番号・名称 年 代   構造等
001 弘前城天守 文化7年(1810) 三重三階櫓、銅瓦葺
弘前城天守 (撮影:2009-5) 弘前城天守 (撮影:2009-5)
特徴等
慶長8年(1603)、徳川幕府より外様大名として津軽領有を認められた津軽氏は、高岡(現在の弘前)を新たな築城の地と定めた。慶長14年(1609)に幕府から築城許可が下り、城郭は弘前城として慶長16年(1611)に完成した。天守、櫓3棟、門5棟が重要文化財に指定されており、天守は文化7年(1810)の建築であるが、他はすべて完成当初のものである。
天守は、弘前2代藩主信枚が当初に築城したときは5層で、本丸西南隅に構えていたが寛永4年(1627)落雷で焼失したという。現在のものは、3層3階櫓の銅板葺で、1層目は間口6間で奥行5間、2層目は間口5間で奥行4間、3層目は間口4間の奥行3間となっており、本丸東南隅に建っている。東北地方に残る唯一の遺構で、江戸時代後期の天守閣建築の典型とされ、桜に映えて立つ姿は広く親しまれている。
参考資料:青森県HP/弘前公園HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-5-4
弘前城天守 (撮影:2009-5)
       
       
       
       
       
       
       
       
リストに戻る
リストに戻る
    青森県の重要文化財建造物             2017-11-30 現在