特徴等
集成館は、殖産興業のために第28代薩摩藩主島津斉彬によって建築された反射炉などの工場群の総称であるが、文久3年(1863年)の薩英戦争で焼失してしまった。その後、第29代島津忠義によって再建された工場の1つが慶応元年(1865年)に竣工した集成館機械工場で、大正4年(1915年)まで使用された。大正12年(1923年)以降、島津家伝来の史料を中心に展示する尚古集成館として利用されている。建物は石造平屋建、寄棟造、瓦葺で、正面にアーチ形の開口部のポーチを持ち、当時「ストーン・ホーム」と呼ばれた。鹿児島の近代化の歴史を今に伝える遺構である。
参考資料:現地の説明板/尚古集成館案内リーフレット/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-3-22
     
     
       
       
番号・名称 年 代   構造等
002 旧集成館機械工場 慶応元年(1865) 石造、建築面積979.8㎡、一階建、桟瓦葺
旧集成館機械工場 (撮影:2007-2) 旧集成館機械工場 (撮影:2007-2)
旧集成館機械工場 (撮影:2007-2) 旧集成館機械工場 (撮影:2007-2)
       
       
       
       
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    鹿児島県の重要文化財建造物          2017-11-15 現在