特徴等
慶長8年(1603)、徳川幕府より外様大名として津軽領有を認められた津軽氏は、高岡(現在の弘前)を新たな築城の地と定めた。慶長14年(1609)に幕府から築城許可が下り、城郭は弘前城として慶長16年(1611)に完成した。天守、櫓3棟、門5棟が重要文化財に指定されており、天守は文化7年(1810)の建築であるが、他はすべて完成当初のものである。
弘前城には、築城当初10棟あったとされる城門のうち5棟が残されている。いずれも周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた2層の櫓門で、門の前面に高麗門などを設けていないことや、1層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木造りとしていることなどが特色となっている。
三の丸追手門(おおてもん)は、外濠に囲まれた三の丸の南に設けられている櫓門である。藩政時代の初期を除いてほとんどの期間、正門とされていた。
参考資料:青森県HP/弘前公園HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-5-4
弘前城三の丸追手門 (撮影:2014-8)
番号・名称 年 代   構造等
07 弘前城
三の丸追手門
慶長16年
(1611)

脇戸付櫓門、銅瓦葺

弘前城三の丸追手門 (撮影:2014-8) 弘前城三の丸追手門 (撮影:2014-8)
       
       
       
       
       
       
       
       
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