特徴等
江戸時代初期に発生した廻遊式庭園の様式をベースに、各地の風土と大名の生活文化が加味されて多くの大規模な大名庭園が生まれたが、小石川後楽園はその典型的な事例である。この庭園は、寛永6年(1629)に水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷(のち上屋敷となる。)としてて造営したもので、2代藩主光圀の代に完成した。旧書院を中心とする内庭部と、大泉水を中心とする後庭部とからなり、とりわけ後庭部には西湖、渡月橋、大堰川、通天橋などの内外の名所の他、水田、松原などの田園景観を再現してあり、園路にそって多彩な風景が楽しめる。後楽園の名は、中国の范仲淹 (はんちゅうえん)「岳陽楼記」(がくようろうき) の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」から名づけられた。 大正12年(1923)に国の史跡および名勝に指定され、昭和27年(1952)に特別指定を受けている。公園としての開園は昭和13年(1938)である。
参考資料:同園の案内リーフレット/現地の説明板/東京都公園協会HP
2005-8-12
       
       
       
       
小石川後楽園 (撮影:2004-4) 小石川後楽園 (撮影:2004-4)8
小石川後楽園 (撮影:2004-4) 小石川後楽園 (撮影:2004-4)
名 称 年 代   構造等
小石川後楽園 江戸時代初期 面積 67千㎡
    東京都選定歴史的建造物等    2018-7-28 現在 
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小石川後楽園 (撮影:2004-4) 小石川後楽園 (撮影:2004-4)
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