□Sacrifice
俺の手の中で、聖剣が光輝く。
剣の輝きと、反比例するように、シャルロットの顔が歪む。
大きな瞳には、まだ大粒の涙が溜まったままで、やがて、もっとそれが盛り上がる。
そんな俺とシャルを見下し、紅蓮の魔導師は、更に、歪んだ微笑を浮かべた。
「ほう、ヒースというのか。
・・・お前の師は」
一方で、魔導師の瞳の色は、徐々に赤へと変わりつつあった。
額に滲む汗も、増えていく。
苦悶で歪んだ眉、それは一層、寄せられていった。
それでも紅蓮の魔導師は、魔法の印を切る指を、止める事がない。
低い声のまま、シャルを詰る。
「随分、愚かな弟子を持ったものだな、その男も?
女神の真実に此処まで近づきながら・・・自らの、答も無い・・・」
「!
このまっか・・・。
・・・ヒースを、ばかにするなでちっ。
こ、この、ぶたのけつー!」
「アッハッハ!
聖都のガキめ。
せいぜいお前は、フォルセナの負け犬と、此処で仲良く死ねばいい・・・。
・・・さあ、アンジェラを渡せ!」
紅蓮のダークフォースが発動する。
暗闇の奥で光る刃が、一斉に俺達へと斬りかかる。
動揺したシャルロットには、呪文の唱和ができない。
その時、俺に加護を与えるウィスプが、<光の力>で刃を相殺した。
それでも、防ぎきれなかった刃が、今、シャルロットの腕に刺さった___。
「・・・きゃうっ」
「ああ、シャル!
ブライアン、アンタ、一体なんて事をッ!」
小さく柔らかな手から、鮮血が飛んだ瞬間に、アンジェラが舞った。
ホーリーボールの連打を叩きつけながら、杖も切る。
切先を紅蓮の魔導師に向け、突きを放った。
しかし、その瞬間を待っていたかのように、魔導師が柄を取る。
そのまま、再びアンジェラを、引き寄せてしまう。
瞳は、紅く、歪んだままで___。
なのに、声は、甘く諭すようだ___。
「・・・ここは戦場だぜ、アンジェラ。
女も子供も、武器を取るなら、殺される・・・」
「卑怯者・・・。
今のアンタなんか、私、大っ嫌い・・・。
・・・伝説も、古代も、私にはどうでもいい。
私は、もう誰も、傷つかないで欲しいだけ・・・。
その為に、聖剣が要るなら、それでいいわ。
アンタみたいなコトをするヤツが、この世界から居なくなるなら、それでいい・・・っ」
アンジェラは、紅蓮の魔導師腕から逃れるように、必死で足掻く。
だが、<闇の力>に捕らわれた、紅蓮の魔導師は強い。
左胸に収束していた、黒の波動が、利き手を包んでいる事が、アンジェラの動きを封じる。
俺は、痛みで気を失ったシャルロットを、足元に置いた。
そして、輝くばかりの聖剣を、魔導師に突きつける。
「やめろ、ブライアン!
これ以上、俺の仲間を傷つけるなら・・・」
「・・・フン、傷つけるなら?
・・・その剣で、俺を斬るとでも?
お前の親父と・・・同じように。
・・・聖剣伝説とは______酷な神話だ」
利き手に集まっていた黒の輝きが、紅蓮の魔導師の指先に集まる。
艶やかな指先が、再び、アンジェラの左胸に添えられる。
アンジェラの動きが止まった。
碧の瞳が、覚悟を決めるように、閉じられる。
紅蓮の魔導師は。
___まるで、悪魔のようだ。
なのに、纏う黒は美しい。
輝きに溢れて、とても、綺麗だった___。
「・・・。
デュラン」
紅い目が、俺の名を呼び、俺を見据える。
ブロンドの髪が、黒を纏いながら跳ねる。
___そして問うた。
「お前は、何故戦う?
今の俺は、俺自身と、アンジェラを救う為なら、何でも出来る・・・。
・・・世界さえ、敵に回してもいい」
「・・・!
・・・ブライアン」
だが、そう喝破する魔導師額から、いよいよ大粒の汗が流れた。
紅く染まった目には、涙さえ滲んでいる。
指先が、震えている。
なのに、掠れた声のまま、紅蓮の魔導師は、自らの行いを止めない。
「・・・この、<闇の力>があれば。
俺の願いは、叶うかもしれない・・・。
女神の聖剣に、支配されない世界へと、ファ・ディールが変わる事でな。
・・・なあ、デュラン。
もう、お前も解ったろう。
___もし、女神が完全なら。
___この世界は、争いを繰り返したり、しない」
「・・・!
・・・ブライアン・・・まだ、お前はそんな事を・・・」
「唯、俺は、聖剣伝説の是非を、お前に聞いてみたいだけだよ・・・デュラン。
竜と闇が悪だと、俺は決めつけたりしない。
その代わりに、試すのさ。
竜と、そして闇を。
千年の間、一度も闇が、女神に勝利をした事は無い。
にも関わらず、事実として、今の女神は、不完全と言える。
けれども、俺の中じゃあ、それはあくまで、まだ仮説なのさ」
やがて、指先と左胸だけに集まっていた黒の光が、再び、魔導師の身体全体を覆った。
揺らめく黒の闘気が、禍々しくなる。
より低くなった、魔導師の声は、俺に問い続けた。
「実際には、誰も・・・。
闇に染まった世界を知らない。
それでも、確実な事実が在るならば、俺は、何度でも問おう。
デュラン。
<光の力>と<女神>の存在だけで、争いは止まん。
だから、こんな世界の在り方を、俺は望まない。
俺は、事実を知りながら、アンジェラを勇者にはしないさ。
増して、いつか、魔法王国の女王になるなど___尚更だ。
・・・俺は。
アンジェラ自身が、大切だ。
ならば、こんな連鎖を止めてみせよう。
・・・デュラン。
・・・お前は・・・?」
「・・・!」
「同じ過ちを、繰り返す歴史と___。
大切な者の為に行う、仮説の検証___。
どちらが、より理性的で、人間らしいと思う?
悪魔は、一体、どちらだろう。
まだ、女神を妄信する勇者か。
此処で、闇を試す悪人か___。
なあ、デュラン。
いっそお前も、俺と共に、一度は世界を、竜と闇へと、託してみる気は無いか?
竜は、人間より<遥かに賢明な生き物>なんだそうだ。
お前も、俺と同じように___アンジェラが大切ならば」
今、紅蓮の魔導師が紡ぐ言葉の、一つ一つに淀みが無くて。
俺は、息を飲むしか出来なかった。
それは、あらゆる検証の上に、語られた仮説だ。
それでも、俺は___。
魔導師の纏う、深い闇___。
それを、どうしても、正しいとは思えない___。
紅蓮の魔導師の、言葉は正しい。
だけど、その行いは___きっと、間違っている。
俺は、光る聖剣を突き出した。
そして、輝く光を、紅蓮の魔導師に向かって、凪ぎながら呟く。
「・・・。
ブライアン。
だからといって、お前の独断で、アルテナとフォルセナを、戦争に導いていい理由にはならねえ・・・。
しかもお前は、さっきから、散々、アンジェラが大事だと言うが・・・。
実際のお前は、今、アンジェラに何をしている?
・・・闇の力の、生贄にしようとしてるんだぞ!
だから、目を覚ませ、ブライアン!
その力は、ろくなもんじゃないッ!!」
「______もう遅い」
その時、紅蓮の魔導師の、水晶のようだった、透明な眼の色が変わった。
さっきからずっと、朱に染まっては、透明に戻るを、繰り返していた瞳。
それが、完璧に、赤一色へ変わる。
禍々しい黒と、紅を帯びた闇の力が、魔導師の指に集まり、アンジェラの心臓へと伸びていく。
今、指先が、左胸に触れた。
「・・・!
駄目だッ・・・!!」
俺は、聖剣を払った。
女神の輝きは、虹色に光り輝きながら、闇の力を退ける。
轟音をあげて、今度こそ、憎き敵を消し炭にせんと、唸りをあげて迫る。
女神の力を、寸でで躱しながら、再びアンジェラの心臓を狙う、魔導師の指先。
俺は、もう一度、闇を払おうと、聖剣を掲げた。
・・・だが。
「・・・クッ!
なんて重い剣だ・・・!
クソ、腕が、動かんッ・・・!!」
「アッハッハ!!
・・・当然だ、デュラン。
聖剣は、黒曜の騎士でも、扱いきれはしなかった___神の剣!
触ったばかりのお前に、何ができるものか・・・。
増して貴様は、勇者では無い、唯の従卒・・・。
今、聖剣が心を赦すのは・・・アンジェラだけだよ」
「・・・親父に出来たなら。
・・・きっと、俺にも出来る!
ブライアン、てめえはアンジェラを離すんだ・・・。
アンジェラなら、聖剣で、世界を救う事ができる。
例え、長い歴史の中では、一時の事だとしても___」
「・・・ハ。
女神の盲者メ。
まだ解らんのか。
聖剣とは、意思の力だ。
そして、意思の力を、世界全体の為に振るうのが、聖剣の勇者なのだ。
けれども、その実態は、弱いヒトの意思が、死ぬまで我が身を犠牲にして、闇を抑え続けるだけの事さ。
そして、意思の封印も、不完全なのだ。
お前はアンジェラに、そんな負担を強いた上に、魔法王国を築けというのか。
・・・マダ、過ちト知って、繰リ返スノのか・・・」
______その瞬間から。
紅蓮の魔導師が、おかしくなっていく______。
額から流れる汗が、魔導師の肌を滑る。
滲むだけだった涙が、遂に頬を伝う。
揺れるブロンドが纏う、深い黒が、一際濃くなった。
制御を効かせてきたかのような、闇の力が・・・もう、コントロール不能のようだ。
___暴走を始める。
「グアアッ!」
「・・・ブライアン、ブライアン!?
・・・どうしたの?
あ・・・痛い、イヤッ、離して・・・ッ」
「___アンジェラ!」
闇の力が、魔導師の全身を纏った瞬間、ブライアンの手が、いよいよアンジェラに迫った。
もう、形振りを構わない。
闇の力は、ずっと、紅蓮の魔導師の体中を、這うようだったチカラだった。
其れが、紅蓮の魔導師の全てを、奪い取るかのように蠢いていく。
まるで、アンジェラさえも、奪い去ってしまうかのように。
俺が、<聖剣>と<光の力>で、紅蓮の魔導師を___否定してから。
闇は、より一層、濃さを深めた。
その禍々しい輝きの中で、紅蓮の魔導師は、鈍く、唸り続ける___。
『・・・オノレ、聖域ノ女神メ。
ユルサナイ、ユルサナイ・・・。
コノ私ヲ、地下深ク押シ込メ、ソレデ勝利ヲ、得タツモリカ・・・?
・・・許さん・・・。
アルテナの魔法文化も、それを築く女神も・・・。
ニクイ、ニクイ。
私ヲ認メヌ、聖域ノ、小娘ガニクイ・・・。
・・・何故、俺は、いつも認められない・・・。
俺は、こんなに、お前を想っているのに___。
アンジェラ______。
・・・グ・・・グ、グ。
ソウダ、ダカラ、アンジェラヲ、タオセ・・・。
セイケンノ、ユウシャヲ、コロセ。
___アノコムスメヲコロセ!』
「______ブライアンッ?!」
俺が、紅蓮の魔導師を否定をしたその時から、ブライアンとは明かに違う___。
___まるで、女のような。
声が、魔導師のソレに、混じっていく。
女の声は、歪みながら、遠まで響いていく。
深い鐘の音のように、紅蓮の魔導師の声へと同化しながら、円形ホール全体に木霊した。
その度に、ブライアンの顔が、余りの痛みで歪むようだ。
美しい顔が、苦しみで、醜く歪んでしまう___。
だが、次の瞬間、我に返ったブライアンは、瞳の色を水晶へと戻す。
そして、アンジェラに向かって、弱々しく囁いた。
まるで___最期のチカラを、振り絞る様に。
「・・・く、アンジェラ、早く、俺から、ニゲ・・・」
「・・・一体、どうしちゃったの、ブライアン・・・。
今、助けるから、しっかりして・・・」
「駄目だ、アンジェラ・・・。
お前は、今すぐ、俺から離れるんだ・・・。
・・・デュラン。
認めたくは無いが・・・。
どうやら、今の俺を止められるのは、お前だけのようだな・・・。
・・・。
聖剣で、俺を止めろ」
「・・・何を言うんだ、ブライアン!」
「___ハハ___」
そして、紅蓮の魔導師は、トン!と、アンジェラを、俺に向かって突き出した。
そのまま膝を突き、内側からせり上がる闇を、必死に押し留めている。
光る滴のような、汗と涙が、黒曜石の床に、滑り落ちていく。
紅蓮の魔導師の頭上で、星空が___宇宙が、回天していた。
ブライアンの奮闘にも関わらず、身の内に宿る黒炎は、闇を深めるばかりだ。
紅蓮の魔導師は、俺達から後退しながら、まるで、懇願をするように囁く。
「・・・デュラン。
確かに、俺は、失敗をしたのかもな・・・。
お前の言う通りさ。
今の俺では、アンジェラさえ、闇の力の犠牲にしそうだな・・・。
余りに全てが憎い・・・。
無事に、アンジェラの<魂を抜き出す事>は、できそうにない。
これでは、誤って・・・殺すだけだ。
<禁断の古代呪法>______其れに、失敗をして。
・・・もう、言葉も、俺には通じそうにないんだ・・・。
何もかもが、憎くて仕方ない・・・。
きっとこれが、俺の、最後の理性になるだろう。
聖剣で、俺を斬れ。
___デュラン」
「・・・そんな事、出来る訳が無いだろう、ブライアン・・・。
・・・まだ、お前は、正気じゃないか。
それに、お前は、アンジェラの・・・。
・・・。
・・・出来る訳が無い!」
「もう持たん。
闇の力が強大で、俺の心が、闇に囚われていくのが___自分でも解る。
このままでは、俺は必ず、アンジェラを殺すだろう。
その前に、潔く殺されてやるさ。
だから、デュラン。
早く俺を斬れ。
・・・。
もし、お前に出来ないと言うのなら・・・。
______俺自らが下すまでだ」
「!!」
そして、紅蓮の魔導師は、胸を開いた。
身体が震え、青ざめて、もう制御が不可能な事を___示すように。
言葉は、もう遺言みたいだ。
最期の願いを囁く、紅蓮の魔導師の瞳は、深い朱に染まり切る。
突き放されて、俺に身体を預けたアンジェラは、俺の胸を掴みながら、ブライアンを止める。
「・・・早まった事は、止めなさいよ!
生きていれば、闇の力から助かる方法も、必ずあるハズよ・・・!
だから、未来を信じなさい・・・。
・・・ブライアン!」
それでも、死を覚悟したブライアンは、アンジェラの言葉にも、静かな微笑を浮かべるだけだ。
その笑顔は、今までに見た、どんな笑顔とも違う。
心から満ち足りた___優しい微笑だった。
瞳の色は、血の色だ。
だけど、ほほ笑みは、水晶のように透明だった。
その手が、もう触れられない、愛しい者を撫でるように、そっと動いていく。
艶やかな唇が、ゆっくりと、動きだけで___今、別れを告げる。
「フッ・・・ありがとよ・・・アンジェラ・・・」
そして_______光。
次の瞬間、漆黒の円形ホールは、純白の光に包まれる。
音の無い、エネルギーの破裂が、空間を包み込む。
激しい風爆が、俺とアンジェラを、吹き飛ばしていく。
小さなシャルロットは、ホールの端まで転がった。
俺の聖剣と、精霊達が、アンジェラを守る為に、自滅の光を遮る。
けれども、女神の守りと遮りの下で、アンジェラ自身は___崩れた。
___心が、壊れる___。
「・・・あ。
アアアッ!!」
その時、アンジェラの悲鳴に、カランと乾いた音が混じった。
俺達の足元に、二つの腕輪が転がったからだ。
それは、紅蓮が腕にはめていた、黄金色の腕輪だ。
二つの腕輪が目に入った瞬間、俺と精霊から逃れるように、アンジェラはもがく。
そして、縋りつくように、腕輪を拾った。
ゴールドの縁に、アンジェラの涙が落ちる。
風爆の残響の中で、もう、何処にも居ない、紅蓮の魔導師を求めるように。
アンジェラは、もがく___。
「・・・バ・・・カ・・・・!」
(______何故だ、紅蓮の魔導師)
俺は、聖剣を、地に落とした。
なのに、落としたはずの聖剣。
それは、床に触れる直前に、フワリと浮いて、アンジェラの傍まで降りていく。
その後ろを、ウィスプ、ウンディーネ、ジン___7大精霊が追っていった。
そして、腕輪に泣いて縋るアンジェラを慰めるように、周囲を取り囲む。
その時、ウィスプが、まるで『お前も来い』と言うように、目配せをした。
けれども、俺は___動けない。
______ブライアン、お前は、生きるべきだった。
もう、景色の何処にも、その姿が無くても。
俺達は、叶わない願いを、祈ってしまう。
「・・・勝手に死ぬなんて、酷い!
酷過ぎるよ、ブライアン・・・。
私が、どれだけアンタを想ってたか、知ってるの・・・?
大嫌いでも・・・私には・・・家族だったのよ・・・!」
「・・・。
・・・アンジェラ・・・」
その時、目を覚ましていたシャルロットが、俺の傍らに立ち、ボロボロの姿のままで、俺の手を握った。
小さな柔らかな手からは、まだ血が流れたままだ・・・。
けれど、ヒールライトも、ティンクルレインも、意味が無い。
その事を、よく知っているような横顔だった。
___呪文の唱和は、しなかった。
「・・・切ないよ・・・。
闇の力が、彼を狂わせたのね・・・」
敵は、何処にも居なくなった円形ホールに、フェアリーが舞う。
小さな女神の使者は、輝きながら、広大な宇宙を渡っていった。
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