文化遺産の内容
原爆ドームは広島県の物産の改良増進を図り、産業の発展に貢献する目的で、大正4年(1915)に建設された広島県物産陳列館で、チェコの建築家ヤン・レツルが設計したものである。北方の中国山地から広島湾へと流れる太田川が形成したデルタ上、太田川(本川)と元安川の分岐する地点が建設場所に選ばれた。建物は、煉瓦と鉄筋コンクリートで作られた3階建てで、正面中央階段室を5階建てドームとし、一部に地階を有していた。屋根のドーム部分は銅板葺、そのほかはスレート葺とし、ドーム先端までの高さはおよそ25メートル、建築面積はおよそ1,002平方メートルであった。また、噴水池をもつ洋風庭園や、四阿をもつ和風庭園も整備されていた。
建物は原爆の爆心地から北西約160メートルの至近距離にあり、熱線と爆風を浴びて大破、全焼した。しかし、爆風が上方 (爆発点高度約580メートル) からほとんど垂直に働いたため、ドーム中心部は奇跡的に倒壊を免れたと考えられている。「原爆ドーム」という呼び名は、建物の頂上天蓋の残骸が傘状になっている姿から「いつともなく、誰ともなく、自然に言い出された」といわれている。日本が口火を切った戦争の何とも悲惨なモニュメントではあるが、人々の平和への願いを今も受け止めている。
原爆が投下された頃、私は京都伏見に住んでいましたが、親たちが「広島に新型爆弾が落とされた」と話していたのを覚えています。下の写真はその両親が広島方面を旅行した時の写真です。動員学徒慰霊碑の前では思わず涙したと手紙に書いてありましたが、時は否応なく過ぎていきます。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)
2023-6-13
       世界文化遺産 -原爆ドーム-
原爆ドーム (1990-11) 原爆ドーム (1990-11)
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動員学徒慰霊碑 (1990-11)