番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
06 高松城 北之丸渡櫓 |
延宝4年 (1676) |
一重櫓、入母屋造、本瓦葺 |
特徴等 |
高松城は、天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が約3年の歳月をかけて築城し、生駒氏が寛永17年(1640)に出羽の国 (秋田県)
に移封せられた後、寛永19年(1642)に東讃岐12万石の領主として入府した松平氏が本丸、東之丸、新曲輪などを修築し、規模を整えたといわれている。城内には三層五階の天守閣がそびえ、要所には約20の櫓があったとされるが、明治以降多くが破却され、現存するのは月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓
(いずれも重要文化財) だけである。別名玉藻城とも呼ばれるが、これは万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるものといわれている。 渡櫓は入母屋造、本瓦葺の一重櫓で、生駒氏築城による海手門を改修して月見櫓と同時期に建てられた。海手出入りの監視防衛のための隅櫓であったものと考えられている。 参考資料:史跡高松城跡案内リーフレット/現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁) 2020-1-14 |
香川県の重要文化財建造物 2018-1-7 現在 |