特徴等
滝乃川学園は、熱心なキリスト教徒で立教女学院の教頭であった石井亮一によって、日本初の女医である荻野吟子の医院を間借りして、明治24年(1891)に聖三一弧女学院(せいさんいちこじょがくえん)として設立された。翌年、北豊島郡滝野川村(現北区滝野川)に弧女学院を新設して移転した。学院は、キリスト教主義に基づく女児の救済と教育の施設として発足したものであるが、孤児の中に二人の知的障害児がいたこともあり、やがて積極的に障害児を受け入れるようになり、日本ではじめて、知的障害のある人々の教育と福祉の事業がはじまることになった。明治30年(1897)に滝乃川学園と改称して知的障害児の教育に特化、その後、一時は閉鎖の危機に瀕したこともあったが、関東大震災後、閑静な環境を求めて現在の地に移った。このような学園を支えたのは、幕末大村藩に生まれのちに石井亮一の妻となる石井筆子であった。前半生はその美貌と知性、語学力を駆使し鹿鳴館の華と謳われ、結婚後は知的障害者のために生涯を捧げ、女性の社会参画のパイオニアとなった。平成14年8月国の文化財として登録された滝乃川学園本館は、多くの人々の深い愛にまもられて緑豊かな武蔵野の木立の中に今日もたたずんでいる。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/くにたちの教育第90号
2005-8-22
滝乃川学園本館 (撮影:2004-11) 滝乃川学園本館 (撮影:2006-11)
   東京都の登録文化財建造物    2018-8-13 現在
       
       
       
       
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滝乃川学園本館 (撮影:2004-5) 滝乃川学園本館 (撮影:2006-11)
番号-名称 年 代   構造等
161 滝乃川学園本館 昭和3年
(1928)
木造2階建、瓦葺、建築面積324㎡