032 宮津天橋立の文化的景観
「宮津天橋立の文化的景観」は、天橋立を含む阿蘇海 (あそかい) の東部海域と北岸の府中地区、南岸の文珠地区に広がる文化的景観である。
天橋立は、阿蘇海と宮津湾の間に砂礫により形成された砂州で、平安時代から白砂青松の景勝地として絵画や和歌などに取り上げられてきた。中世以来、府中地区に所在する丹後一宮である籠神社や西国三十三所霊場の成相寺、文珠地区に所在する日本三文殊の一つ智恩寺などの社寺への参詣と一体となって、多くの観光客集めた。また、近代以降はケーブルカーの敷設や鉄道の開設などによって観光拠点として発達し、多くの旅館や土産屋街が建ち並ぶ近代観光地として新たな展開をみせた。また、阿蘇海北岸の府中地区は、近世以降、漁村・農村化が進み、条里制に遡る農地や、内湾漁業の拠点である溝尻には約40軒の舟屋群がみられる。
宮津天橋立の文化的景観は、上記のように、行政・信仰・観光の中心として発展してきた当地の歴史的重層性を示す土地利用の在り方と、宮津湾西岸及び阿蘇海北岸で営まれる農業・漁業による土地利用の在り方とが複合した文化的景観である。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
百人一首60番 小式部内侍
参考資料:国指定文化財等データベース(文化庁)
2023-7-3 |