東京都選定歴史的建造物等    2018-7-28 現在 
虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-12) 虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-12)
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虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-12) 虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-12)
虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-8) 虎ノ門金刀比羅宮 (撮影:2004-8)
特徴等
虎ノ門金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が領地讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に移ったものである。京極家では、こんぴら人気が高まった文化年間に、毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。社殿は拝殿、幣殿、本殿が奥へつながる権現造で、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、わが国古来の建築技法が随所に用いられている。幣殿の奥の本殿は、昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造、銅板葺である。境内には文政4(1821)に奉納された明神型の鳥居があり、円柱には中国の四神思想に基づく白虎、青龍、玄武、朱雀の四神が飾られている。この金刀比羅宮に隣接して虎ノ門琴平タワーが建設されていたが、平成16年12月に竣工、このビルの1階部分が金刀比羅宮の社務所になっているなど、両者の調和、共生が図られ、いかにも都心の社らしい姿になっている。
参考資料:現地の説明板(東京都生活文化局)/東京都都市整備局HP
2005-8-11
名 称 年 代    構造等
虎ノ門金刀比羅宮 拝殿・幣殿:昭和26年(1951)
本殿:昭和58年(1983)
権現造社殿
       
       
       
       
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