特徴等 |
明治6年(1873)、政府のキリスト教禁教令廃止を契機に、大浦天主堂のプティジャン神父はラテン神学校設立を計画し、明治8年(1875)に完成した。大正15年(1926)浦上神学校ができるまで、神学校の校舎兼宿舎として使用された。大浦天主堂の境内地内にあり、木骨煉瓦造の三階建で、地下1階を設ける。前面にベランダを設け 三階は中央部のみを高め、前後を錣葺にするユニークな形をもつ。長崎における木骨煉瓦造建築の遺例としてよく知られている。 参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/長崎県HP/長崎市HP 2018-5-17 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
35 旧羅典神学校 |
明治8年 (1875) |
木骨煉瓦造、建築面積232.8㎡、三階、地下一階、桟瓦葺 |
長崎県の重要文化財建造物 2017-12-30 現在 |