乾小天守-渡櫓-天守

乾小天守-渡櫓-天守
松本城 (撮影:2002-1) 松本城 (撮影:2002-1)
番 号  名 称 年 代   構造等
002 松本城天守  元和初(1615)頃 五重六階、本瓦葺
003 松本城乾小天守  文禄元年(1592)   三重四階、本瓦葺 
004 松本城渡櫓  元和初(1615)頃  二重二階、本瓦葺 
005  松本城辰巳附櫓  寛永(1624-1643)  二重二階、本瓦葺 
006 松本城月見櫓  寛永(1624-1643)  一重、地下一階付、本瓦葺 
特徴等
松本城は、天正18年(1590)に小笠原氏が徳川家康の関東移動にともなって松本を去った後、豊臣秀吉の命を受けて石川氏が入封、明治維新まで6家23人が城主を務めた。城郭や城下町の整備は、石川氏2代の時代(1590-1613)に促進されたと見られているが、明治維新になって多くの建物が取り壊され、辛うじて破壊を免れた5棟の天守群が国宝に指定され、往年の城郭のたたずまいを今に伝えている。天守群の建造年代は大きく2つの時期分かれ、天守、乾小天守及び渡櫓は石川氏2代の時代、辰巳附櫓及び月見櫓は寛永年間(1624-1643)と見られている。
天守は五重六階、乾小天守は三重四階で、両者を渡櫓でつないでいる。これら三棟は、江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれており、鉄砲狭間・矢狭間115か所、石落11か所などの戦いの備えが設けられた強固な造りになっている。
他方、辰巳附櫓及び月見櫓は戦国時代が終わり江戸幕府が安定してきた寛永年間(1624-1643)に増築された建物で、武備がほとんど設けられていない。月見櫓は天守の東南に建ち、両者を辰巳附櫓がつないでいる。建造年代の違いによる異なった性質の建物が複合している点が、松本城の大きな特徴の一つとなっている。
る。参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/松本城HP
2018-7-21
       
       
       
       

乾小天守-渡櫓-天守

天守-辰巳附櫓-月見櫓
松本城 (撮影:2002-1) 松本城 (撮影:2002-1)
       
       
       
       
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    長野県の重要文化財建造物            2018-1-26 現在

乾小天守-渡櫓-天守

天守-辰巳附櫓-月見櫓
松本城 (撮影:1964-6) 松本城 (撮影:1964-6)
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