月に照らされ、アンジェラ王女が隣に居る。
眩しい明かりに照らされて、悩ましそうに歪む眉。
眠りの為に閉じられた、長い睫毛の重なりの、頬に掛かる薄い影___。
俺は、眼が、離せない。
もしも、彼女が瞳を開いたら、エメラルドの眼差しが、俺を映して揺れるから。
◇
蒼く光る氷壁と、巨大な氷柱(つらら)が、研ぎ澄まされた、硝子のように折り重なる。
頭上に広がる円形ドウムが星を抱いて瞬いてる。
零れ落ちる霰(あられ)は蒼に染まり、紺碧の氷壁が、星明りで浮かび上がった。
此処は、零下の雪原の北に在る『氷壁の迷宮』だ。
仲間に加えた、水の精霊ウンディーネが、大気の中に、ふわりと浮かんで溶けてゆく。
見えには見えないマナの気が、辺り一面に張り詰めて、あらゆる気配が濃厚だった。
一際深い蒼に染まり、背筋が凍るほどの冷たい、マナエネルギーが肌を打つ。
そして、俺のすぐ傍に、マナストーンは存在した。
伝説の石が、ソラ高く、俺の頭上に聳えて居る。
石からキラキラ、マナの滴が零れ落ち、大気に波紋を広げて居た。
思わず両手ですくったが・・・水の様にはくめなかった。
聖都を旅立ってからの俺達は、世界各地の、精霊達を集めて居る。
光の爺サン曰くだが、マナの剣を抜く為には、8つのマナストーンの守護精霊を集める必要が在ると言う。
精霊の力が集まると、聖域への扉が開くのだ。
___『再び、マナの木が枯れる時が来るとは』
旅立つ時、ふと漏らされた、リチャード王の呟きが、やけに耳から離れない。
どうにもこうにも寝付けずに、俺は、夜更けのラビリンスを歩いて居た。
再び、フォルセナを襲ったアルテナは、英雄王の、喉元まで詰め寄った。
城下町から玉座まで、襲われた同胞の、遺骸が山と積まれて居た事を、まだ魂が覚えて居る。
気を失っただけの者も多かったが___。
あの場は確かに戦場だった。
「・・・なんだ、デュランも眠れない?」
(・・・!)
其の時、気配を感じて、振りむくと、アンジェラ王女が其処に居た。
悪戯っぽい指先が、まるで「犬と遊ぶ」みたいに伸びて来て、俺の頭をグシャグシャした。
俺は、あっけに取られて見て居たが、ふいに、視界の総てが、胸の谷間になって居た。
視界の総てが胸の谷間になって居た。
「頼むから、夜中にそれは止めてくれ・・・っ!」
「ウフフー、アンタはホントに正直ネー。
反応が可愛くて、本当の犬みたいっ☆」
アハハと笑う彼女から、ウィル・オ・ウィスプの光が零れ落ちる。
彼女が杖を振るだけで、サラマンダーが燃え上がり、ウンディーネが湯を沸かし、ジンが炎を煽り出した。
まさか、精霊達に、茶を淹れさせるとは思わなかった。
又もあっけにとられたが、アンジェラ曰く「精霊サンは友達みたいなモン」らしい。
『可愛い子分みたいなカンジ!』
・・・。
アルテナの魔術師と言う奴は・・・。
皆、そんなもんなのか?
俺は、精霊達とは、話すだけでも大変だ。
出逢ったばかりのあの頃は、唯の棒でしか無かった、アンジェラ王女の魔法の杖も、今や立派なロッドである。
一人前の魔法使いになれたらしい、アルテナ国の姫君は、魔法のクルミを割って居た。
其の時、ふと、遠くを見ていたアンジェラが___ポツリと小さく呟いた。
「ねえ、デュランはどうして旅するの?
やっぱり、紅蓮の魔導師を・・・倒す為に旅するの?」
「・・・」
輝く、伝説の石を見上げるアンジェラは、瞳を閉じて呟いた。
___『強くなる』
其の願いを胸に抱き、俺は今も旅をしてる。
眼球の、奥で広がる焼け跡が、仲間の遺体の連なりが、バン!とフラッシュバックした。
見渡す限りの死体の山。
国を染め逝く血の流れ。
全てが、アイツの仕業なら・・・。
許す事など出来はしない。
「そうだな、俺は、紅蓮の魔導師に立ち向かいたいから、マナの剣を求める旅をしてる。
でも、今は・・・。
唯、倒せばいいとは思わないんだ、不思議とな。
誰かが、俺を、そんな風に導いてる気がするから」
「へえ、誰かって、一体誰?」
「・・・いや、解らんのだが、何となく」
フォルセナ城に舞い落ちた、焼けた木の葉の消し炭と、魔導師の眼が重なった。
再び瞳を開いたら、其処には、よく似た、翡翠の瞳が存在する。
そして、鼓膜の奥底では、光の神殿の上にかかる雲の間と、月光から降っていた、あの透明な声が響いてた。
「ふうん、デュランは、時々、不思議よね!
一度こうと思ったら、よく解らなくても、とにかく走るタイプだし。
でもネ、私も、アイツを『倒したい』とかじゃなくてさあ、唯止めたいなあと想ってる。
___私はアイツの為に旅してる」
アンジェラ王女が淹れて居た、温かいクルミ茶の、湯気の向こうで、キラキラ光るマナストーン。
其のエネルギーの奔流が、迷宮中に溢れてる。
けれども、ファ・ディール全体の、マナは消えてく一方だ。
此処で、こうして居ると、そんな感じが、ちっともしないのは不思議だった。
其の時、俺は、輝く石の奥底に、グニャリと動く影を見た。
太古の昔に封じられたと言う、伝説の【神獣】の___生きた命の影だった。
フォルセナ城の広間より、遥かに広い迷宮の、ドウムに置かれた其の石は、天高くまで空(くう)を突く。
巨大な石は、星の海、宇宙の帳(とばり)を、多くのマナで満たしてる。
どうして、遥かな昔から、マナストーンが在ったのか。
何故、人々は、マナエネルギーを欲するのか。
解らないまま、俺達は、今日も旅を続けてる。
其の時、心の奥底で、マナの剣が煌めいた。
手に入れた者の願いを何でも叶える、創世の杖の伝説が・・・。
「・・・なあ、アンジェラ。
お前は、マナの剣を手に入れたら、一体、どうしたい?
マナの剣のお願いを、お前は光の爺さんに、全く言わずに去ったろう。
お前は、その・・・っ、紅蓮の魔導師を止める為に、マナの剣を使いたいと想うのか」
「そうね、アイツが帰って来てから、お母様が、魔法帝国なんて言い出したのは、皆知ってるもの。
・・・私はね、ソレは駄目だと思うだけ。
どうしても、絶対に、アイツを止めなきゃいけないって、そう思う」
其の時、茶を淹れて居たアンジェラが、額に指を当てて居た。
コメカミの、頭の奥が、何だか凄く痛そうだ。
「変ね、光の神殿に行ってからなんだケド、アタマの奥がスゴク痛い。
誰かに呼ばれて居るような、こっちだよ、って言われているような、変な気分がとてもする。
ウフフ、ちょっとデュランと一緒だね!」
心配そうに、クルミ茶の、おかわりをつぐジンが居る。
魔法の国の姫君は「ありがとう」と微笑んで、精霊サンをヨシヨシした。
大気を震わせ、広がるマナは、自然の力そのものだ。
例え、普通の人には観えなくても、確実に在る精霊達。
そんな精霊達を、眼に見えるほど顕現させ、ごく普通に会話するという事は、中々出来るもんじゃない。
だが、フェアリーに選れた魔術師の、アンジェラ王女にとってみれば、其れは、自然な行為なのかもしれなかった。
流れる水に、燃える炎、豊かな大地に、鳴る雷鳴。
月下に拡がる大森林___。
自然を前に、人間は、時には、ひれ伏す事しか出来ぬほど、圧倒的な差を感じる。
力を借りる事なら叶うだろう、けれども、俺には「直接使役する」のは不可能だ。
特に、マナの力のコアを成す、精霊達の力なら。
「俺にも、精霊魔法が使えたら・・・。
きっと、仲間を失わず、故郷だって護れたな」
喉元から、せり上がって来る悔しさと、紅い魔導師の瞳に在る、深い闇が刺すようだ。
思わず、拳を握りしめ、ドンッ!と壁を叩いた、俺を見て、魔法の国の姫君は、ほんの少し微笑んだ。
「じゃあ、ほんのチョットだけダケド・・・。
魔法コツを教えてあげようか?
デュラン、ほらほら、手を出して!」
「手?
なんで手を出す必要が?」
「いいから、いいから、出しなさいっ。
わあ、デュランの手って大きくて、柔らかいし、あったか~い!」
「・・・!」
其の時、笑ったアンジェラが、ごく普通に手を取った。
其の瞬間、ブワッ!と身体が熱くなり、思わず、振り解こうとしたのだが、彼女は繋いで憚らない。
___すぐ目前に、アンジェラの、大きな瞳が広がった。
柔らかな指の熱、五つ在る、其の暖かな膨らみが、俺の頬に触れてゆく。
そのまま滑る手のひらが、鍛えた腕にも触れてゆき、指と指とを絡めてく。
トンッと落ちた、彼女の、身体の、人肌が、そのまま胸に伝わった。
・・・何だか、酷く、安心する。
もしもお袋が生きて居て、また、抱きしめてくれたのなら。
こんな感じ、かもしれない・・・・・・。
5歳の時に失った、安心感に包まれて、俺は瞳を閉じて居た。
彼女の優しい手が滑り、背中も、ヨシヨシ撫でてゆく。
彼女の流れるような指先が、肌と、剣を、撫でてから、再び背中を昇ってく。
唯『触れられてるだけ』なのに___。
___胸の奥が熱くなる。
_______「これがマナ」
ふと気が付くと、アンジェラが、スルりと腕から離れてた。
離れ切った瞬間に、マナの力も消えて居た。
肌が離れた其の瞬間、明かりが消えてくみたいにして、二人の間のマナが消える。
あ・・・。
まだ・・・。
離れ、たく、ねえ・・・。
けれども、離れたアンジェラは「ううん!」と大きく伸びをした。
振り向く、彼女の、大きな瞳が、俺を映して揺れて居た。
ほんの、束の間、見つめ合っただけだった。
なのに、どうして、こんなにも。
___胸の奥が痛いんだ?
「私にとっては、精霊サンと、魔法を使って居る時は、いつもこんな感じなんだよネ。
私は相手のコトが好きなだけ。
精霊サンが、大好きなの!
魔法のコツが『唯好きになるだけ』だったらさあ、デュランにだって、出来ると思うよ、精霊魔法っ」
「ああ、もっと、上手く言えたらイイんダケドなあ」と呟いて、アンジェラ王女は微笑んだ。
くるんっ、にぱっ、としたままで、唇に指を当てながら、アルテナ国の姫君は、魔法のコツを教授する。
『私は相手のコトが好きなだけ』
其れはまだ、深くは理解出来ない感覚で、唯、ひたすら暖かく、そして、優しい感触だった。
彼女の言葉で「包み込まれて護られた」そんな風に感じて居た。
そうして、俺の心臓が、早鐘を打ち、深く鳴る___。
「・・・。
じゃあ、もう一つだけ、聴かせてくれるか、王女様」
ピタリと止まったアンジェラは、振り向いたりはしなかった。
ゆらりと揺れた、真っ白の、柔らいネグリジェが、氷の床に触れてゆく。
氷に映る、彼女の顔は、流れる髪に阻まれて、其の表情を隠してた。
俺は、微かに、息を呑み、無理やり言葉を紡いでる。
____「お前は俺の事も好きなのか?」
ドッ、ドッ、ドッ。
彼女の姿を観て居ると、血が、逆流してゆくみたいになる。
手足がしびれて熱いんだ。
肌に観えない電流が、走り抜ける、ようになる・・・!
鈍い音を立てて光る、マナストーンの影に立ち、アンジェラ王女は振り向いた。
ふわりと振り向く横顔が、誰かの顔と重なった。
何処かで観た碧の眼。
何度も嗅いだ花の香。
其の時、心の奥底で、シャラン!と音を立てながら、流れるように輝いた、金の腕輪が鳴り響く。
王女は碧の瞳で俺を観て、ほんの少し、僅かに触れただけでも壊れちまう、優しい微笑を浮かべて居た。
そうして、揺れる唇が、音を立てずに動いてる。
___「私は、デュランのコトも、大好きよ」

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