東京都の登録文化財建造物    2018-8-13 現在
特徴等
大正12年(1923)の関東大震災によって被災した都内の区立小学校は、震災復興事業の大きな柱として、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎に建て替えられるようになった。 この小学校校舎は、震災後の小学校復興事業の末期に建設されたもので、鉄筋コ ンクリート造3階建、設計は東京府の市ノ瀬仁重郎、施工は佐藤平治である。昭和初期の区立小学校校舎には二つの傾向があった。一つは、インターナショナル・スタイル(国際建築様式)と呼ばれる装飾性の少ない機能主義的な建物で、他の一つは、この小学校のような壁面に装飾性を加味した建築である。装飾はおもに玄関廻りに用いられ、この玄関廻りや塔屋などに当時流行した表現主義のデザインがみられる。この塔屋は同居していた消防署の望楼も兼ねたものであった。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/現地の説明板
2005-8-17
渋谷区立広尾小学校 (撮影:2004-11) 渋谷区立広尾小学校 (撮影:2004-11)
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渋谷区立広尾小学校 (撮影:2004-11)
       
       
       
       
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番号-名称 年 代   構造等
031 渋谷区立広尾小学校 昭和7年
(1932)
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積940㎡
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