晩香盧


晩香盧
旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2004-8) 旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2003-10)
    東京都選定歴史的建造物等    2018-7-28 現在 
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名 称 年 代   構造等
旧渋沢家飛鳥山邸 (晩香廬・青淵文庫)
晩香廬 大正7年(1918) 木造、1階建、桟瓦葺、建築面積79.24㎡
青淵文庫 大正14年(1925) 煉瓦造及び鉄筋コンクリート造、2階建、建築面積213.67㎡、東面露台附属


青淵文庫


青淵文庫
旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2003-10) 旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2003-10)


晩香盧


青淵文庫
旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2004-8) 旧渋沢家飛鳥山邸 (撮影:2003-10)
特徴等
曖依村荘 (あいいそんそう) と呼ばれた旧渋沢邸は、明治11年(1878)に接待用の別荘として建設され、明治34年(1901)から渋沢栄一が亡くなるまでの30年間は本邸として使用された。この邸の名は、中国の詩人陶淵明の詩の一節「曖々遠人村、依々墟里煙」によるものと伝えられている。母屋、文庫、茶室などが点在し、内外から多くの賓客が訪れた。栄一の死後、遺言によって曖依村荘は竜門社に寄贈された。第二次世界大戦の空襲により大部分の建物を失ったが、晩香廬 (ばんこうろ) と青淵文庫 (せいえんぶんこ) は焼失を免れ、今日に至っている。
晩香廬は、栄一の喜寿を祝って現在の清水建設4代目当主から贈られた建物である。竣工は大正6年(1917)で、暖炉・蒔入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具も添えられた洋風茶室である。栄一は晩香廬をこよなく愛し、賓客の接待の場として使った。その名の由来は諸説あるが、自作の詩「菊花晩節香」からとったとも、「バンガロー」をもじって栄一が付けたともいわれている。
青淵文庫は、栄一の80歳の祝いと男爵から子爵への昇格の祝いを兼ねて、竜門社が寄贈した小図書館である。煉瓦及び鉄筋コンクリート造、2階建、ステンドグラスやタイルなどを用いた華麗な洋館である。大正14年(1925)の竣工で、栄一の雅号「青淵」にちなんで名付けられた。
参考資料:渋沢資料館案内パンフレット/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-20