東京都の登録文化財建造物    2018-8-13 現在
特徴等
この建物は、渋沢栄一が明治31年(1898)に寛永寺境内地に渋沢家の霊堂として建てたものである。棟札により建立年代はわかるものの、設計者、施工者は明らかではない。 栄一は元治元年(1864)一橋家に仕え、15代将軍慶喜の弟昭武に随行してパリ万国博覧会を視察し、西欧の状況に接する機会を得た。帰国後、その時に得た知識を基に第一国立銀行を創立するなど日本の資本主義社会の形成に多大なる貢献をした。また、徳川家の菩提寺・寛永寺の再興にも力を尽くしている。
渋沢家霊堂は木造平屋建、宝形造、瓦葺で、正面に石の階段があり、両開き桟唐戸、その左右に花頭窓が付いている。屋根に宝珠をのせた、格調高い建物である。栄一は、恩義を受けた慶喜のそばに葬られたいとの願望から、この地に霊堂を建て、谷中に墓地を求めた。堂はその心を今も伝えている。

参考資料:広報たいとう(台東区)/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-1-16
寛永寺渋沢家霊堂 (撮影:2003-12) 寛永寺渋沢家霊堂 (撮影:2003-12)
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番号-名称 年 代   構造等
068 寛永寺渋沢家霊堂 明治31年
(1898)
木造平屋建、瓦葺、建築面積79㎡
       
       
       
       
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