東京都選定歴史的建造物等 2018-7-28 現在 |
清澄庭園 |
清澄庭園 |
清澄庭園 |
清澄庭園 |
特徴等 |
明治11年(1878)に岩崎彌太郎が下総国関宿の城主久世大和守の邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13年(1880)に「深川親睦園」を開園した。その後も更なる造園工事が進められ、隅田川の水を引いた大泉水や築山、枯山水を造って全国から取り寄せた名石を配し、
明治を代表する回遊式林泉庭園として完成した。庭園は関東大震災で大きな被害を受けたが、人々の避難場所としての役割を果たしたことから、被害の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付、市ではこれを整備して昭和7年7月から清澄庭園 (きよすみていえん) として公開を始めた。 参考資料:同園の案内パンフレット/東京都公園協会HP 2018-8-19 |
清澄庭園 |
清澄庭園 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
清澄庭園 | 明治時代 | 面積 37千㎡ |