特徴等 |
高松城は、天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が約3年の歳月をかけて築城し、生駒氏が寛永17年(1640)に出羽の国 (秋田県)
に移封せられた後、寛永19年(1642)に東讃岐12万石の領主として入府した松平氏が本丸、東之丸、新曲輪などを修築し、規模を整えたといわれている。城内には三層五階の天守閣がそびえ、要所には約20の櫓があったとされるが、明治以降多くが破却され、現存するのは月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓
(いずれも重要文化財) だけである。別名玉藻城とも呼ばれるが、これは万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるものといわれている。 水手御門は月見櫓続櫓の南に設けられた切妻造、本瓦葺の1間薬医門である。かってはこの外側まで海で、船からこの門を経て城内に入れるようになっていた。現存する門は江戸末期(1830-1867)の建造になるものである。 参考資料:史跡高松城跡案内リーフレット/現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁) 2020-1-14 |
香川県の重要文化財建造物 2018-1-7 現在 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
005 高松城北之丸水手御門 | 江戸末期(1830-1867) | 一間薬医門、切妻造、本瓦葺 |