雪。
ひとひら、氷の華が落ちてゆく。
冷たい風に髪が舞い、碧の瞳が揺れて居て、か細い腕が伸びて居た。
雪の華が舞う国に、白の指が触れてゆく。
溶けて消えた雪の跡。
雫を見つめる幼い笑み。
ほんの僅かの間でいい、許された間でいい、俺は傍に居て欲しかった。
此れは、いつかは溶けて消えてしまう、雪にも似た想い出だ。
けれども、胸の奥深く、けして消える事は無い、永遠(とわ)の結晶なのだから。
記憶は誰にも触らせない。
奪う事は許さない。
此の想い出は永遠に、此の身体が朽ち果てても、心が消えてしまったとしても。
生まれ変わっても変わらない。
俺は、お前に逢う為に、新たな生を得るだろう。
其の時、お前は、俺の事を、必ず想い出すだろう___。
◇
「見て見て、紅蓮の魔導士様よ!」
「おおう、今日もクールビューティーね!
あっぱれなほどの孤独感。
美し過ぎるボッチ感・・・★」
「あっ、うっ、イタイ、アイタタ過ぎる眼差しが!
ちょっとお、アンタがボッチとか言ったからア、ガッツリ睨まれちゃったじゃないッ!?」
魔法王国・アルテナ城の廊下には、いつもいつも、新入りの魔術師が、さながら蟲の如くに湧いて居る。
今日もまた、数メートル先に、入ったばかりの若いのが、3人ばかりでタムろしてた。
若い女どもが、高い声で騒ぎつつ、俺の事をチラチラ見て、人を「ボッチ」呼ばわりだ。
慮る事も考えず、珍獣でも見るように、不躾に投げられる、好奇の眼。
極めて不快過ぎたので、ならば俺もと憚らず、鋭く睨みつけてやる。
「やだっ、もうっ、食べらられちゃいそう、視線の君!
もう食べられても構わない!」
「まだ19才なのに、諜報部室長を務めて居て、女王様の右腕かあ・・・。
格差社会の頂点に立つ上に、あの美貌って、もはや何」
「サラサラプラチナブロンドで、おまけに水晶みたいな瞳をして。
ガン飛ばしても素敵って、ヒトじゃないわよ、別種族」
俺の不快指数が鰻登りに増してゆく。
なので奴らは視界に入らなかった事にする。
放浪の旅から帰った後の、周囲の反応というモノは、女はこんなものだった。
一方、男どもはだな。
「見ろよ、紅蓮の魔導師だぜ!」
「ハー、何が紅蓮だ、嫌味な名前だ、出来過ぎててイケ好かん!」
「リーダーぶって様になり、顔も良けりゃ禄もヨシか。
イキナリ帰って来たクセに、特別チームを新設して、軍備を強化なんぞして、何様なんだ、優男が。
・・・女王もヤキが回ったな」
聞こえて来るのは、とても自然な反応だ。
イキナリ帰った人間が、長く居る自分より、女王の覚えがめでたくなってしまい、故に嫉妬に身を焦がす。
理解出来る感情だ、けれども、不快は不快である。
よって、振り向き、鋭く睨みつけたのなら、能無しどもは去るだけだ。
窓の外には何処までも、曇り空が続いてる。
例え見えはしなくとも、張り巡らされた『マナと魔法』が此処に在る。
何重にも、慎重に、重ね掛けを施されて居る、理の女王の巨大な術。
其の結界は降りしきる、雪を消して居るはずが・・・窓の外には雪が舞う。
「・・・・・・ブライアン」
そうして声が木霊して、振り向いてゆく、其の瞬間。
___懐かしい、翡翠の瞳が其処に在る。
其処は、マナの女神が祀られた、礼拝堂の中だった。
女神像のすぐ下に、彼女はちょこんと立って居た。
小生意気な眼差しだが、ぬくもり感の在る瞳。
情熱的な紅を引いていても、ムードは子供の頃のまま。
礼拝堂の陽を浴びて、アンジェラ王女は立って居た。
彼女は、俺を、睨みつける。
身体の後ろで組んだ手に、しっかりと握られて居る、見習い魔術師用の杖。
古い樫の杖先が、所在なく揺れて居る。
あからさまに不満気な、紅い頬が「ぷう」となり、フワりと髪を揺らした後、ツンとそっぽを向いてゆく。
俺は、王女を真っすぐ見て「これはこれは」とかしずいた。
すると、今度のアンジェラは、ジト目をぶつけて憚らない。
___『何もかもが気に入らない』。
そんな声音の姫君が、悪戯っぽくニッと笑う。
「アンタ、急に帰って来たと思ったら、随分な態度ネ、ブライアン!
なんなの、其の上から目線はさあ?、ずうっと何処に行ってたの?
皆心配してたのに、其処までギラギラされちゃったら、だーれも近寄れないじゃない???」
「私の態度がお気に召さないのですか、アンジェラ王女様。
大変失礼致しました。
それでは、貴女がお気に召すように、丁寧にしましょうか・・・?」
俺は、彼女と向かい合い、わざとらしく跪く。
そうして、騎士を模倣して、手の甲へと口づけた。
けれども其の手はアッサリと、お姫様には払われる。
「パンッ」と音をたてながら、手へのキスは拒否された。
「もうっ、そーいうことは、やんないで。
どうせアンタのコトだもん、紳士ぶって見せたって、ホントは悪い男デショ?
いい、いい、カッコつけなくて」
そして「アンタの演技は御見通し」でパッと終わる。
彼女には、全て見透かされてしまう。
俺の事は『何もかも』だ。
俺は乱れたロウブを手で治し、潔く「降参だ」と呟いた。
「久しく逢って居ないのに、お前は変わらん、昔のまま・・・」
そのせいなのか、気が付くと、かつてのようになって居た。
魔法が使えぬ者同士、肩を寄せ合うようにして、日々を過ごした子供の頃___。
だが、目前のアンジェラは、俺が国を出た時よりも、ずっと大人になって居た。
昔は肩に掛かるまでだった、紫色の短い髪、それは今では長くなり、腰まで届き掛けて居る。
昔と変わらず、俺より低い背丈だが、それでも背は伸び、体は丸みを帯びて居る。
14歳の頃ならば、年頃らしく、服はこだわり出して居たのだが、化粧はまだしてなかった。
けれども、今では紅も引き、見た目は大人だったのだが。
「私の心は、子供のまま。
永遠の少女なの」
アンジェラ王女は、男なら、誰もが振り向く美貌でもって、少女のままのフリをする。
何処から見ても『女』なのに、子供じみた仕草をする。
だから、俺は、笑って居た。
今の俺を見たアンジェラが、後ずさりをしてるから、尚、可笑しくて、込み上げた。
「それなら俺は少年か。
其れも悪くは無いのだが、生憎、身体は大人だな。
お前も大人の女だぜ」
「19歳は少女でしょう?
ブライアンも、まだ19」
「私の名前は『紅蓮の魔導師』なのです、王女様」
「そう、紅蓮。
でもネ、ホントのアンタは、違うデショ?
ホントはもっと、実は弱___」
「過去は過去。
今は今だ」
アンジェラ王女は、俺の強い口ぶりに、一瞬ひるんだようだった。
けれどもすぐさま微笑んで「どっこも変わってないじゃない」と言う。
だが、硝子の砂漠で、竜の元、得て居た力は強かった。
今では世界の猛者どもが、俺を「最強」なのだと認めた名だ。
理の女王でさえ、凌ぐほどの魔力だと、陰で囁かれて居ての誉れであり、動かせない事実である。
今の俺なら、国一つ、操る事も造作ない。
19歳なのだから「まだ少年だ」とは言わせない。
特に、アンジェラ王女には・・・。
そうは認識されたくない。
「それでも、アンタは『ブライアン』っ。
いつまで経っても少年みたいな奴じゃない!
私にとっては、幾ら年をとってもさあ、子供の頃から変わらない、家族みたいなものなのよ。
双子の兄のようなのよ」
彼女は、いつも、俺を見て、ふわりと拒絶を示してる。
「双子の兄」だと線を引く。
賞賛しないし、嫉妬もない。
身近な家族で在ろうとする。
其れは余りに優しくて、残酷過ぎる線引きだった。
心の奥の『何か』が動いて痛み出す。
アンジェラ王女を見て居ると、どうしようも無く、胸が痛い。
竜帝様に頂いた、闇の力が、強く深く、臓器の奥で蠢くから。
「・・・双子の兄も大人になる。
女王陛下は、もう一度、アンジェラ様と家族にと、私を迎えて下さってる。
それは『兄』だからではありません。
もう、解って居るはずだ」
アンジェラ王女の細い肩が、ピクリと動いて白くなる。
伏せられてゆく、睫毛の奥。
彼女の心は読み取れない。
触れてもいいのに、触れられない。
其処に居るのに、届かない。
俺の熱には行き場が無い。
此の情熱にはやり場が無い。
何も言わないアンジェラは、どんな事をも拒まない。
読めない瞳は穏やかで、深い想いを感じさせた。
なのに、観えない壁が在り、欲しいままにはさせないから。
明るい陽が、天窓の、ステンドグラスを通り越し、柔らかく降り注ぐ。
精霊達を象った、8つの自然界の色。
虹の色と深い闇、其れが彼女を照らし出す。
ふわりと入る粉雪が、蒼や、碧や、橙に、ゆっくり変わって溶けながら、彼女の頬を染めてゆく。
冷たい風に髪が舞い、碧の瞳が揺れて居て、か細い腕が伸びて居た。
此れは、いつかは溶けて消えてしまう、雪にも似た想い出だ。
こうして降っては消えてゆく。
淡く儚い想いを、一瞬、一瞬、積み上げる。
___俺と彼女で積み上げる。
二人で得た想い出を、誰にも触らせたりはしない。
奪う事は許さない。
心の奥に刻まれた、深くて暗い衝動を、分かち合うなど出来はしない。
いつか命が尽き果てて
再び巡り出逢う時
お前は俺を「兄」と呼ぶ?
雪と硝子が入り乱れる。
煌めく刃が降り注ぎ、竜の夢が壊れゆく。
消える命をかき抱き、お前は何を願うだろう。
頬と髪に降り注ぐ、硝子の破片がサラサラと、零れて崩れて鳴いて居る。
「私はいつでも此処にいる。
貴方の傍に、ずっと居る。
今まで一緒に居たのだもの。
これから先も、家族だよ」

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