東京都選定歴史的建造物等    2018-7-28 現在 
名 称 年 代   構造等
東京都慰霊堂 昭和5年(1930) 鉄骨鉄筋コンクリート造、3階建
特徴等
大正12年(1923)9月1日午前11時58分、突然関東地方を襲ったマグニチュード7.9の巨大地震は、死者・行方不明者合わせて14万人以上の犠牲者をもたらした。このうち最も惨禍を極めたのは、当時横網町公園として工事中の陸軍被服廠(ひふくしょう)跡で、ここで3万8千人もの人々が焼死した。この慰霊堂は、大震災を後世に記念するとともに、多くの犠牲者を追弔するために建てられたものである。建物の正面中央に唐破風の向拝があり、その背後に祭場広間、左右控室、祭壇、さらにその奥に納骨堂、背面向拝をもつ塔部が配置されている。本堂は重層で入母屋造、左右の翼堂は切妻、塔屋は三層で宝形造と、堂々たる構成である。主要構造は、本堂、塔ともに耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート造である。この慰霊堂は、当初は震災記念堂として建設されたが、その後太平洋戦争による戦災遭難者の霊と遺骨も奉安し、昭和26年(1951)に名称も「東京都慰霊堂」と改められた。
参考資料:現地の説明板(東京都)
2005-8-21
東京都慰霊堂 (撮影:2004-8) 東京都慰霊堂 (撮影:2003-12)
東京都慰霊堂 (撮影:2005-1) 東京都慰霊堂 (撮影:2003-12)
       
       
       
       
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