を立てて居た。
それは『予想通りネ!』みたいな感じだ。
しかも目を光らせて『最初のターゲットはヴィクターにしようカナ?』とかホザいてた。


「・・・やはりお前はアホなのだな」


そんな楽し気アンジェラの、手の平が腫れて居るのを垣間見て、俺は溜息を咬み殺す。
なんでコイツはあれだけ痛い思いをした癖に、まだ下らない悪戯なんかに興じてる?
だがジト目で睨む俺にアンジェラは、ニッと笑顔を見せて居た。
袖も無いのに腕まくりのポーズも決めて居る。
そして、謎の汁『元・果汁』を元気一杯突き出した。


「そう言うアンタはトコトン失礼な奴ね!
私は唯のアホじゃない、何があっても楽しむのが信条の、ある意味賢い王女なの。
何ならアンタも飲んでみる?
マジカルプリンセス特製『絶命に至る汁』!」

「・・・!
やはりお前は救い難い無いアホだッ!!」


俺は、流石に『コイツの相手はしてられん』と感じ、重い腰を上げて居た。
他に行きたい場所は無い。
だが謎めいた汁を得意げに作る女には、心底ゲッソリ来てしまう。
コレが未来の嫁なのか。
親が勝手に決めたと言うだけで、望みもしない相手と、一生を過ごさねばならないのか。


「ちょっ、チョット待ちなさいよ。
何処行くの?
ブライアン!」

「・・・別に?
付いて来るなよ、マジカルド!!アホプリンセス」


俺は、懐から『はじめての魔法』と書かれた本を取り出した。
そして冊子で顔を覆い、彼女の視線を遮って、宴会場を去ろうとした。
冊子は春から使う教材だ。
俺達は、魔導師養成機関の初等部に入学する事が、すで決まって居て久しい。
ならば、今から予習の一つでもして置けば、痛い思いはそれだけ減る。
だから自分から鞭を食らうようなマネをする、こんなアホはもう捨て置く。
俺は我が身の保身を図るのみ。
子供はいつか大人になる、悪戯心は邪魔なだけ。
しかし俺のけん制を、歯牙にも掛けないアホ姫は、背後をチョロチョロ纏わりつき、魔法の冊子を覗き込む。


「ふーん、ふーん、ふうう~ん?
へええ『自然界には<8つの精霊>が居ます』か。
光の精霊ウィル・オ・ウィスプに、闇の精霊シェイドさん。
ワ、ウンディーネちゃんって超可愛い!
ブライアンっ、私、精霊さんをお部屋で飼いたいなあ~!
精霊さんって捕れるカナ?」

「はあ?
捕る?!
獲物か何かか精霊は」

「ルナちゃんも可愛いナ。
素敵よね、自然界の精霊さん。
アンタはどの子がお気に入り?
やっぱり男子はサラマンダー?」

「俺は、断然、シェイド派だ。
って何言わせる」


其の時、俺は『アンジェラはドアホの頂点に立つ女』と直観した。
それなのに、俺がアホの女王に乗せられた。
俺はピタッと歩みを止め、それからグリン!と振り向いて、『此処はハッキリするべきだ』と眼で制した。
アホ姫は、状況を楽しんで居るらしい。
だが俺には激しく癪に障る。


「アンジェラ王女様。
此の際、言わせて貰いましょう。
俺は、貴女が、嫌いです。
だって貴女は解って無い。
俺達は、唯『魔法の為に家族になれ』と強制された間柄。
国が存続する為には、必要な制度です。
だから私は逆らわない。
それでも貴方を好きか嫌いかは、私の自由のハズですね」

「!
ブライアン・・・」

「じゃあ、今夜は此処までで。
お休みなさい、現実を知らないお姫様」


俺はもう、宛てがわれた客間に、徹底的に引き籠ると決めて居た。
宴会場に居る大人となど、喋る事は何も無い。
子供同士だった王女とも、全くソリが合わ無ないのだ。
ならば自分がサッサと消えれば其れでいい。

そして就寝まではいつもと同じ事をする。
同じ一日が過ぎてゆき、明日屋敷に帰っても、同じ一日が終わってゆく。
変わらぬ日常に戻ればいい。
春からは新しく『魔法』が加わるだけの事なのだ。
魔法も他の科目と同じように、ひたすらこなして行けばいい。
そして、いつか、俺達は『立派な魔法王国の道具』になれるだろう。


「待って、ブライアンッ!」


しかしあそこまで辛辣に振り切ったハズなのに、王女はまだやって来る。
超笑顔で迫り来る。


「私を独りにしないでよ!」

「独りで居ろよ、俺は帰る!」

「アンタはそれでも王子なの!?」

「王子になった覚えは無い!!」


意外にも彼女の足は早く、俺から20メートルも離れてない。
この俺が、アホ姫に、もう追いつかれて居る事態だった。
俺は魔法の本を放り出し、アルテナ城を駆け抜ける。
今夜初めて来た場所で、道が全く判らない、巨大な建造物の中を。
背後から、得体の知れない王女に追われ、逃げまくる羽目になる。
やがて上がる息を堪え、根を上げるしかなくなった時だった。
俺には現在位置さえ判らなくなって居た。


「一体此処は何処なんだ。
庭なのか・・・?」


俺が辿り着いたのは、人気の無い、荒れ果てた庭だった。
城の住人にも忘れ去られていて久しい、秘密の花園みたいな場所だった。
伸びるに任せた野草に、白い花が夜露を浴び、今を盛りと咲いて居る。
手入れを忘れられた池には、夥しいほど蓮が在る。
其れは『紅い蓮の群れ』。
黄金色に暮れる空のもと、荒れた秘密の花園を、一番星が照らし出す。


「紅蓮・・・ッ!」


其の時、紅い蓮の群れに向かい、背後から王女の声がした。
彼女も俺と同じく息も絶え絶えになりながら、池に向かって歓声を上げて居た。
座り込んだ俺を追い越して、池のほとりまでやって来る。
そして、蓮の群れを指差して、未だニコニコ笑ってた。
まるで、見捨てられた花園が、自分の物で在るように。


「ああ、此の子達、無事に咲くコトが出来たのね!
良かった・・・。
最近チットも世話をされてないから、とても心配をして居たの。
此の花は『紅蓮』って言うお花なの。
珍しい蓮なのよ、花びらが真っ赤でネ。
きっと、池の泥がとてもイイのね、栄養がたっぷりで。
『親はなくても子は育つ』と言うけれど、花も同じなのかしら。
見捨てられても咲く時は、とても綺麗に咲くんだわ」

「・・・蓮。
紅蓮」


そんな花も在るのだと、其の時初めて知って居た。
俺は屋敷の庭を思い出す。
屋敷に咲いてる花は、薔薇や、百合や、派手な花ばかりが咲いて居て、地味な蓮は生えてない。
だから生まれて初めて見る、泥の中で咲いて居る、もの凄く地味な花。
にも関わらずとても目を引く此の花が、俺には珍しくてならなかった。
そして、心の奥底で、深い親密感を覚えるほど、自分自身には馴染んでた。


「いつか、私も、紅蓮のように・・・。
誰にも顧みられなくても咲きたいナ。
ブライアン、私はね、いつも独りぼっちなの。
お母様は忙し過ぎて、一緒に過ごす事が出来ないの。
お城に子供は居るけれど、私が王女様でしょう。
礼儀正しくされてしまって遊べない。
だから、私、チャンと悪態をついてくれる、アナタと出逢えて嬉しかった」


彼女は悪戯めいた眼差しで、短い髪を流してる。
投げキスなぞもかましてる。
とにかく俺はドン引きで、けれども其れさえ可笑しいほど、彼女にとっては楽しい出来事だったのだ。
嬉しそうに微笑んで、其の眼を細めたままで居て、夢見る口調で未来を語る、魔法の国のお姫様。


「ねえ、私達、春から魔法を覚えてさ、いつかは皆がびっくりするような、大魔法使いになりましょう!
大魔法使いだから、モチロン称号付きなのよ。
私はお母様の片腕の『マジカルプリンセス★アンジェラ』にしようカナ!」

「・・・其の称号が正気の沙汰とは思えない」

「ダメかしら?
夢一杯で素敵じゃない。
じゃあ、アンタは将来大魔法使いになれたらネ、何て名乗るつもりなの?
未来のお婿様なのだから、素敵な名前を付けてよね!」


アンジェラは、再び嬉しそうに、髪を耳に掛けつつニッコリ笑う。
そしてもう片方の手は、紅蓮の花を愛し気に、ヨシヨシ優しく撫でて居た。
俺はぼんやり彼女を見つめ続けて居る。
相変わらずのアホそうな、お気楽トンボな王女様。
けれどもアホな奴じゃない。

その横顔を眺めると、何だが想像してしまう。
成長を遂げたなら、どんな女になるのかと。
大人になったアンジェラは、理の女王と同じ姿をして居るのか。
長く伸ばした髪と白いのドレスを着こなして、<マナの女神>の<黄金の杖>にも似たロッドを掲げていて。
巨大な魔力を操る女王になる時が、いつの日にかやって来る。
俺は彼女の隣に立って居て『理の女王の夫』に相応しい、輝く称号を掲げて生きて居る。
それは、遠くない未来、彼女と魔法帝国を創る男の名___。


「ねえねえ、思いついた?
大魔法使いの称号!
ホラ、教えなさいっ」


彼女の背中で一番星に照らされた『紅蓮の花』が輝いた。
其の時名が決まったのを、アンジェラはまだ知らない。
例え無残に捨てられても、必ず咲く花で在ろう。
___俺は『紅蓮』を名乗るだろう。