特徴等
慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いで功績を認められた山内一豊が土佐に入国し、高知城の築城を開始、慶長16年(1611)にほぼ全城郭が完成した。享保12年(1727)の大火によって追手門を残してほとんどが焼失、現在の建物はその後再建されたもので、25年の歳月をかけて宝暦3年(1753)に全体の復興がほぼ完了した。その後、明治維新に廃城となり、本丸の建築群と追手門を除くすべての建物が取り壊された。現存しているのは天守など15棟の建造物で、いずれも重要文化財に指定されている。本丸には天守のほか、懐徳館 (本丸御殿) 、納戸蔵、東多聞、西多聞、廊下門、黒鉄門、詰門などの建造物が残っている。
黒鉄門西北矢狭間塀は黒鉄門から折曲りに本丸西辺を画するもので、その延長23mを計る。銃眼は5ヵ所で、西面に石落しを付け、その直下に石樋口がある。塀裾の長押形水切は高知城独特の工法である。
参考資料:高知城案内リーフレット/国指定文化財等DB(文化庁)/高知市HP
2019-12-26
       
       
       
       
高知城黒鉄門西北矢狭間塀
(撮影:2011-1)
高知城黒鉄門西北矢狭間塀
(撮影:2011-1)
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番号・名称 年 代   構造等
11 高知城黒鉄門西北
矢狭間塀
延享4年-寛延2年
(1747-1749)
延長23.0m、銃眼五所、本瓦葺
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