008 佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観
相川は佐渡島のうち大佐渡山地の南西端に位置し、標高約300mの山地から海成段丘を経て狭い海岸低地が連続する地形上に展開する。金銀山発見以前は羽田村と呼ばれる人家5、6軒の小村であったが、17世紀初頭に鉱脈が発見されると急速に鉱山開発が進み、全国各地から山師や鉱山関係者が流入し、計画的な集落が形成された。18世紀に金銀の産出量が激減すると,廻船業等で財を成す商人も現れ、大規模な地割りの廻船問屋等が並ぶようになった。
佐渡相川の景観は、金銀採掘の盛衰に伴って変遷した歴史を留める重要な文化的景観である。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)
2023-5-30
       
       
       
       

間歩 (まぶ) :鉱山の坑道のこと。

宗太夫間歩 坑口
佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観
(撮影:1998-5)
佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観
(撮影:1998-5)
      重要文化的景観 ~佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観~
「重要文化的景観」トップ
次ページ:沖縄の草木
ページの先頭に戻る