番号 | 棟 名 | 年 代 | 構造等 |
神部神社浅間神社 | |||
001 | 本殿 | 文化10年(1813) | 七間社流造、本瓦形銅板葺 |
002 | 南中門 | 文化10年(1813) | 一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺 |
003 | 北中門 | 文化10年(1813) | 一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺 |
004 | 南透塀 | 文化10年(1813) | 折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺 |
005 | 中透塀 | 文化10年(1813) | 折曲り延長七間、瓦棒銅板葺 |
006 | 北透塀 画像なし |
文化10年(1813) | 折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺 |
特徴等 |
神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)及び大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3社は、総称して静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)と呼ばれ、古来多くの崇敬を集めてきた由緒ある社である。神部神社は第十代崇神天皇の御代に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座したと伝わり、平安時代には駿河国総社となった。また、浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、爾来富士新宮として国司の尊崇を受けた。現社殿は文化元年(1804)から幕府直営工事として約六十余年ほどの長年月を要して完成、江戸時代末期の特性をよく示す神社建築として26棟が重要文化財に指定されている。 神部神社浅間神社本殿は七間社流造、本瓦形銅板葺で、向かって南(左)側三間を浅間神社の本殿、北(右)側三間を神部神社の本殿とする。彫刻や極彩色による装飾を施した華麗な建築で、様式は比翼三間社流造りと呼ばれる。それそれの本殿の前方には南中門と北中門が設けられ、左右には南透塀、中透塀、北透塀が延びている。 参考資料:静岡浅間神社HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2018-6-20 |
静岡県の重要文化財建造物 2018-1-14 現在 |